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【俵万智の一首一会⑨】稀代のエンターティナー

落ちてくる黒板消しを宙に止め3年C組念力先生   笹公人

 笹公人は、第一歌集『念力家族』から一貫して、読者ファーストの歌人だ。もちろん大抵の歌人は、歌集を出す時には読者を意識するし、推敲には読者の目で見ることが大事だと言われたりもする。ただ、この人は、そういうレベルではない。読者をいかに楽しませるか。そこに賭け、結果「楽しませた自分」に、ようやく安堵している感じがする。


 短歌は一人称の文学と言われる。なにも書いていなければ主語は「我」。けれど笹さんの作るものは、印象としては三人称の文学だ。短いぶん、ストーリー性を持ち込むのは難しい詩型なのだが、笹作品には、たっぷりの物語がある。


 『念力家族』では、注射針を曲げてしまう念力少女、憧れの先輩の念写をする妹、陰膳に「おかわり!」と言う行方不明の兄などなど、クセの強い登場人物が目白押し。掲出歌は、3年B組金八先生を下敷きに、落ちてくる黒板消しを先生が宙で止めたという場面。いたずらを仕掛けた生徒たちの動機は、先生の念力を試すことだったのかもしれない。その後の彼らの驚きの表情や尾ひれのついた学園の噂話まで、この一首から楽しく想像できてしまう。

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 『念力家族』は2015年にNHKでドラマ化されたので記憶にある人も多いだろう。エンターテインメントであること、一人称から自由であること、ストーリー性があること。どれも短歌の世界では非常に珍しい。


 笹さんとはこの十年、「牧水・短歌甲子園」という高校生の短歌大会で、毎年のように宮崎でお目にかかっている。全国から集まる高校生たちの交流会が、夕飯時に行われるのだが、そこで恒例となっているのが、笹公人による出し物だ。本格的な衣装を身につけて「念力警察」を演じ、その年の短歌甲子園ネタを入れて笑いをとる。人を喜ばせることが、根っから好きな人なのだなあと思う。


 第四歌集『念力ろまん』には「宮崎の夜」という連作がある。


きれぎれに巫女のすがたのきみ浮かび湖底のごとき夜の境内

宮崎の夜道を歩くつかのまの卑弥呼・古墳で終わるしりとり

 神社や古代史に並々ならぬ関心を抱く彼の素顔が、おもしろの中にもチラリと窺えて貴重な一連だ。今年の七月に出版された『念力レストラン』からも一首ご紹介しよう。


ワンマン社長が付けたんだろッ居酒屋のダジャレのメニューに苛立っている

 ドラマの登場人物は、苛立つ客と、その叫びを聞かされる連れ、またワンマン社長と彼に逆らえない経営陣、ダジャレメニューを苦々しく受け入れる店長、そしてメニューを扱う従業員……。たった一首で、これだけの広がりだ。客は一人称ではなく三人称で読むほうが面白いだろう。観察しているシナリオライターの位置に、作者がいるのである。


 この本の帯の一節に、私は次のように書いた。「短歌は日本文化の米のようなもの。それがドリアにも炒飯にも寿司にもプディングにもなれることを、笹さんは教えてくれる。」 
 彼は「ハナモゲラ和歌」についての著作や出口王仁三郎歌集の選歌などの仕事も手がけている。短歌を狭い意味での和食にとどまらせない活躍から、今後も目が離せない。

(西日本新聞2020年10月2日掲載/題字デザイン・挿画=北村直登)

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