【牧水の恋の歌⑥】君を得ぬ
君を得ぬいよいよ海の涯(はて)なきに白帆を上げぬ何のなみだぞ
思いつづけていた人と、やっと結ばれた牧水。心は惹かれあっているのに、なぜか体の関係を拒みつづけてきた小枝子が、年末年始の旅行を承諾してくれたのだ。二人は、千葉の根本海岸で明治四十一年の初春を迎えた。感慨と感激と感動と。まさに三つの感極まる歌と言っていいだろう。
君を得た! という初句の簡潔な言い切りが印象的だ。『万葉集』の「われはもや安見児(やすみこ)得たり皆人の得難にすとふ安見児得たり 藤原鎌足」(私は安見児を得たぞ! 誰もが手の届かないという美貌の安見児を!)を彷彿とさせる喜びようである。
そして、これがゴールではなくスタートだと感じているところが素晴らしい。体目当ての思慕などでは決してない。いよいよ結ばれた二人の未来を思って、武者ぶるいしている牧水がいる。
果てしなき海へ向かって船出するという感覚。もちろん、海は穏やかな時ばかりではない。荒れ狂うこともあるだろう。一艘の舟に乗りこみ、帆を上げる二人。どこまでも広がる大海原を前にして、はらはらと涙がこぼれるのだった。純粋な嬉し涙か、はたまた、未来への不安に怖気づいての涙か。それさえも判断のつきかねる「何のなみだぞ」が、まことに初々しい。
この根本海岸への旅は、歌人牧水に、生涯を代表する歌群をもたらした。絶唱と言ってもいい数々の歌を、牧水は詠んだのである。
「書香」令和元年12月号掲載 書 榎倉香邨
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