3度のワールドチャンピオン、アイルトン・セナの命日

F1界のスーパースターでブラジル人ドライバー、アイルトン・セナ・ダ・シルバは1994年5月1日、レース中のアクシデントで還らぬ人になってしまいました。当時このレースで通算65回目のポールポジションを獲得し、トップを快走していたが、突然高速コーナーでコースアウトしコンクリートウォールに激突。

そんなセナは、1988年・1990年・1991年と3度のワールドチャンピオン
いずれも、マクラーレンとホンダとのパッケージにて。

McLaren MP4/4(1988)

1988年、ロータスからマクラーレンに移籍1年目。
ホンダとマクラーレンの1年目は最強で、チームは16戦15勝。ポールポジションも2人合わせて15回と他を寄せ付けない強さ。
セナは8勝、そしてチームメイトのプロストは7勝。プロストは2度のリタイア以外は、優勝か2位。
対してセナは、リタイアと失格は1回すつ。そして4位・6位・10位と、表彰台圏外は5回。

総ポイントでは、プロストの方が上回っていたものの
当時は有効ポイント制によって、ベスト11戦のリザルトが有効のため
セナが、自身初のワールドチャンピオンに。

そしてターボは、この年までとなり翌年全チームNAエンジンとなる。
※NA=Natural Aspirationの略。

1988年結果

開催国   決勝結果

ブラジル 失格

サンマリノ 優勝

モナコ リタイア

メキシコ 2位

カナダ 優勝

デトロイト 優勝

フランス 2位

イギリス 優勝

ドイツ 優勝

ハンガリー 優勝

ベルギー 優勝

イタリア 10位

ポルトガル 6位

スペイン 4位

日本 優勝

オーストラリア 2位

ポイント:90(94) ()は総ポイント

優勝:8回
ポールポジション:13回

McLaren MP4/5B (1990)

マクラーレン3年目のシーズンとなる1990年のセナ、パートナーはフェラーリから移籍したベルガーとなり、前年ワールドチャンピオンのプロストは、フェラーリへ移籍とトレードという形になった。

この年もプロストとチャンピオン争いとなり、セナは6勝を獲得。
ライバルは、フェラーリに移籍したプロストと3年連続でチャンピオンを争いするも、日本グランプリの1コーナーで接触しリタイア。それは、しかも一周目。サーキットは騒然と凍りつくのような結末、2強4人全員リタイアという結末に。チャンピオンはセナが獲得したが、後味の悪い結果と。

1990年結果

開催国  決勝結果

アメリカ  優勝

ブラジル  3位

サンマリノ リタイア

モナコ 優勝

カナダ 優勝

メキシコ 20位

フランス 3位

イギリス 3位

ドイツ 優勝

ハンガリー 2位

ベルギー 優勝

イタリア 優勝

ポルトガル 2位

スペイン リタイア

日本 リタイア

オーストラリア リタイア

ポイント:78

優勝:6回
ポールポジション:10回

McLaren MP4/6 (1991)

1991年は、これまでのV10からV12エンジンへとスイッチ。ドライバーは、前年と同じくセナとベルガー。
そしてこの年から、これまでの有効ポイント制がなくなり、全戦ポイント制に移行、優勝は9ポイントから10ポイントに変更。

この年はフェラーリが開幕前のテストが絶好調だったのが嘘のように、不振のシーズンとなり、ウィリアムズがマクラーレンのタイトル争いをするように。
セナは開幕4連勝を含む7勝するも、かつての強さは影を潜め、ウィリアムズの後塵を拝かすことに。
ウィリアムズは、速さはみせるもののシーズン序盤でのマシントラブルやミスなどで、チャンピオンを逃した。
結果としてセナは自身初の連覇、そして3度目のワールドチャンピオンであったが、これがセナの最後のチャンピオンだったのです。

1991年結果

開催国 決勝結果

アメリカ 優勝

ブラジル 優勝

サンマリノ 優勝

モナコ 優勝

カナダ リタイア

メキシコ 3位

フランス 3位

イギリス 4位

ドイツ 7位

ハンガリー 優勝

ベルギー 優勝

イタリア 2位

ポルトガル 2位

スペイン 5位

日本 2位

オーストラリア 優勝

ポイント:96

優勝:7回
ポールポジション:8回


最後に

アイルトン・セナは、結果として
ワールドチャンピオン3回
優勝回数 41回
ポールポジション 65回
ファステストラップ 19回

『音速の貴公子』を失った影響は本当に大きく、アイルトン・セナの死は全世界のテレビや新聞での、トップニュースとなり世界特にブラジルは深い悲しみとなってしまったのです。

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