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【ネタバレ注意】『あの夜で会えたら』 Day1の感想

 今作、『あの夜で会えたら』は、前作『あの夜を覚えてる』のような、大きく「ラジオ好き」「オールナイトニッポン好き」という作風ではなく、「推し・ファン」というところがポイントだったように感じる。

 休憩有りの二部構成。一部がリハーサル(設定)、二部が本公演(設定)。(リアルの)公演開始前、客入れ段階から既に物語は始まっている。ライティングや、スクリーン、舞台設備など、リハのような雰囲気が巻き起こりながら、開始時刻(リアル)が近づくと、段々と演者が登場する。そして、ほぼ境目なく、物語(公演)はスタートする。

 物語の進行(メインストリー厶)は主にステージ外で巻き起こる。舞台袖・楽屋・通路・ロビーなどをカメラがリアルタイムで追っかけて、それがステージ上の3つのスクリーンで映し出される。会場ではスクリーンでストーリーを追うことになる。

(※左右とセンターのスクリーンで色味が違い、センターは明るさと彩度が高く感じた)

 物語各所にラジオネタが散りばめられていた。その量は前作より大幅に増えたように感じた。だがしかし、あえて遠慮なく辛く言うなら、感動は(前作に比べると)薄かった。

 藤尾亮太から綾川千歳へ、ラジオ局のラジオ放送からイベント会場の番組イベントへ、と変わったことにより客体性が、単純な「ラジオ好き」から「綾川千歳のANNN好き(という設定)」を求められるようになった。前作では「ラジオ好き」として、フィクションではあるが、「リアルな生放送局内事情を覗く」という面白さがあった。比べて今作は、客でありながら、裏を見る。「架空の番組イベントの客」としての客体性を維持しながら、リアルなら絶対に見れない、舞台裏の様子(ストーリー)を観察することになる。それが私には結構難しかった。

 前作、前作上映会で感じた、「みんなラジオ好き」という一体感。今回も「笑い」という面では強かったが…。上映会終了後のフォーラムからの退場時に感じたアレが恋しい、というより、アレに囚われている。自分を無批判に作品を批評はできないが、「二番煎じ」感をどうしても感じる。二作目の難しさでもあるとは思う。

 2階前方から見たとはいえ、今回は精神的な作品との距離を感じた。没入感、感情移入がしにくかった。隣の席の方はボロッボロ泣いていたから、ケースバイケースとはいえ、逆にそこでもギャップ(距離)を感じる。前回はコロナ渦の閉塞感も相まった。スクリーンも大きいとはいえ、リビングのテレビ、眼の前のパソコン画面には敵わない。

 明日も行く。明日はどう見えるか楽しみだ。


追記: 2023/10/15 2:56

“「架空の番組イベントの客」としての客体性を維持しながら、リアルなら絶対に見れない、舞台裏の様子(ストーリー)を観察することになる。それが私には結構難しかった。“

 上記引用について、家でゆっくりパンフレットを読みながら、再考察した。そもそも論で、私は舞台に苦手意識がある。後半にかけてのミュージカル的な演出にどうしても拒否反応が出る。前作に比べると演劇・舞台色が濃いからかもしれない。そんな中で、色々な「自分」がぶつかりあったのだと思う。

1.「あの夜というフィクション(物語)を楽しみたい自分」
1-2.「ラジオファンとして楽しみたい自分」
1-3.「作品を客観的に見て虚実を楽しみたい自分」
2.「綾川ANNNのリスナーの心情になる自分」
3.「ドキュメンタリー・メイキング好きな舞台裏を楽しみたい自分」
4.「舞台演劇の苦手意識で冷めた目線で見ている自分」

 明日(明けて今日)は、ストーリーを理解した上で、もう一度見る。いろんな自分がぶつかることも理解した。その上で、どう見えるのか、どのような感想を持つのか。明日、総括したい。

 興奮冷めあらぬ(アドレナリン)で、全然寝れないが。

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