呼吸器シンガー相羽崇巨くんが遺したオミブレスのライブに参加して。 これまで誰も書きえなかった彼の新曲歌詞「筋ジストロフィー」

1月14日、名古屋の金山で1971年から愛される老舗喫茶店、ブラジルコーヒーで開催された音楽イベント「オミブレスの逆襲」へ。

12月20日に惜しくも急逝した相羽崇巨くんが遺したバンド、オミブレス(The Omi Breath)のライブ演奏をどうしても見逃したくなくて、高知県須崎市の現場から直行することを決めていたが、バンドの皆さんのご厚意で、僕も最後に1曲参加させて頂けることになっていた。

舞台のセンターには、相羽くんが生前愛用した電動車椅子が配置されると聞いていたが、介助用のワゴン車で実際にお母さんが運んで来たそれは、不在を強調する空の乗り物ではなく、今まさに着用されているかのような膨らみを持たせた彼の衣服や、お洒落して男前にきめた相羽くんの写真パネルでデコレイトされ、まるで本人がそこに乗って会場に到着したような、確かな温かみがあった。

加藤くん、後藤さんら、残されたバンドメンバーの皆、涙を堪えながら懸命に演奏した。
とりわけ、相羽くんの歌詞の全てを背負うことになった、もう一人のヴォーカリスト、モヨさんのプレッシャーは大きかったと思う。

相羽くんは、最も簡潔にして深遠な2020年のデビューアルバム「花笑みの日々に」のあと、多様なチャレンジを盛り込んだ新曲群を、蝉時雨など夏に由来する効果音で柔らかく包み込んだ2022年のセカンドアルバム「朱夏の約束」まで、猛スピードで成長を果たしながら駆け抜けたが、そこから次なるステップとして新たなメンバーと共に試行錯誤されていたハードエッジなロックサウンドを持ち味にするバンド、オミブレスの詩世界は、驚くべきものだった。

1曲だけ、未発表新曲の歌詞をここに紹介させてもらいたいと思う。
タイトルはそのものずばり「筋ジストロフィー」

筋ジストロフィー
作詞・作曲omi

筋ジストロフィー 最高の栄誉  
筋ジストロフィー どうやって料理してやろう
筋ジストロフィー 光り輝く勲章  
誰も授かることのない 俺だけの賜物だ

産声あげた瞬間から優勝している
一等賞は俺のもんだ 筋ジストロフィー 
この病が筋肉を犯すのなら 
俺も骨の髄までお前を犯し続けてやる
   
もう悲しむ暇なんてない  
不幸に中指 立ててやるぜ
明日が俺にピストルを 撃ち続けても 
全部かわしてやるぜ 覚悟しておけ

A型 B型 旧型 最新型    
俺はみんなが轟くディシェンヌ型だ
筋ジストロフィー 俺だけのトロフィー 
呼吸器アストラル 俺の相棒だぜ

1ミリも動けなくても あの娘を抱いてやるぜ 
呼吸が薄い暗闇でも 大きな屁でもこいてやらあ

たとえ完治する薬があっても 
俺は最後まで誘惑に手を伸ばすことはないだろう

だって十分すぎるくらい幸せなんだもん 
そんな浅はかに悪魔も大誤算だろう
出会うはずない真実には 神様でも手だしはできない
この体が音を上げるまで とめどなく暴れてやる

この病が筋肉を犯すのなら 俺も骨の髄までお前を犯し続けてやる

もう悲しむ暇なんてない 最後の最後まで出し抜いて果ててやるさ  
明日が俺にピストルを撃ち続けても 全部受け止めてやる 覚悟しておけ
たとえば今ここで朽ち果てたとしても
そこに残るのは後悔ではなくて 惜しみない笑顔だろう    
筋ジストロフィー 優勝だ

