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【牧水の恋の歌】⑩小鳥より

小鳥よりさらに身かろくうつくしく哀(かな)しく春の木の間ゆく君

 木々の間をゆく恋人の姿は、なんと愛くるしいものだろうか。ひらりひらりと歩みを進める様子をとらえた上の句に、牧水の愛に満ちたまなざしが溢れている。「哀しく」には、この時間が永遠ではないという、切ないあきらめのような響きがこもる。加えて、その頃の彼らの恋愛事情も反映しているのかもしれない。


 実は、恋人小枝子と結ばれた喜びもつかのま、その直後から、牧水の歌には不穏な気配が混ざるようになる。小枝子と下宿を共にしている従弟の庸三という存在が、牧水を苦しめはじめるのだ。大悟法利雄(牧水の弟子でもある研究者)の調べたところによると、絶唱を生んだ根本海岸への旅にも、庸三が同行していたというのだから、穏やかではない。


 疑心暗鬼から生まれた歌は、陰々滅滅としていて、牧水らしくない。そんななか、珍しく晴れ晴れとした一連が、第二歌集『独り歌へる』の冒頭にあって、掲出歌はその中の一首だ。小枝子を連れ出して、なじみの百草園(多摩丘陵の一角、日野市)へ小旅行をした時のことが詠まれている。明治四十一年四月のことだった。恋の悶着も小休止、といったところだろうか。


 小鳥、身かろく、うつくしく、哀(かな)しく、ゆく君……と、全体に響きわたるK音が、弾みつつもどこか乾いた印象を与える。まさにそれは、三角関係の中で捉えきれない恋人を描くのにふさわしい韻律だった。

「書香」令和二年5月号掲載 書 榎倉香邨

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