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F1タイヤ供給シリーズ(1)/通算175勝した日本のブリヂストンタイヤ(1997年〜2000年)

こんばんは。
自動車でもバイクでも縁の下の力持ちなのがタイヤ。


モータースポーツには興味ない人でも、このカテゴリーは聞いたことあると思います。


『F1』フォーミュラ1の略


かつて参戦したタイヤサプライヤーより4つのメーカーを私なりに紹介致します。


今回は、BRIDGESTONE です。がこの回は、2000年までを紹介します。
2001年以降は、また別途にて。


ブリヂストンタイヤの参戦歴

1976年、1977年 F1世界選手権 イン ジャパン

1976年 ヒーローズレーシング No.52 星野一義
1977年 コジマエンジニアリング ヒーローズレーシング
    No.51 高原 敬武 No.52 星野一義

1996年 鈴鹿サーキットなどでF1用タイヤテスト走行を行う

1997年  F1フル参戦(4チームに供給)
グッドイヤーとの日米タイヤ戦争が本格的に始まる
     最高位2位

1998年 6チームに供給。
    開幕戦で初ポールそして初優勝。
    参戦2年目にてチャンピオン獲得。
    グッドイヤー、F1から撤退
    ポールポジション 13回 / 優勝9回
    

1999年〜2000年 ブリヂストンタイヤのワンメイクになる

2001年 ミシュランタイヤ、1984年以来のF1復帰。
日仏タイヤ戦争の幕開け、ブリヂストンは6チーム。
ポールポジション 13回 / 優勝 13回

2002年 5チームに供給。
ポールポジション 10回 / 優勝 15回

2003年 5チームに供給。
ポールポジション 8回 / 優勝 9回

2004年 4チームに供給。
ポールポジション 12回 / 優勝 15回

2005年 3チームに供給。
ポールポジション 1回 / 優勝 1回

2006年 5チームに供給。
ポールポジション 7回 / 優勝 9回
ミシュランが、この年で撤退。

2007年〜2010年 再びブリヂストンタイヤのワンメイク
2010年を最後に、F1から撤退


1996年 

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1996年6月6日、鈴鹿サーキットにてテストを開始。マシンはリジェが、1995年に使用したJS41を赤と白のカラーリングに変え、ドライバーはリジェチームに参戦したことのある鈴木亜久里が。ヨーロッパのテストでは、ヨス・フェルスタッペンなどがドライブし、3ヶ月で約8000kmの走行。

そして、参戦開始だが当初は1998年だったが、1年前倒しとなり1997年から参戦。


1997年(F1フル参戦1年目)

ブリヂストン、F1でのフル参戦開始となり、タイヤ供給は開始チームに。アロウズ・プロスト・ミナルディ・スチュワートの4チーム。
この年ローラも参戦してたが開幕戦予選落ち。その後、スポンサーの撤退により、チームも撤退となったので、カウントには入れていません。

この年からグッドイヤーとの日米タイヤ決戦が始まる。

タイヤの耐久性や摩耗性などもよく、信頼性も素晴らしかったブリヂストンは開幕戦で、新規参戦チームのプロスト・グランプリのパニスが予選で4位、決勝で5位入賞と幸先良いスタートし、第2戦ブラジルでもパニスが3位表彰台。伝統のモナコでは、同じく新規参戦チームだったスチュワートのバリチェロが2位、パニスが4位とブリヂストンユーザーにおける2台以上の入賞は、これが初。

そしてスペイングランプリ

予選での最上位は、パニスの12位だった。
グッドイヤーは新型のタイヤを持ち込むもブリスターが発生など信頼性に問題が出てドライバーによって苦戦も。逆に信頼性が良かったブリヂストンは2回のピットが功を奏し、パニスが2位を獲得。ブリヂストンとしては3回目の表彰台。

だが、レース経験の多いグッドイヤーの優位は変わらず

カナダからドイツまで表彰台に上がれず、
カナダでは中野信治(プロスト)が6位、イギリスでは1996年チャンピオンのデーモン・ヒル(アロウズ)が6位、ドイツでパニスの代役としてミナルディから移籍したヤルノ・トゥルーリ(プロスト)が4位だった。

そしてハンガリーグランプリ

デーモン・ヒルが予選3位、レース序盤でヒルがトップに浮上しそのまま走行、一度フレンツェン(ウィリアムズ/GY)にトップを奪われるが、そのフレンツェンはトラブルでリタイア。再びヒルがトップになる。ヴィルヌーブとの差を30秒近く開き、ヒルの久しぶりの優勝するかと思われたが、終盤にマシントラブルでペースを落とさなければいけなくなり、残り1周でヴィルヌーブに抜かれた。結果ヒルは2位、ブリヂストンは1997年最後の表彰台となりました。

ルクセンブルクグランプリでペドロ・ディニス(アロウズ)が5位、オリビエ・パニス(プロスト)が6位と2台入賞するも、ブリヂストン勢としては、1997年最後の入賞となった。

