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【牧水の恋の歌】⑦海哀し

海哀(かな)し山またかなし酔ひ癡(し)れし戀のひとみにあめつちもなし


 最愛の女性小枝子と、千葉の根本海岸で新年を迎えた牧水。心身ともに結ばれた初めての旅だった。雑誌「新聲」明治四十一年二月号には「海よ人よ」と題された、ほとばしるような短歌四十六首が掲載されている。これは、その冒頭から二首目の作。


 まさに恋に酔いしれる牧水。その瞳には、天も地もないという。恋の嵐に巻き上げられて、全世界をぐわんぐわんと舞うような感じだろうか。
 海は哀愁を帯びている。山もまた……。しかし山のほうは「かなし」であるから「愛し」の意味合いも含まれるだろう。

 初句、第二句、第三句、結句と、「し」で終わる脚韻が効いている。初句と第二句で切れることは(結句も言い切り)、本来ならぶつ切りの印象を与えてしまうところ。それを「し」の音を貫き響かせることで、全体のトーンを統一している。「情熱がセオリーを越えている!」という表現を、牧水はしばしば繰り出すのだが、これもそういう一首かと思う。


「海よ人よ」一連には、海と山が何度も出てくる。海は目の前だからわかるのだけれど、山は「海の対」としての言葉かと思っていた。が、牧水が小枝子と散策したであろう海岸を、数年前に訪ねて、ようやく腑に落ちた。目の前に大海原が開けているのはもちろんだが、背後には山が迫る地形だった。観念ではない海と山を舞台に、恋の歌は詠まれていったのだ。

「書香」令和元年2月号掲載 書 榎倉香邨

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