思い付きと捻り出し。2024/02/21

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直感と理性、どっちに従う方のがいいのか、みたいなのはよくある話で。直感ではYESだと思ったものも、よくよく考えてみるとNOに辿り着いたり、またその逆も然り、わりとよくあって、その度に、結局直感で思ったことが正しかった、となりがち。

人間には理性というものが与えられている。「人間とは考える葦である」というパスカルの言葉にもあるように、人間は理性を与えられたがゆえに、考えるという行為が可能だ。人間以外の動物であれば、直感や湧き出る欲にただ従って何かしらの行為をなすものも、人間は理性によってその是非や善悪を考え、それを元に行動を決定していくことが出来る。

それなのに、直感によって得られる判断や考えの方が正しいことが多々あるというのは、少しショックなことでもある。もちろん、人間は社会的な生き物でもある以上、社会規範や倫理観、道徳性などともうまく付き合っていかなければならない。そのため、理性によって防げることがたくさんあるのも事実だ。しかし、そういったケースではない場合、理性は邪魔になることも多い。せっかく与えられたものなのに、それが円滑な行動や意思決定の妨げになるのは、少し残念なことだ。

とまぁ、話のスケールが大きくなってしまったので、自分の話に戻ろうと思う。自分は、わりといつも何かしら頭で考えている方の人間で、無意識にボケーっとしている時間というのが、あまりない。意識的に無意識になろうとすることはあるが、無意識になろうと考えている時点でもうそれを考えてしまっている。笑

するとどうなるかというと、何をしていても、それとは関係ないことをふと思い付いたり、ひらめいたりということにしょっちゅうなる。例えばランニングをしているとき、いつだったかも書いた気がするが、自分は1人でランニングをしているとき、だいたい何かを思考している。「走る」ということしかやることがないので、脳が暇してるのだ。すると、その暇している脳が勝手に動き出して、急に脈絡のないところで何かをひらめいたりすることがある。急に面白い言葉を思い付いたり、野球の練習メニューを思い付いたり、また、過去のこんなことがあった、この人がこんなことを言っていたを急に思い出したり。ランニングしているときに限らず、この現象になることは他にもよくある。

そこで問題になるのが、このひらめきや思いつきは極めて短期記憶のものということ。あとになって、あれさっき何か思い浮かんだよな、なんだっけなんだっけ、すごいこと思い付いた気がするんだけど、、分からん、、ってなることがまぁーーよくある。本当によくある。

ミスチルの曲の歌詞に、

夕べギターを弾いて うとうとしかけた瞬間に
奇跡のメロディが降ってきて
だけど覚えてないんだ 昨日の夜の魔法を
あぁ なんてもったいない

『あんまり覚えてないや』/ Mr.Children

というのがあるんだが、まさにこういう状況。なんか降ってきたんだけど、忘れちゃった、なんだっけ状態。これが自分は、常にあれこれと思考が巡っている気がするから、思い付いたものがどんどん次へ次へと押し流されていって、どこか遠くまでいってしまうんだと思う。そんな感覚。

で、その度に、多分こんなようなことで、、と、それこそ理性を用いて当時の直感を呼び戻そうとする。
というわけだが、大抵、これは通用しない。理性によって今捻り出そうとしているものは、直感による過去の思いつきを超えられない。これはもう、そういうものなんだと思う。どれだけ頭のキレを鋭くして、色んな言葉や色んな価値観をひっさげて思考力をいくら磨いても、それを使って導き出した回答は、ポンッとふと浮かんできた思い付きには及ばない。悲しいが、そんなものだ。

それに気付いてからというものの、自分は思い付きと出会う度に、出来る限りそれを適当でもいいからメモに残すようにしている。これが案外いい効果を発揮していて、あとになって見返したときにその思い付いた瞬間の思考回路が、完璧にではないが蘇ってくる。このnoteなんかの着想は、だいたいその思い付きのメモから得ている。

アイデアにしても考えにしても、思い付きの種の消費期限は短い。常温に出しっぱなしにしてたら、すぐに腐って、どこかへ消えていってしまう。なので種が生まれたら、すぐに冷蔵庫にしまう、すなわちメモに残す。すると、ちゃんとそれを料理できるタイミングで取り出し、料理出来る。こうしてその種を元に、思考を巡らせてちゃんとそれを形にしていける、ということ。

これが出来るようになってから、恐らくだけど言葉の引き出しや思考の引き出しがかなり増えた。思い付きの種をちゃんと大事にする習慣を持つこと。これ重要です。


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