【俵万智の一首一会①】耳を傾けるべきは心を流れる音楽
なめらかな肌だったっけ若草の妻ときめてたかもしれぬ掌(て)は 佐佐木幸綱
歌集『群黎』を読み返していて、この一首のところで手が止まった。ただ懐かしいだけではない。自分の歌の原点を見つけたような気がした。
「だったっけ」という口語の会話体は、自分がトレードマークのように活用してきたもの。いっぽうで「若草の」(妻を導く枕詞)というような古風な言葉の響きも大事にしている。そして「妻ときめてた/かもしれぬ掌は」という下の句七七における句またがり。これは大好きなリズムで、『サラダ記念日』にも頻出する。「いつ言われても/いいさようなら」「長いと思って/いる誕生日」「何か違って/いる水曜日」「言ってくれるじゃ/ないのと思う」「二本で言って/しまっていいの」……などなど。
「妻ときめてた/かもしれぬ掌は」は、「きめてた」で定型の区切りがくるので、一瞬、決めていたのかなと読者に思わせる。が、その直後に「かもしれぬ」が、たゆたいながら続くところが、まことに心憎い。リズムの揺らぎが、心の揺れと重なっている。妻と決めていたに違いないのだが、句またがりで「かもしれぬ」とかぶせるところに、なんともいえない含羞が表現されている。結句まで読めば「掌」の歌とわかるが、倒置によって「肌」が強調されているところも巧みだ。
私が短歌を作り始めたのは、早稲田大学で佐佐木先生の講義に魅せられたのがきっかけだった。先生の歌集は繰り返し読んだし、暗唱している歌も多い。が、それにしても、こんなにも直接的に影響を受けていたとは。この一首と出会いなおしたような気がした。
初めての歌集『サラダ記念日』が、思いがけずベストセラーになり、社会現象とまで言われた頃は、毎日が嵐だった。高校の教師をしながら、取材を受けたり、著者としての活動(サイン会や講演)をしたり。時間的にも肉体的にもギリギリの日々。そんななか、佐佐木先生と対談する機会があった。授業を終え、へろへろな感じで対談場所にたどり着き、たぶん対談中もへろへろだった私。別れぎわに先生が二つのことを言ってくださった。
一つめは「いろんな依頼があって大変だろうけど、短歌作品の依頼だけは断るな」である。正直、ええーっと思った。歌集が売れてからというもの、やたらと作品の依頼が来るようになり、もう限界だと感じていた。こんな状態で短歌を詠んで質を落としたくない、数は絞っても水準を保ちたい……と考えていた。が、今思うとそれは「逃げ」だし、本末転倒だった。歌集が評判になった結果、歌を作る時間が減るなんて。こういう状況だからこそ、無理にでも作歌の時間を確保することが大事だったのだ。それは、勘を鈍らせるなということでもあっただろう。実際、先生の教えを守った私は、どんどん歌を詠むことができた。
もう一つは「君は、心の音楽を聴くことができる人だから、何があっても大丈夫」。ブームともなると、いろいろなことを言われる。
妬みや、見当違いからくる意地悪だとわかっていても、まあそれなりに心は折れるもの。時代の寵児みたいなかたから「安心して。すぐに時代遅れになれるから」と言われたこともあったっけ。
時代がどうであれ、君は君の歌を紡いでいけばいいと、先生は言ってくださったのだと思う。耳を傾けるべきは外野ではなく、自分の心の中を流れる音楽なのだと。
(西日本新聞 2019年6月3日掲載 / 題字デザイン・挿画=北村直登)
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