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モバゲーすげー


こんばんは。

プロフィールを書きます。

 こうやって日記みたいなものを書いていると、高校時代に流行っていた「モバゲー」を思い出します。懐かしいのでモバゲーのプロフィールを載せて見ます。

性格:マイペース自己中

好きな言葉:けいちやそ

好きな男性有名人:瑛太、温水洋一、唐沢寿明、阿部サダヲ

好きな映画:ライフイズビューティフル

好きな漫画:NARUTO

好きなスポーツ:球技

尊敬している人:友達

最近アツイもの:気温

とにかく主張したいこと:ガリガリじゃない、スレンダーだ。

 はい。しょーもないプロフィールですね。今読み返すとほんとしょーもない内容で、恥ずかしくなる。けれど、高校時代は楽しかった。「なんで楽しかったのかな」と振り返ってみると、人目を気にせず生きていたからかなと思うことがあります。今の私は、めちゃくちゃ人目を気にするんです。気にするようになった理由は二つあるのですが、今回は一つだけお話し、それを乗り越えつつある自分についても記していきたいと思います。

 それは、高校3年生の夏頃です。高校3年生の時はお友達のTくんとおしゃべりするのが好きで、恋愛の話から、部活の話、時には人生の話など熱く語り合う日がたくさんありました。青春ですね。その中で、Tくんと「我を通す、通さない」の話をしていました。詳細は忘れてしまったのですが、その頃の私は「我を通す」人間で、Tくんから「我を通しすぎるのは良くない、相手の話を聞く姿勢を持った方が良い」と言われたのです。Tくんは相手との関係を作る上で「傾聴力」が大切だと言うことを日頃の友達づきあいを例に解説してくれました。そして、私はこの話を聞いた時に今までの自分の思いやりのなさに深く反省をしたのです。それまでは「それは違う」「これが正しい」と自分の軸で人を判断し、会話をしていました。(今も人を勝手に判断してしまう時はあります。)この日を境に、自分よりも相手を意識するようになり、思いやりの気持ちが増しました。Tくんには非常に感謝していますし、人生のなかの重要な場面だったと今でも思います。

 しかし、相手を意識するあまり、次第に私は人目を気にしすぎるようになります。大学では、色々な方に出会う中で、自分と他人を比べたり、他人の影響を強く受けすぎたり、失敗を強く恐れるたりするようにもなりました。そして、自分の軸が良い意味でも悪い意味でもブレていき、自分がわからなくなります。相手を意識することは悪いことではないのですが、どこか心が解放されていない感覚があるのです。それは社会人になってからも同じで、悶々とした日々が続きます。自分がやりたいことはこういうことじゃないんだと営業車で昼寝したり、本を読んで時間を潰したりと本当に情けない生活でした。

 そんなある日、モバゲーをみました。「あぁ、あの頃は楽しかったな」と。そしてなぜ楽しかったのかを考えます。結論は「自分のことしか考えてなかった」からです。あの頃の自分は良く言えば、”自己肯定感”が強く、悪く言えば”自己中心的”だったのです。人目を気にしすぎるようになって相手を”意識しすぎる”ことの辛さを感じているとモバゲーの中の自己中心的な自分が強く、誇らしく見えるのです。そして、あの頃の自分が今の自分に必要なんじゃないか?とひらめきました。それから自己中心的な自分と相手を思いやる自分。この二つのバランスを考えながら、生活をしています。少しずつではありますが、人目を気にせずに自分がやりたいことに向かって生活できているような気がしています。(自己肯定感も思いやりの気持ちもまだまだ未熟です。)

 こうやって過去の自分を振り返ると、自分の変化に気づいたり、今の自分を省みたりできます。良い自己分析になるんなぁと思います。その中で自分の弱さや強さを知って、これからの自分に活かせるヒントが見つかるかもしれません。モバゲーが過去を振り返る良いきっかけをくれました。モバゲーすげーです。皆さんも一度振り返ってみてはいかがでしょうか。自分の根っこが見えてくるかもしれません。



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