1997年 結果
予選最上位 3位 
デーモン・ヒル(アロウズ)/ハンガリー
オリビエ・パニス(プロスト)/アルゼンチン
ルーベンス・バリチェロ(スチュワート)/カナダ
ヤルノ・トゥルーリ(プロスト)/オーストリア
決勝最高位 2位
ルーベンス・バリチェロ/モナコ
オリビエ・パニス/スペイン
デーモン・ヒル/ハンガリー


1998年 

1998年、ブリヂストンタイヤフル参戦2年目はマクラーレンとベネトンにも供給。そして溝なしのスリックタイヤから、溝つきのグルーブドタイヤへと、レギュレーションが変更。前輪が3本線、後輪が4本線。Grooveとは溝を掘るという意味。

なぜかというと、街なかで走行してる自動車のような排水などを目的とした為の溝ではなく、タイヤの接地面積を減らしてグリップ力を低下させ、F1マシンのスピード(コーナリングスピードを制御)を低下させるために導入したもの。

1997年は、優勝争いはしたもののグッドイヤー勢の全勝で終わった。
98年は、マクラーレンとブリヂストンのパッケージが、とても良くテストから好調。開幕戦でマクラーレンは、ワンツーフィニッシュを果たし、3位以下を周回遅れにさせる圧勝。そして第2戦でもマクラーレンはワンツーフィニッシュ、3位のミハエル・シューマッハに1分以上の大差をつける結果。対するフェラーリは、ワイドフロントタイヤなどの開発をし、進化させ、マクラーレンに対抗してきた。

この年、ブリヂストンユーザーのポールポジションは13回
マクラーレンが2人合わせて12回、ベネトンのフィジケラが1回
対するグッドイヤーユーザーのポールはミハエル・シューマッハの3回。

決勝においては
ブリヂストン勢の勝利したのはマクラーレンのみ
(ハッキネンが8勝、クルサードが1勝)

グッドイヤー勢は、ミハエルシューマッハが6勝とデーモン・ヒルの1勝

そして、ブリヂストン勢が表彰台に上がれなかったのは
ベルギーとイタリアの2レースのみ。
ベルギーはディニスが5位、トゥルーリが6位

イタリアではハッキネンが4位。

ブリヂストンにとってフル参戦2年目で
初ポール、初優勝、そしてワールドチャンピオンを達成。
マクラーレンは、1991年以来のダブルタイトル。

そして1964年から35年間参戦したグッドイヤーは、この年で撤退。


1999年/2000年

1999年と2000年は、ブリヂストンのワンメイク(独占供給)となった。
また前年となる1998年からグルーブドタイヤが導入され2年目、99年は前輪も後輪同様に4本線になった。

1998年最終戦が終わってすぐに、全チームが鈴鹿サーキットでタイヤテストを実施。

1999年、タイヤの使い方そしてマシンとタイヤのマッチングが、より重要となったシーズン。マクラーレンは速さはあったものの信頼性は今ひとつ、第6戦まででマクラーレンとフェラーリの対決は3勝ずつ。2強以外ではフランスグランプリでフレンツェン(ジョーダン)が勝利。そしてイギリスでミハエルがクラッシュし負傷。オーストリアからヨーロッパまで欠場し脱落、マクラーレン有利かと思ったがオーストリア・ドイツでアーバインが連勝、特にドイツでハッキネンはタイヤトラブルでリタイアする結果に終わった。99年タイトル争いは鈴鹿で、ハッキネンとアーバインのタイトル争いは、ドライバーズタイトルはハッキネンが連覇するも、コンストラクターズはフェラーリが、1983年以来の獲得となった。

1999年勝者
ミカ・ハッキネン /5勝
エディ・アーバイン/4勝
ハインツ-ハラルド・フレンツェン /2勝
デビッド・クルサード/2勝
ミハエル・シューマッハ/2勝
ジョニー・ハーバート/1勝

そして2000年、前年同様でワンメイクとなる。20世紀最後のシーズンもマシンとブリヂストンタイヤのマッチングのいいコンストラクターは、フェラーリだった。ドライバーズはミハエル・シューマッハが1995年以来の3回目のタイトルを鈴鹿にて決定、この年は最終戦がマレーシアだったので最終戦を待たずしての決定は、1995年以来だった。なおコンストラクターズは最終戦まで争われたが、フェラーリが獲得。フェラーリがダブルタイトルを獲得したのが、1979年以来(当時は、ジョディー・シェクター)だった。
2000年シーズン途中、ミシュランがF1に復帰する事も発表された。

2000年勝者
ミハエル・シューマッハ/9勝
ミカ・ハッキネン/4勝
デビッド・クルサード/3勝
ルーベンス・バリチェロ/1勝

2000年は、2強のフェラーリとマクラーレンのみが勝利したシーズンだが、1993年初参戦のバリチェロがグランプリ初優勝を達成。

ここでは、2000年までを紹介させていただきました。
2001年以降は、後日書きます。


1997年〜2000年結果(ワンメイクを含む)


ポールポジション:46回

優勝:42回。

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