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PUIPUIモルカーと肉に興味を持つ人

PUIPUIモルカーを見たときに、「制作者は、私と似ている」と思った。
何故そう思ったのか分からなくって、その理由を知ろうと色んな人の感想文を読んだけど、どこか釈然としなかった。
ただ、監督の過去作の「マイリトルゴート」を見たときに、ふとこんなことが頭をよぎった。

「この人は、肉に興味を持つ人だ」

肉に興味を持つ人、というのは私が勝手に分類しているだけで、これと言ってなにかの定義があるわけではない。
ただ、「そうだ!」と私の中で当てはまる人は、何人か居る。

例えば、ギレルモ・デル・トロ監督。私にとって最初のギルレモ監督作品は「パシフィック・リム」で、ひと目でお気に入りになった。
その後、「パンズオブラビリンス」を見て、「この人は肉の人だ」と思って親近感を抱いて、監督その人自体が好きになった。
「ミッドサマー」を見たとき、アリ・アスター監督はそうかな?と思った。その後、アリ監督の「The Strange Thing About the Johnsons」を見て、「やっぱり肉の人だった」と判定を下した。

同じ映画監督でも、クリストファー・ノーランやクリント・イーストウッドはそうではない、気がする。
あとは、新海誠は全くもって肉の人ではない。対局に位置する人だと思う。

肉に興味を持つ人、をうまく定義するのは難しい。
このあと書くことは、ほぼ私の思い出話で作品の分析ではない。ないのだけれども、でも私にとって「肉の人」であるかないかは、創作者を測る上でかなり大きな定規である。
「肉の人」をうまく言い替えしている社説を私は読んだことがない。だから分からないなりに書き起こしていこうと思う。

高校生のとき、私はグロ画像をテーマにしてエッセイを書いた。
たしか、あれは現代文の課題で、何かの賞に応募するためにクラス全員が書かなくてはならなかった。皆、嫌々書いていたが、私にとっては普段自分が考えていることを書く、絶好の機会だった。
とはいえ、文章にまとめるのは中々難しくって、締め切りギリギリに提出した。
「どうしてこんな面白い文章を、こんな締切ギリギリに提出するのかな」と現代文の先生はこぼしながら、文章を推敲してくれた。
ここまで自分を赤裸々に書いた文章は初めてだったから、それが褒められてとても嬉しかった(賞にはかすりもしなかったが)。お題となるテーマは忘れてしまったが、自分が書いた内容はおぼろげに覚えている。

何故、私はグロ画像に惹かれてしまうのだろう?救われてしまうのだろう?

私は、グロ画像を見るのが好きだ。正確に言うと人の死体を見るのが好きだ。
テレビや映画のスプラッタ映像は苦手なのに、どうして本物の死体の画像をわざわざ調べてしまうのだろう?
それはたぶん、「死」が想像の延長にあるのではなく、「死」そのものは、肉体的な、極めて現実的な事象だと、私に教えてくれるからだ。
普段、私達は「死」を概念として扱っている。ニュースでは痛ましい数字として、創作では悲劇的な物語として。
ときに、「死ぬこと」はまるで美しい物語のように、憧れの対象として消費される。
でも、死ぬこと自体は、肉肉しいものだ。物質的なものだ。
死体の画像はとても怖い。胸が飛び上がるような気持ちになる。でも、同時に、「死」が決して想像上の事象ではないことを、私に教えてくれる。
私達は、物語のなかの登場人物ではなく、肉をまとっている生き物だということを思い出させてくれる。そのことが私を「生きること」に奮い立たたせる。

上の文章は、当時書いたエッセイで言いたかったことを、思い出しながら要約したものだ。こんなにまとまった文章ではなかったと思う。
でも、私は上のテーマを伝えたかった。そして、このテーマは、これまでの人生の思考のなかで、何度も反芻した。
私は動物だ。あなたも動物だ。そして動物は肉である。毛皮をまとった可愛らしい隣人も、その下には骨があり肉があり脂肪があり、それは普段食べている肉と同じものだ。
私達は肉だ。物語の登場人物ではなく。


肉に興味のある、というのはこの感覚のことをいうのかもしれない。最初、「身体性」という言葉が代替になるのかと思ったが、今この文章を書いてると少し違う気がする。
そして、どうしてPUIPUIモルカーを見たときに、私が強く心惹かれたのか分からない。ただ、私が熱狂的に惹かれる作品には、ほとんどこの「肉」の感覚を持っている(と私が感じた)人によって作られている。
PUIPUIモルカーもパシフィック・リムも、全くもって「肉」の作品ではない。ないのだが、彼らの過去作品を見たときに私は、「なるほど」と腑に落ちた。

「嘘だからこそ、創作上の人物は本物らしくないといけない。じゃないと、意味がない。中身がない」と、よく私は憤るのだが、それも関係するのかもしれない。
ノーラン監督の作品は好きだ。だけど、肉の人ではないと思う。死体が出てくれば良いというものではないと思う。私は「SAW」を見たときに、「肉」を感じなかった。

自分の考えを書き起こして、尚更わけがわからなくなってしまった。
ただ、私は人の創作で「肉」を感じると、自分と似たような人がいるんだと、嬉しくなってしまう。
「あなただけにこっそり伝えてくれた、とみなに勘違いさせるのが優れた作品である」という論説を読んだことがある。
どうやら私にとって「肉の感覚」を持っている作品が、「私だけにこっそり教えてくれた物語」になるらしい。

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