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「本当のもの」

スタンドFMという音声配信アプリで朗読配信をしています。いい加減なものは配信したくないと思うと「数」は撃てないのですが、あきらめずに撃ち続けています。

短い時間で仕上げるなら「詩」かな…と、ときどき「ワンポエム」シリーズを配信します。
何回目かの登場ですが、ここしばらくは八木重吉。若くして亡くなった熱心なクリスチャン。
いつも神を思い、子どもを愛し、ときには自分の病気を憎み、ハッとするような短い詩をたくさん書いています。

友人からのリクエストもあって、重吉シリーズの最後に「本当のもの」という詩を読みました。
とてもさびしくて切ない詩です。少なくとも私にはそう思えます。

「本当のもの」 八木重吉
どうしてもわからなくなると
さびしくてしかたなくなると
さびしさのなかへ掌(てのひら)をいれ
本当のものにそっとさわってみたくなる

重吉にとって「本当のもの」は何だったのでしょう。厚く信仰していた神だったのでしょうか。
掌で触るという表現の対象は肉感的なもの、体温のあるものかとも思えます。

詩は録音してしばらく経ってから聴くと、(あれ?どうしてこういう読み方をしたかな。何だか違う。)と思うことがあります。
詩人の言葉は厳然とそこにあって、勝手な解釈はできないものです。それでも許される範囲なら、読み手が自身に引き寄せて受け取っても構わないものだろうと思います。
つまり引き寄せる自分が前と違う状況にあれば、読み方は自ずと変わってくる、と言えます。

「いまのも違う」「これも違う」と、何度も録音しました。私にとっての「本当のもの」を思い描きながら。作らない朗読にしようと決めて、何かを振り捨てたつもりで読みました。

最後に残った二つの録音を繋げています。
聴く人それぞれの思いで耳を傾けていただければ嬉しいです。

スタンドFM「ふだんぎ朗読」は⬇️のリンクからも飛べます。
八木重吉「本当のもの」

#ふだんぎ朗読 #詩 #八木重吉 #本当のもの

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