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【牧水の恋の歌】⑨君かりに

君かりにかのわだつみに思はれて言(い)ひよられなばいかにしたまふ

 「わだつみ」は海の神。君よ、もし仮に、この目の前に広がる海の神に懸想されて、言い寄られたらどうなさいますか? という問いかけの一首だ。


 海の神に言い寄られるとは、一種の奇想だが、そうであってもおかしくないほど君が美しく素晴らしく、女神のように輝いているということだろう。最上級にほめたたえている。これほどストレートに相手をあがめる相聞歌は、どこか日本人離れしたスケールの大きさを感じさせるものだ。


 恋人のあまりの美しさに、海の神に奪われてしまうのではないかという不安、恋の行方への心配を読みとることもできるかもしれない。が、牧水は、この問いかけへの答えにも、自信を持っているのではないだろうか。もちろん、彼女の答えは「ノー」であると。つまり、今の自分は、海の神と争ったとしても恋の勝者になれるのだという全能感。そちらを読みとりたいと思う。


 根本海岸で恋人小枝子と過ごしたなかで生まれた「海よ人よ」の一連の中の一首である。ほんとうにこの一連は、ごちそうさまと言いたくなるような歌が、ずらっと並ぶ。すがすがしいほどに、愛を歌いあげている。


 昨年の宮崎での展覧会で、榎倉香邨先生は「いま私の心が根本海岸へ戻っていくのを感じています」と、お話になられた。先生の筆で、牧水の絶唱に命が吹き込まれる現場に、私たちは立ち合っている。

「書香」令和二年4月号掲載 書 榎倉香邨

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