見出し画像

時には自分を棚に上げて

迷っている若者たちと話す夕暮れ。
迷える組織の今だから、誠実な若者ほどより迷う。

組織の向かう方向に違和感を覚えながら、でも組織の中での正解を気にしてしまう。
(それは仕方ないよね)

何かおかしい。でも、自分にそれを言う資格があるの?
矛盾する思いを、自分の中で折り合いを付けることは苦手じゃない。むしろ、そういった「いい人」性で僕らは生きてきた。
表向きにはいい人が多い組織。皆、困ったように微笑むけれど、どこかに嘘があるような気がする。
そして自分の中にも、その嘘は含有されているよう気がするから、誰かに異を唱える事は結構難しい。

「自分を棚に上げないと、互いに影響し合えない」

そう言って、開き直ったのは若い頃のソウルフラワー中川敬。

自分がギターが下手だからって、それで仲間のプレイに対して思ったこと(主に文句)を言わないのは嘘だし、逃げだと。

その言葉は大学生だった僕の心に「ソウルフラワー理論」として深く刻まれた。

そうなんだよ。
立派なディレクターやプロデューサーにならないと誰かを批判できないのなら、僕らは永遠にぬるく褒め合うだけなんだ。

無理に人を傷つけることはないけれど、何かを作る人間なら、批判されることも、批判することも、恐れないで。

慎み深い君が感じた違和感はきっと当たっているはずだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?