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スタン・ゲッツ・アンド・ビル・エヴァンス

 スタン・ゲッツとビル・エヴァンスの共演を収めた1964年録音作品『スタン・ゲッツ・アンド・ビル・エヴァンス』を取り上げましょう。

録音:1964年5月5, 6日
スタジオ:ヴァン・ゲルダー・スタジオ、イングルウッド・クリフス、ニュージャージー
エンジニア:ルディ・ヴァン・ゲルダー
プロデューサー:クリード・テイラー
レーベル:ヴァーヴ

(ts)スタン・ゲッツ  (p)ビル・エヴァンス  (b)ロン・カーター、リチャード・デイヴィス  (ds)エルヴィン・ジョーンズ

(1)ナイト・アンド・デイ  (2)バット・ビューティフル  (3)ファンカレロ  (4)マイ・ハート・ストゥッド・スティル  (5)メリンダ  (6)グランドファザーズ・ワルツ

スタン・ゲッツ・アンド・ビル・エヴァンス

 スタン・ゲッツビル・エヴァンス、白人ジャズプレーヤー両雄による共演作を多くのジャズファンが望んでいました。彼らの活躍ぶりと名演奏の多さ、何より音楽的テイストの合致度を誰もがストレートにイメージ出来、どれ程スリリングな演奏を展開してくれるのか、期待を抱かせます。
 ところが意外な事にコ・リーダーとしてスタジオ・レコーディングされた作品は64年録音本作だけ、しかも陽の目を見るのが9年後の73年です。
 因みに74年8月オランダのジャズ・フェスティヴァルでの演奏を収録したライヴアルバム『バット・ビューティフル』も存在しますが、何故かこちらも録音後オクラ入りして20年以上が経過し、96年のリリースになります。

バット・ビューティフル/
スタン・ゲッツ、ビル・エヴァンス

 本作『スタン・ゲッツ・アンド・ビル・エヴァンス』の素晴らしい内容にも関わらず、10年近く経てからリリースされた理由として考えられるのが、62年から始まったゲッツのボサノヴァへの取り組み、この事を考慮したヴァーヴ・レーベルの思惑ではなかったかと思います。
 当時熱狂的人気を誇ったボサノヴァ、ジャズプレーヤーとしてよりも、端的にこちらの路線で売らんかなを重視したために、ストレート・アヘッド・アルバムのリリースを後回しにしたように推測できます。
実際63年3月録音ボサノヴァを代表する同レーベル作品『ゲッツ・ジルベルト』は爆発的なヒットを遂げます。

ゲッツ・ジルベルト/
スタン・ゲッツ、ジョアン・ジルベルト

 その後時間が経過し録音した『スタン・ゲッツ・アンド・ビル・エヴァンス』はそれ自体の存在感が薄くなり、若しくはレーベルが単にレコーディングそのものを忘れていたのかも知れません。
 例えばゲッツのカルテットでニューヨークにあったライヴハウス、ヴィレッジ・ゲイトで行われた61年11月のライヴ・レコーディング『ゲッツ・アット・ザ・ゲイト』、こちらも世に流布してしかるべき素晴らしい内容にも関わらず、ヴァーヴ・レーベルにとって存在自体が忘却の彼方にありました。
同様にボサノヴァ・ブームの煽りを受けたのでしょう、倉庫内で埃を被りながら眠り続け、半世紀以上経た2019年に発掘という形でリリースされます。

ゲッツ・アット・ザ・ゲイト/スタン・ゲッツ

 膨大な録音量を誇るヴァーヴ、倉庫に保管されていた未発表テープには同じ扱いを受けた作品が多く存在します。
折しも時代はハービー・ハンコックの大ヒット作『ヘッド・ハンターズ』に代表されるクロスオーヴァー・ムーヴメントが台頭し始め、たちまちシーンを席巻せっけんします。ジャズミュージシャン猫も杓子もクロスオーヴァー、フュージョンを演奏し始めると言う安易な現象さえ発生しました。

ヘッド・ハンターズ/ハービー・ハンコック

 トラディショナルなジャズ制作に携わるレコード会社としては、モダンジャズの商品価値自体が下がったとまで感じたでしょう、それこそジャズの行方や存続までを危惧し、この先ジャズ新作は言うに及ばず、未発表作品を世に出したとしてもセールスには結び付き難いと判断したと思います。
 リリースする時期のリミットを考え、本作『スタン・ゲッツ・アンド・ビル・エヴァンス』を筆頭に『プレヴィアスリー・アンリリースド・レコーディングス』(未発表録音)と副題を設け、73, 74年にオクラ入りしていた60年代録音の計6作品『ジョニー・ホッジス』『ジミー・ウィザースプーン・アンド・ベン・ウェブスター』『クラーク・テリー・アンド・ボブ・ブルックマイヤー』『ソニー・スティット』『ギル・エヴァンス・オーケストラ、ケニー・バレル・アンド・フィル・ウッズ』を連続してリリースします。これらには共通のデザインによる統一感を施します。

ジョニー・ホッジス
ジミーー・ウィザースプーン・アンド・ベン・ウェブスター
クラーク・テリー・アンド・ボブ・ブルックマイヤー
ソニー・スティット
ギル・エヴァンス・オーケストラ、ケニー・バレル・
アンド・フィル・ウッズ

 いずれの作品も内容的に素晴らしく、永らく未発表であった理由を見つける事が難しいのですが、ゲッツのボサノヴァブーム優先等の、レーベル販売事情があったと思います。
そしてこれらが仮に74年以降にリリースされたなら、フュージョン・ブームの真っ只中に間違いなく埋没してしまったでしょう。
時代の荒波に翻弄された作品群です。

