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ひきこもり先生シーズン2に最高のクリスマスプレゼントを貰った

友人たちに送った文章を、自分の勢いに任せてそのまま投稿します。
不特定多数に見られることを意識していない文章のため、配慮が足りない部分など至らぬところもあると思いますが、人(友人)に見られる、読んでもらうつもりでは書いていますので、温かい目でご拝読いただけたらと思います。

これは、私がいま伝えたい考え、想いです。



ひきこもり先生シーズン2 後編、感動。クリスマスイブにこの作品、この綺麗なまとめ方はズルい。2シーズン目って中々キビしいと思ったが、素晴らしかった。なんなんだろう。簡単には言語化できない。でも伝えたい。言いたい。知ってほしい。このドラマの感想を互いに共有したい。

シーズン1も中々の破壊力ではあったが、今回はパワーアップ感がある。メッセージ性が強まった気がする。社会への問いがより大きかった。より深い理解があったように思う。

「苦しいときは、言えばいい。」コレはとても重要だと思う。一方的ではなく双方間で。

弱みは見せ合った方が良いと思う。隠したり、誤魔化したり、我慢したりせず、正直な想いを共有したい。知りたいし、知ってほしい。苦しみや辛さを隠し、自己解決が美徳という価値観はあると思う。でも、人の弱みや苦しみを知ったとき、より深い関係性を気づけると思う。弱みも苦しみも、当たり前に吐露できる場所。苦しい、辛い、寂しい、助けてほしい。それを弱音や愚痴と片付けず、みんな苦しいと我慢させず、ネットにあげて流し見されるだけでなく、ヒト対ヒトでどの場所でも言い合える環境を見てみたい。それが普通となる社会を見てみたい。

自分の率直な感情を空気を読まずどんな場所でも吐露することを、自己中心的と捉えられる。そういう価値観も確かにあるはずだ。でも、話聞いてほしいときに「聞いてほしい」、寂しいときに「寂しい」、悲しいときに「悲しい」、甘えたいときに「甘えたい」、と正直に言うことはとても大切だと思う。そんなに我慢しなくてもいい、と思う。言えなかったり、気を使ったりで、言えないと余計に苦しくなる。その想いに答えてくれる優しい人々は、そんなに少なくないはずだ。

それは、休みたいという想いを同意だと思う。行きたくないも同意だと思う。ちょっと休みたいとき、「ちょっと辛い・苦しいから休みたい」と言えばいい。行きたくないなら「辛い・苦しいから行きたくない」と言えばいい。周りに迷惑をかけるとか、そんな自分が辛い・苦しい状況下でも、周りの人々に気を使わなくてもいい。安易に言える環境が大事なはずだ。

支えてくれる人がこの世に一人も存在しないなんてないはずだ。どんなあなたであったとしても、手を差し伸ばしてる人やいつでも差し伸ばそうと心構えてる人はいるはずだ。どんなにこの言葉が綺麗事だとしても、どこかには必ずいると信じたい。

ハイコンテクストカルチャー(高文脈文化)≒空気を読む文化のニッポン。素晴らしい側面を持つ文化であると同時に、多くの人を苦しめる文化でもあると思う。この文化のことを、辛い人々がいることだけを理由に全否定するつもりは全くない。でも、以心伝心という言葉を深く考えてほしいとは思う。

「以心伝心」 ことばでは表わせない悟りや真理を心から心へと伝えること。

(出典: 精選版 日本国語大辞典 コトバンクより)

ことばでは表せないことを伝えること。すなわち、言葉(会話)がある・あったその前提の上で、口で言わずとも相手に通じるということだと思う。空気を読むのも、言葉で伝え、言葉で知り、その上で、その先に通じ合う”何か”があるという素晴らしさこそ、ニッポンの文化であってほしいと願う。


(カバー画像引用元: NHKオンライン「ひきこもり先生」より)

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