甘い焼酎と苦いソーヴィニヨンブラン 「愛の不時着」ノート ③
第二話の冒頭、軍人のリ・ジョンヒョクが、かつてはピアノを奏でていた美しい指で、手作りの麺をこしらえる場面がある。行きがかり上かくまってしまった、まだ何者ともわからぬユン・セリのために。
ドラマには、数々の美味しそうなものが出てくるが、一つだけ食べられるとしたら、私はあの麺を望むなあ。丁寧に焼いて細く切った錦糸卵までのっていたっけ。他にも、貴重な肉を炭火で焼いてくれたり、豆を炒るところから(!)コーヒーを淹れてくれたり、熱くてセリが放り出したジャガイモを、素手で剥いてくれたり(手で持つところには皮が残っているというきめ細かさ)。とにかくリ・ジョンヒョクは、心のこもった食の扱いをする男である。
対するヒロインのユン・セリは、冷蔵庫に何の食材も入っていないところから、推して知るべし。二番手ヒロインのソ・ダンが、ク・スンジュンのためにお粥を作る場面も忘れがたい。思いきりよくお玉でバサーっと塩を入れる姿の凛々しさよ。その塩辛さから、クが貧しかった幼少期のことを話しはじめる流れは、しんみりする。
一方が、ことさらなこととしてではなく料理するのがいいし、もう一方ができなくても、別にがっかりされるわけでもない。性別関係なく、どちらも、たまたま。そういう空気感がドラマ全体に自然に流れているところが、いいなあと思う。
してもらうことの嬉しさ君が作る四分半のボイルドエッグ
北と南。客観的な食の豊かさで言えば、圧倒的に南のほうに軍配が上がる。けれど主観的な食事の美味しさは、誰とどんなシチュエーションで食べるか、そこにかかっている。
最も象徴的なのは、第四話だろう。部下である第五中隊のボーイズたちとユン・セリのために、リ・ジョンヒョクが貝を買ってきてふるまう。炎も豪快に、庭に敷いたムシロの上で直接焼く。「ブイヤベース以外の貝料理は食べたことがないわ」なんて言いつつ、おっかなびっくり口にするユン・セリ。さらにその貝殻を器にして焼酎を勧められると「困ったわね。シーフードの時はソーヴィニョン・ブランなんだけど」と、まだお高くとまっている。ところが一口飲んで「!」。「甘いわ。砂糖を入れた?」この一言に大笑いするボーイズたち。砂糖とは、驚きと美味しさを、まことに端的に伝える褒め言葉だ。キャンプファイヤーのような盛り上がりに、久しぶりに笑顔になるユン・セリ。彼女をチラ見して、楽しんでいることを確認するリ・ジョンヒョクからも、思わず笑みがこぼれる。互いの視線が交わる一瞬は、忘れがたい美しさだ。その視線を逸らされたことを、彼女は少し不満そうにする。恋のはじまりは「ココ!」とピンポイントではなかなか示せないが、二人が惹かれあい始めていることを暗示するには、充分なワンシーンだろう。
そして直後、心がホカホカするこの食事の場面にぶつけるように、南の財閥リ家の食卓が映し出される。鮮やかな対比である。豪華なダイニングテーブルに並ぶ料理の数々。席についているのは、財閥の長たる夫妻と、長男夫婦に次男夫婦だ。いたたまれないような殺伐とした雰囲気のなか、後継者は次男にするとの宣告がなされる。激しくののしりあう長男夫婦と次男夫婦。食卓がゴージャスであればあるほど、寒々しさが際立つ。
北と南。この場合どちらの食事が、ほんとうの意味で豊かなのか。見る者の目には明らかだ。
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
という短歌を詠んだのは、他でもない私だが、これも言うなれば「貝焼きのほうに一票!」という歌である。豪華なものでなくても、サラダが美味しいというようなささやかなことを嬉しく思えれば、それが幸せな食卓ではないかと思う。
ユン・セリが言った「ブイヤベースとソーヴィニヨンブラン(白ワイン)」は、後にもドラマに登場する。北朝鮮に身を隠しているク・スンジュンが、ユン・セリに偽装結婚をして逃げようと持ちかけるシーンだ。ロマンチックに蠟燭なんか灯して、膝をついて指輪を贈る。その夜の食卓のメインがまさに「ブイヤベース」。ク・スンジュンは、たぶん彼女の好みを知っていたのだろう。合わせた高級な白ワインを、ユン・セリは「少し苦い」と言う。あの日の焼酎の「甘い」とは対照的に。ブイヤベースのおかげで、逆に貝焼きの楽しさと豊かさを、セリだけでなく私たちも思い出すことになる。
【掲載写真二枚とも】「愛の不時着」エピソード4よりhttps://www.netflix.com/title/81159258