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「コーダ:あいのうた」について(ネタバレあり)

コーダ観賞後に連投ツイート衝動に捉われたけど、ネタバレ抜きに良さを語る事は不可能だったので下書き封印してたのを貼って仕上げてみる。

一投目

「コーダ:あいのうた」無償の自己犠牲だとか与えたり与えられたりとか、そういうのではなくて、愛とは形の無いものだから。とかいう言葉でもなくて。

(一投目を自分で補助すると、難聴者は難聴者が演じるべきといった流行りのポリコレ仕草だろ?と一瞥すらせずに毛嫌いするのは勿体無いですよ!という事だろう。というか、良さを言葉にしようとすると途端に安っぽくなるというかうまく良さを言い表せないからいいから観て!としか言えないというか。)

二投目

say purposeだったか、ヴィー先生に歌っている時はどんな気持ちがするか言い表せと言われた時、彼女は言葉で言おうとしたが自然と手話で表してしまった。これ。一番身近な第一言語が英語でなく手話という表現手法だというのは、言語獲得以前のプリミティブな人類が持ち得た云々

(このシーンは見事だった。このシーンは前情報無しに観て脳天直撃した方が気持ち良いのでここまで読んだ未視聴者の読者はさっさとブラウザバックして「コーダ:あいのうた」を観るんだ。はやく。)


三投目

断絶、断崖。
デフであれと願ったという告解。

(三投目の補助。というのも、この作品は協調とか調和とか助け合いとか感動モノの必須ミネラルが描かれているようでいて、ああ、完全に健聴者と難聴者で見える世界が違うんだなってコンサートのシーンで思い知らしめてくる。脳にナタを振り下ろされるような感覚を得られる。この世界からの断絶感がミソだと思う。外見は同じ人間、だけど健聴者と難聴者は全く別の者だ、それでいて同じ人間なのだ、という。Both Sides Nowに繋がる感性。
デフであれと願ったという告解、というのは後半で母親と主人公の娘がいざこざするのだが、その関係性が寛解するシーンで「あなたが産まれてくる時にデフ(難聴者)であれと願ったわ」と笑顔で告解して互いに笑顔で抱き合うのですアー言っちゃった!名シーン言っちゃった!僕はこのシーンがいっちゃん好きでした。両親と兄が難聴者で、次に産まれてくる妹も難聴者を望…む?んだ…そうか…と僕はズンってきたんですよ。ここは後で追記するかも。上手く言い表せない。それくらい良かった。だからこれ以上ネタバレする前にさっさとコーダを観るんだ)
(追記1:例えば、僕に子供が産まれてくるとしたら当たり前のように僕と同じような子供が産まれてくると思うのだろう。だが難聴者の子供を授かったと知ったら、僕は大きなショックを受けるだろうなと想像できた。感覚としてはそれに近い。健聴者が健聴者の子を授かるのは普通で健聴者が難聴者の子を授かるのは普通ではない。これを健聴者と難聴者を入れ替えれば事は単純になる。難聴者が難聴者の子を授かるのは普通で、難聴者が健聴者の子を授かるのは普通ではない、と。これはやや言いくるめに近くて本質からは遠い理解か。)


四投目、五投目

実はBoth Sides NowはI don't know〜からの"at all"が肝なんじゃないかなーと思う。片方から見た時はなんかしら思い込めるけど、両方から見るとまるで違っていて、結局全然わかんないやって事がわかるだけ、という。だけれど、それがLoveでありLifeであるのはわかる訳です。

全然わかんない。Loveとは何か、Lifeとは何か。全然わかんない、けれどそれがLoveまたはLifeだとわかる。それでいいのだ、というバカボン的帰結。

(四投目、五投目補助。何言ってんだかって感じですね。ハイ。)


六投目、七投目

あと健聴者と難聴者の物語だけど結局は健聴者のための物語じゃないかみたいな批判があるとか目にしたが、それはどうなんだろう?

健聴者の目線からの難聴者のための物語ってのは多分見当違いのものになるだろうし、難聴者目線で難聴者のための物語を描こうとしても中々うまくいかないとも思う。だからコーダ目線になっている訳だし。

(補助。始めにも書いたけど、本当にポリコレ仕草に害されてしまうのは勿体無いと思う。聾者が演者としている、いるがそれはこの作品をより良い作品にする上で彼らが必要だったのだし、手話の監督がいたりとそのよい作品を作る手順をしっかり踏んでいるし、何より助演男優賞を獲得したように演技が良いんですよ。ほんとに。生き生きしてた。聾者の役は聾者が演じなければならないというポリコレが先行していたのかそうでないのかは、あの演技の前ではそんなに大した事ではないと思える。健聴者ではできなかった、聾者だからできたとかでなくて、彼らだからあの芝居ができた。そう捉えたい。
 それと、なんかよくコーダの感動シーンで切り取られてピックアップされるのはクライマックスの試験のシーンなんだが、僕はどちらかと言うとあのシーンはそんなに好きじゃないんですよ。割とスーッと次へ次へと抜けていく圧があったように思えるし。あそこはどちらかというと聾家族のやんちゃコメディパート&有名大学の懐の深さの描写でもあるから、それこそすんなりとポリコレ仕草感があってそんなにこなかった。
 それより「俺のために歌ってくれないか?」ですよ。名シーンでした。ここのグッとくる感がラストまで駆け抜ける爆発力を持ってて、ホントにスァーーーーってラストまで抜けていくんですよ。アー言っちゃった!また言っちゃったよ名シーン。あーあもう知らない。首を締めてるようでいて、ただ真摯に肉薄し歌を聴こうとしているだけ!そんなシーンが他にあるかバーカ!最高!)


以上。あースッキリした。溜め込んでましたね、やっぱり出す時に出さんと知らず知らず溜まりますね。出してこ。

ではでは。

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