難病である筋ジストロフィーと、優勝杯を意味するトロフィーを掛け合わせたこの歌で、相羽くんの言葉は、かつてないほど生々しくダイレクトに感情を吐露し、社会の無関心から醸成される高く硬いバリアにひとすじの亀裂を入れようとするかのように、挑発的なうねりを見せる。
健常とされている人々の、半分以下の肺活量で、呼吸器を装着して歌い続けていることがすでに世界でも類を見ないことであり、その存在自体がオルタナティブな批評として機能していることを、相羽くん自身がどのように意識していたか定かではないが、彼の心を常に突き動かして来たように思える未達の感覚に、渇望に駆り立てられ、呼吸器シンガー相羽崇巨はここで、レベルミュージックとしか呼びようがないほど直截的な表現へと舵を切り、これまでの葛藤に満ちた人生の歳月を、闘病と冒険を、自らの来し方と未来を、力強く肯定しきっている。
これは最早、個人の歌であることを超え、あらゆる被抑圧者、見えざる闘いの渦中にある人々への福音に等しいものだ。
多言語版でも準備して、世界中の人間に突き付けたい、そんな革新的な表現が、僕の眼前にあった。

けしてミュージシャンとして長年の経験があるわけではなく、音楽イベントの観客同士として相羽くんと偶然に出会い意気投合したという小柄な女性、モヨさんが、全身でこの歌の真っ芯を掴み取り、最後の一節まで歌いきった。

「筋ジストロフィー、優勝だ!!!」

その直後、僕もステージに呼び込まれ、バンドメンバーのみんなが最も好きだという未発表の名曲「君が好き」を、一緒に演奏させてもらった。
この曲の詞もやはり以前より直接性を増しながら、しかし大らかで穏やかな彼本来の慈しみの感覚が聴き手に向けて注がれ続ける非常に美しい作品で、「好き」という言葉が、切なくなるほど何度も何度も繰り返される。
これまで一度でも、歌の中で誰かが、これほど真っ直ぐな愛情表現を与えられたことがあるだろうかと、思わずにいられなかった。

終演後、僕とはこの日が初対面となる共演バンド「ikoyi」や「電気うなぎ」の皆さんが、「みんな相羽くんのことが大好きだったんです。出会わせてくれた旅人さんに感謝してます」と言葉をかけてくれ、胸の内に温かいものが灯った。
「こちらこそ、相羽くんのおかげで、今日こうして引き合わせてもらって感謝しています」と返したその時、忘れてしまっていたことを、不意に思い出した。
2019年、彼の朗読詩の才能と、チャーミングな人柄に惹かれて、歌も作ってみることを薦めたが、その際に「相羽くん、音楽は友達がたくさんできるよ」と口にしたことを、彼の音楽仲間たちと実際に会えたこの瞬間、唐突に思い出したのだった。
「詩の世界は、ほんの一握りしか食えない過酷な世界だよな。それに比べると音楽は裾野が広くて続けやすいと思うし、場所や仲間も見つけやすいから、外に出かける機会が増えるよ」と、僕は知ったふうな口を聞いて、相羽くんに音楽を薦めたのだった。詩の世界のことを知りもしないくせに。
小説、戯曲など数ある言語表現の中でも、詩はある意味究極の領域を占めるものだと思うが、当時25歳の相羽くんが自らの筋疾患とせめぎ合いながら真摯に織り上げる生活実感に基づいた素朴で抒情的な朗読詩は、そこに密やかに格納された彼自身の固有の旋律を掘り起こすだけで、そのまま歌詞へと移行可能なものに思えた。

何が正解だったかは最早、判らないが、それ以降の4年間を相羽くんはミュージシャンとして生き、自らの詩世界を劇的に変容させ、たくさんの音楽仲間に囲まれながら、ひた走った。

今夜はその結晶のような素晴らしいイベントで、各出演者の暖かな友情が場に注がれ、終幕には笑顔の相羽くんが、自由に動かせなかったはずの腕でマイクを掲げ、ガッツポーズしている姿が見えた気がした。

しかしホテルに戻り、浅く眠って朝を迎え、横須賀への帰路に着く今、悲しみと、砂漠に取り残されたような乾き、喪失感は増してゆくばかりだ。あまりにも惜しい。悔しい。自分はやはり相羽崇巨という無二の人についてもっと掘り下げ、その輝く瞳を凝視して、なんらかの創作へと繋げていかなくてはならない。そう出来なければ、音楽に携わって来た意味がない。



◉呼吸器シンガー、相羽崇巨くんとの、これから。|七尾旅人 https://note.com/tavito/n/n61426e91d0b3?sub_rt=share_h


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