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【牧水の恋の歌】⑧ああ接吻

ああ接吻(くちづけ)海そのままに日は行かず鳥翔(ま)ひながら死(う)せ果てよいま

 前号に「『情熱がセオリーを越えている!』という表現を、牧水はしばしば繰り出す」と書いた。この歌の初句も、まさにそうだろう。「ああ接吻」で始まる一首を、成立させられる歌人がどれほどいるだろうか。


 短歌は、「ああ」という感動(それが大きなものであったり、ささやかなものであったりの違いはあるにせよ)が出発点となって生まれる。極端なことを言えば、すべての歌の前に「ああ」をつけてもいいくらいだ。逆に言うと「ああ」は助走なのである。なくてもいい。たった三十一文字の短歌において、二文字はまことに貴重な文字数だ。


 それをふまえての「ああ」だとしたら、よほどの説得力がないと読者は納得できない。そんな厳しい課題を自ら与えてしまった牧水の、みごとな答えが、第二句以降の見どころだ。


 恋の舞台である海は「そのまま」。日は行かず、つまり太陽が動かないとは時間の停止を意味する。空間と時間、すべてがストップしたなかで、鳥よ、舞いながら今このまま死んでしまえ、と呼びかける。鳥は、この恋の象徴だろう。


 どんなに素晴らしい恋も、永遠ではありえない。真理に抗ってこの接吻の瞬間を、なんとかして留めようとしたのがこの歌なのだ。


 牧水は成功した、と言えるのではないだろうか。一首には、接吻の神々しさが永遠に宿っている。

「書香」令和元年3月号掲載 書 榎倉香邨


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