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スパルタvs自主性


  最近、気になった動画がありました。下にリンクを貼っておきます↓

 「スパルタ指導の西村監督率いる福岡県立筑紫高校」と「自主性を重んじる谷崎監督率いる東福岡高校」。相反する指導方法をもつ二人の監督に迫った番組です。さて、どちらの指導が正しいのでしょうか。両監督の考えを動画から抜粋し、自分なりの考えをまとめてみました。

 まず、西村監督は結果主義です。厳しい練習や経験の先に、確固たる自主性が芽生えるという考えでしょうか。こんなことを言っています。

「熱いし厳しいでしょうね。けど強制的にでもやらせて結果を出させる。人間は甘えの動物だから、どうしても厳しい事を言わないと逃げてしまったり妥協したりする。この子たちが花園に行くためには鬼になる。」

 選手を思い、選手のために何がなんでも花園に行かせてやりたいという強い思いが感じられるとともに、人間は甘える”動物”だから厳しくしなければならないという考えもお持ちです。さらに「自主性を重んじていると時間がかかる。待たなければならない。」とも言っています。高校3年間で結果を出すためには、短期的な目線で指導に当たる必要がある。そのためにはスパルタでやるしかない。ということでしょうか。選手としては厳しい練習に耐え抜いた自信、その先にある勝利という喜びは何にも代え難い経験になるでしょう。また、その経験が将来の自分の背中をおしてくれるかもしれません。

 一方、自主性を重んじる谷崎監督は結果よりもその道のりを大事にします。

「与えすぎて嫌気がさしたらダメなんよね。腹八分目七分ぐらいで、もうちょっとしたいなという部分を残してやらないと。自主性・主体性というか本人たちのそういったものが出てこない。勝ちだけにこだわらない試合のプロセスを楽しむ。そっちの方を大事にしていく」

 勝つためにはどうしたら良いのか。と自分たちの力で考えてやり抜くことに意義があるとし、勝ちにもこだわるけれど、それ以上にプロセスを大事にしています。生きることも同じです。人生に勝ち負けはないし、正解もない。今をより良く生きるにはどうすれば良いか考えることが大事なんだと。若くして奥さんを亡くされた監督が考え至った指導の答えは、選手たちの楽しそうにラグビーをする姿によって正しいと感じさせます。

 両者は花園をかけた戦いでぶつかります。試合の結果は自主性を重んじる谷崎監督率いる東福岡高校の勝利。笑顔で勝利を喜ぶ東福岡高校。負けてしまった筑紫高校の選手たちは、監督に対して「すみませんでした。」と涙を流しながら謝罪をしていました。監督と選手が抱き合う様子は監督との絆によるものだとわかります。

 さて、どちらの指導が正しいのでしょうか。色々な意見があると思いますが、私の中の結論は、”自主性を重んじる指導の方が良い”です。

 なぜなら、スパルタ指導は子供の理解力を超えてしまった時に、子供の自己肯定感が低くなる危険性を孕んでいる思うからです。

 私は小学校の時に、ミニバスクラブ。中学校の時は、サッカー部に所属していました。どちらの監督も嫌いでした。なぜなら、ただ怒鳴るだけの監督だったからです。ー正確には、伝えようとしていたことは沢山あったのでしょうが私の理解が追いつかなかったことと、そんな私のレベルに合わせた指導を監督が提供できていなかったことで、ただ怒鳴っているだけの監督という印象が私の中で強く残ってしまったからではないかと思っています。また、小学生の頃は「違うだろ!こうするんだよ!!」「何回言ったらわかるんだ!」と怒鳴られ、本当にバスケクラブに行くのが嫌でした。「こうするってどうするんだよ。」と、理解ができないだけなのに、たくさん怒られました。このような状態が続くと、「どうせ、何をしても怒られるだけ。」という結論が私の中に生まれ、成長する気持ちがなくなり、大人の指導を聞こうとしなくなりました。さらに、バスケをしている自分に自信が持てなくなったり、失敗を極度に恐れるようになったりしました。失敗経験しか身につかないのです。このようにスパルタ指導は、子供の自己肯定感を低めます。(日頃、指導している中でも失敗経験の多い子は、活動に対してネガティブであることが多いです。)

 そして、このような経験をした後、私は大学の講義でこのような話を聞きました。その講義で聞いた話(確かリーダーシップの話だったような)によれば、叱られて伸びるタイプの人は叱られている事実に対して、”相手は自分のために叱ってくれている”と解釈できる人。その逆に叱られて伸びないタイプの人は”相手が叱っているという表面的な事実のみを受け取る”人だそうです。つまり、叱って伸ばす指導は、「なぜ叱っているのか」を相手が理解している必要があり、指導者が相手に理解できるように、その指導の意味を伝える技術を持たなければ、効果がないと考えることもできると思います。(うろ覚えなので確かじゃなければすみません)

 以上のことから、子供の理解力を超えたスパルタ指導は、子供を育てる上で自己肯定感を低めたり、指導したとしても指導の効果はほとんどないと私は考えています。指導者が子供の成長段階を理解し、上手に伝える技術があるのであれば、スパルタ指導でも良いでしょう。しかし、私は他人をすべて理解することはできないと思っています。それは自分をすべて理解してくれている人に出会ったことがないからです。それであれば、極度の失敗経験を子供に与えないためにも、スパルタ指導ではなく、自主性を重んじる指導を行う方が良いと思うのです。。

 筑紫高校の場合は西村監督の指導スキルが高いからこそ、このレベルまでチームを高めることができたのだと思います。誰でもできることではないと思います。たまには叱ることも大事だと思いますが、なるべく子供の成長段階を細かく評価し、伝える技術を磨きながら、笑顔で子供を育てたいと思います。

うまくまとまりませんでしたが、持論でした。(スパルタ指導を否定しているわけではありません。)

それではまた。


 


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