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茨城アストロプラネッツの伊藤監督に会いに行く

朝6時半。久しぶりに車を出して住吉駅へ。
7時15分。A4出口で、安倍さんを迎える。
安倍さんは、流しのブルペンキャッチャーの安倍昌彦さん。めっちゃ久しぶり。

後輩と3人で向かったのは茨城県の笠間市営球場。そこで伊藤悠一監督が指揮するBCリーグの茨城アストロプラネッツのキャンプが行われている。

伊藤君はディレクターの後輩。東京五輪に向かう日々、たくさんの陸上の番組を作った。
静岡局に転勤になって、久しぶりに連絡があったかと思うと、監督の公募に合格したから退社すると言う。後輩からの退社連絡は最近多いけど、野球の監督は初めて。びっくりした。

流しのブルペンキャッチャー安倍昌彦さんの特集を作ったのは2006年の冬。35歳。今の伊藤君くらいの年。楽しかったトリノ五輪が終わって「何か違うこと」をしたいと思いながら、それを見つけきれずにいた頃。誰にでもできるような仕事はしたくない。変な仕事を当てるなよ。そんな気持ちでネタを探していた。

当時の安倍さんは今の僕くらいの歳。キャッチャーミットを持ってアマチュア投手を訪ね、自ら球を受けて、その人について書く。そんな素敵なスポーツライターだった。その言葉は熱く、そして暖かい。僕はサンデースポーツで10分くらいの特集を作って自分でナレーションを読んだ。
プロで活躍する投手の、無名時代の話を聞くのが好きだった。「あいつは、あぁ見えて弱いやつなんですよ」栄光の今ではなくて、何者でもなかった時にこだわる、そのあり方に影響を受けた。ミットひとつで、旅をするように生きる、その感じにも。

今は60代後半の安倍さん。車の中で色々な話を聞かせてくれる。
プロの経験の無い人が監督になるって、選手にとってはどうなんですか?
僕は、そんな事を聞いてみる。
ちょっとネガティヴな角度から入るのは僕の癖。
安倍さんは、うーんと考えてから言った。
や、独立リーグの選手はそんなに気にしないかもですね。彼らにとっては、勝利よりも、自分がプロ野球に行けるかどうかが大事なんで。そんなような事を教えてくれた。
なるほど、と僕は思いながら運転を続けた。
家族以外の人を乗せて運転するのは、ちょっと緊張する。

笠間市営球場に着くと、もう練習は始まっていた。数人の取材陣。選手が挨拶してくる。スタッフっぽい人と話してると、伊藤監督が現れる。
ユニフォームにサングラス。その姿は様になっていると後輩が言い、確かにそうだった。

花粉の飛ぶ球場で朝9時から12時までのトレーニング。安倍さんはチームにもらったメンバー表を見て「あぁ、あいつ今ここにいるのか」と驚いたり、感慨深げだったり。

こいつは本当に凄い選手だったんですよ。
この子は、もっとやれるはずなんだけどな。
安倍さんの頭の中には、数千人を越える選手や元選手がいて、その選手の中学時代、高校時代、監督との関係。いくつかの転機がすぐに語られる。そして、安倍さんなりの「かつての未来像」と「現在地」がある。ひとりひとりに対して、まるで親戚の子や、後輩のような「引っかかり」がある。
本当はもっと出来たはずなのに。
その情報と感情の量は本当にとんでもない。
夜空の天体の、全てを知っている人のよう。
佇まいは年老いた刑事コロンボのようだけど。

練習の半ば、伊藤監督は自らバッティングピッチャーを務める。チームは投手の肩を大切にしていて、安易にバッティングピッチャーをさせないのだとか。時に苦労しながらストライクを投げようとする伊藤監督。一般公募で選ばれた経緯も含めて、チームには何かを変えようとする意気込みが感じられる。全てがうまく行ってるわけでは無いだろうけど。

昼過ぎ。練習終わりに、僕らは伊藤監督と少しだけ話をした。
「目的と目標」
そんな言葉を伊藤監督は口にした。
チームで勝利する優勝するのが目標で、選手をより上のステージに立たせる事が目的。
その為には、普通のチームの監督とは違う動き方が必要になる。ただ勝利の為では無く、いかに選手を成長させるかの為の采配。

それは去年、阪神の矢野監督から聞いた言葉にもちょっと似ていて、いくつかの感情と論理がよぎる。
でもそれよりも、その言葉を確信を持って語る伊藤君の姿に圧倒されたのも事実だ。
その淀みの無さに、彼がどれだけその事を考え続けてきたかがわかる。
ディレクターの伊藤悠一は、そこにはいなかった。

You go.
I’m past.
So,just go.

BLUE GIANT EXPLORERの第2巻。
アメリカで車を手に入れて、新しい街に旅立つ主人公に、ケバブ屋台のオヤジがかけた言葉を思い出す。

君は行く。
僕は君にとって過去になる。
だから、行け。

ディレクターだった伊藤君が野球の監督になったのではなく、野球の監督となる道の途中で、僕は彼に出会ったのかもしれない。
若者が通り過ぎていく時に、いつも心をよぎる感慨をもう一度抱く。
僕は彼らにとっての過去だ。

笠間名物の蕎麦を食べて、行きよりも長い時間をかけて僕らは帰った。車の中で後輩と仕事の話をしながら、渋滞の中ノロノロ走った。後輩も色々考えている。

道なき道を行く。
そんな風には生きてこなかったな。
帰り道。僕らの人生は気楽な帰り道だと歌ったのは甲本ヒロト。
まぁ、それもいいけれど。

安倍さんを芦花公園に送って、僕はもう一度渋滞の高速道路に乗った。
今の僕は、あの頃の安倍さんの年。
そんな風にいつか僕は今日を思い出す。

You go.
I’m past.
So,just go.

僕も僕を過去において、前に行く。

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