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考え、語る。『ひきこもり先生』を見た元不登校のワタシ

今、不登校ふとうこうの子どもたちへ。
もしこの文章ぶんしょうんでいたら、わたしはとてもうれしい。たすけたいなんて烏滸おこがましいし、無責任むせきにんなことを私はえないが、ただこのページをひらいてくれたこと、本当ほんとうにありがとうございます。

 

1.『ひきこもり先生』

現在放送中のNHK土曜ドラマ『ひきこもり先生』を皆さんはご存知だろうか?

佐藤二朗さん演じる元ひきこもりが、不登校生徒のためクラスの非常勤講師になるというドラマ。

そのドラマの第一話を録画で見た。感想を一言でまとめると、「リアル」である。

ネタバレを少々含むが、学校・家庭の現実が実にリアルだ。
居場所のない子ども。「なんで私なんか生んだの」と、自分自身を否定する子ども。全く理解してない、逆を言えば絶対に理解できない、押し付けがましい大人たち。

担任たちは不登校の生徒にまで気を使う時間などなく、目の前にいる生徒たちの相手をしているだけで精一杯な現状。

不登校生徒ゼロや、保健室登校・授業の中抜け等に利用する為の場所ではない。など、理解していない自分都合の大人たち。

(※保健室の話は、ドラマではなく、私が実際に見た保健室のデスクにあった紙のお話)

その一つひとつの描写が、とてもよく分かる気がする。

 

2.不登校のカンカク

大人は皆、「なぜ?」を子どもに求める。
 

「なぜ、学校に行きたくないのか」

自論だが、不登校に理由なんて必要は無いと考えている。

「その原因を解決して、学校に行きましょう」という考え方自体が可笑しく、そこまで強制するのが学校ではない。

義務教育がなんだ、将来がなんだ、良いじゃないか。

死ぬより。


自殺しようとしたことは無いが、「死にたい」や「今重い病気に掛かりたい」と思ったことは、1度や2度くらい、誰でもあると私が勝手に決めつけるが、どうだろうか。
 

私は何度もある。
 

だが、自殺する子どもたちを批判したい気持ちは全く無い。

と言わせて頂く。自殺にも様々な価値観があり、ネット上では色々あるので、私を守るためにも、明確に書き残す。


自分で言うのは「お前が言うな」だが、不登校の子どもたちは、良い子だ。

今まで出会ってきた不登校経験者たちは、皆そうだった。
だからこそ、自分で抱え、自分を責めて傷つける。

現代では、ネット上のイメージから、「不登校」という言葉だけが悪い方ばかりに行く。
親の責任。などなど色々あるが、きりないので、やめておこう。
 

別に言わせておけ、なんにも知らないくせに。
 

でも、一部が目立つだけであって、大多数はそうでは無い。
少なくても私の周りでは。

世間から後ろめたさを持つ不登校の子どもたちはたくさん居るであろう。
元不登校の方々でも、なかには居る。

私には、一切の後ろめたさが無い。生意気ながら。
何故なら、私の周りの方々や、様々な考え方を教えてくれた本のおかげだ。

学校行かないことを、なんにも知らない奴らにとやかく言われる筋合いは無い。

あなた方は、この生きづらさや苦しみを知らないから。

不登校の傷に塩を塗りたいなら、まず自分のギズに絆創膏でも貼って直せ。


3.魔の言葉「不登校サポート」

Twitter上でよく見かける、「NPO法人」・「不登校サポート」

批判したいワケでは無いが、本当に不登校の子どもたちと向き合おうとする気はあるのだろうか。


不登校の子どもたちは、人間不信になる。

『学校に行け』と言われるんじゃないか恐怖症だ。

どんな人に対しても言える。親、親戚、近所の人、クラスの人、学校の人、そこを歩いてる全く知らない他人。

誰に対しても、怖い。
学校から電話が掛かってきたらもう恐怖。

そんな精神状態で、Twitterの「助けますよーおいでおいで」っていうのを信用するのか。
 

私の今までの経験上はゼロ。

その経験とは、アカウント公表はしていないが、別名でそういう元不登校アカウントを持っている。

何度かnoteに記事を投稿したり、Twitterで色々言ったりしていた。(過去形)

でも、だっっれからも、「助けて」なんて言われない。
そんな簡単に人を信用しないのが現実。元不登校なんて言葉は、今の不登校の子どもたちにとっては恐怖でしかない。

だって、「元」ということは、学校に行ってる、行った人。

学校に行きたくないのに、学校に行ってる、行った人に、わざわざ言わない。

元をたどれば、自分で抱え込む子どもたちなのに。


4.いつまでも待つわ。

だからこそ、今回の『ひきこもり先生』というドラマを語ることができる。

ひきこもり先生は、「なぜ?」を聞かない。無理強いしない。

そこが素晴らしい。
「子どもを待つ」という一番うれしいことだ。

不登校の特に人間不信な時期は、社会や大人などに対する反抗心が強い。

社会なんてクソ。大人なんてもっとクソ。と思っている人も中にはいる。(またまたTwitter上の経験から)

そんな心を閉じようとしているときに、泥まみれの土足で上がってくるヤツは受け入れるワケがない。だから、「待つ」が重要なんだ。

私だって、親に心を閉じた時期がある。親が悪いワケではなく、本当の想いを口に出すのが怖くて。

信用できる人になら、時がくれば必ず、自ら話すであろう。

 

6.元不登校として。

先程、"何度かnoteに記事を投稿したり、Twitterで色々言ったりしていた。(過去形)"と書いたが、これはまさにこの「待つ」に気づいたからである。
(と言い訳したいだけで、自分も精神的にキツイ時期だから。)

実際に悩んだのは、「どう向き合うべきか。」

おいでおいでコアラ状態だった過去のボクは、元不登校レッテルを使った土足野郎だったと振り返る。

元不登校の後輩と喋ったときに、気付かされたことがあり、そこからスゴく悩んだ。

助けてと心の中で叫ぶ子どもたちに、ワタシは何が出来るのだろうと。

DMで親御さんとお話することもあった。でも、そのお子さんとお話するところまでは出来なかった。

でも、この「ひきこもり先生」のたった一話を見て、確信ができた。


徹底的に待つ。その大切さと暖かさを。


もし、最後まで読んで頂いた子が居れば、私は待ちます。

いつでも、いつまででも、待ちます。

どんな形でも良いです。待ってます。

  

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