 閑話休題、クールにして知的、確固たるスタイルを持ち、耽美的な演奏を繰り広げるゲッツ、エヴァンスの二人、彼らは唯我独尊状態でその音楽性を自在に発揮します。
本作で彼らを支えるリズムセクションには名ドラマー、エルヴィン・ジョーンズ、ベーシストは曲によってロン・カーターリチャード・デイヴィスら同じく名手を配し、スインギーにして濃密なプレイを展開します。

 それでは演奏内容について触れていく事にしましょう。CDリリース時に未発表曲、別テイクがボーナス・トラックとして追加されていますが、これらの演奏クオリティを鑑み、オリジナル・レコード収録曲のみを取り上げたいと思います。

 1曲目ナイト・アンド・デイはお馴染みコール・ポーターのナンバー、冒頭に聴かれるダイナミックにして柔軟性に富んだスティックさばきは重厚さを通り越し、寧ろもたっているかのようですが、真逆なスピード感溢れるプレイも内包する、エルヴィンの専売特許であるポリリズムを表現したドラムソロです。
 エルヴィンは当時在団していたジョン・コルトレーン・カルテットのキーパーソンとして数々の名演奏に携わります。本作はコルトレーンの代表作の一つであり、傑作『クレッセント』レコーディングの直前、脂の乗り切った申し分の無いドラミングを聴かせます。
 コルトレーン・カルテットのサウンドはエルヴィンのドラミング無しではあり得ず、ある意味彼のプレイそのものがコルトレーン・サウンドとも言えましょう。しかしフレキシブルな音楽性ゆえ、本作で聴かれるように他のミュージシャンの音楽に柔軟に対応し、コルトレーンとの演奏とは異なるものを表現します。

クレッセント/ジョン・コルトレーン

 恐らくゲッツとエルヴィンも本作が初顔合わせになります。ゲッツ自身もコルトレーンとエルヴィンのコラボレーションの素晴らしさを知っていたでしょう、共演を待ち望んでいたに違いありません。
推測するにここでの成果が反映され、両者は本作直後にトロンボーン奏者ボブ・ブルックマイヤーのリーダー作、名盤『ボブ・ブルックマイヤー・アンド・フレンズ』で再演します。

ボブ・ブルックマイヤー・アンド・フレンズ

 実はエヴァンスとエルヴィンも初顔合わせであったようです。そして本作以降の共演は無かった模様で、これは偶々たまたまなのか、それとも一度の共演で互いに相容れないものを感じ、たもとを分かつ事になったのか、デリケートなパーソナリティのエヴァンスが避けたのかも知れません。
 しかしエルヴィンとハービー・ハンコックが、ウェイン・ショーターの64年録音リーダー作『スピーク・ノー・イヴィル』共演時に、エルヴィンのカラーリングとハンコックのバッキングの衝突からプレイに対立が生じ、生涯二度と顔を合わせる事が無かった例もあるので、エルヴィンがエヴァンスを忌諱きいしていたとも考えられます。

スピーク・ノー・イヴィル/ウェイン・ショーター

 演奏内容に話を戻しましょう。囁いたかと思えば雄弁に語る、優れたスピーチに例えられる表現力が半端ないゲッツのテーマ奏が始まります。
いつもの彼らしい個性的なトーンは抜け切らない音の成分とハスキーさ、付帯音を驚異的なまでに有する鳴らし方、これにハーフタンギングを用いたサウンド・エフェクトやヴィブラートの多彩さが加わり、至極的確にゲッツのオリジナリティを表現します。
これには名レコーディング・エンジニア、芸術的にまで巧みな録音を創り上げるルディ・ヴァン・ゲルダーのテクニックに負うところが大であります。

 ソロの先発はエヴァンス、1コーラス目に8小節のブレークを3度設けスリリングな展開を演じます。ピアノは本来打楽器的な要素も持ち合わせるために、打鍵することでブレーク時の独奏でもしっかりとリズムを提示する事が可能です。
ここではリズム隊とのやり取りによるインタープレイを認められますが、ブレークから復帰してドラム、ベースとのアンサンブルに戻る際に、多少の不安定さを感じます。これはブレーク中のタイムの揺れに起因します。
 続くゲッツのソロ、同じ手法のブレークを設けて演奏されますが、テナーソロ独奏時のビートに対するスイートスポットを捉えた全く的確な音符の位置と拍の長さ、リズム、スイング、グルーヴ感、音の立ち上がりの確かさから、メロディ楽器のサックスと言えどもリズム楽器になり得る事を実証しており、エヴァンスよりも確実なビートを認める事が出来ます。ゆえにブレークからの復帰時に不安定要素は皆無で、寧ろむしろエルヴィンのドラミングを呼び込む余裕すら感じさせます。
 
テナーサックスの音域をくまなく網羅しつつの、フレッシュでクリエイティヴなフレージングや、ウタさえ感じさせるメロディアスなラインを繰り出すゲッツ、そしてテナー奏者に寄り添う事に長けたエルヴィンとのコラボレーションは、完璧な領域に位置します。
 実際エルヴィンのプレイ、特にシンバル・レガートには、ピアノソロ時よりもナチュラルさを感じます。そしてテナーソロが終わる際の猛烈なフィルイン、間違いなく両者の一体感から導き出されたものです。
 引き続きドラムとベースの8小節交換が1コーラス行われます。ゲッツとの申し分の無いインタープレイを経たエルヴィンは、そのままテンションが持続した躍動的なドラムソロを聴かせますが、カーターの淡々としたベースソロが良い意味での対比となっています。
 その後のラストテーマではゲッツ、グッと音量を落としたメロディ奏を聴かせムードを刷新します。次第に音量が大きくなりバンド演奏もアクティヴな方向へ、エンディングはヴァンプを繰り返しフェードアウトに向かいます。

 2曲目バット・ビューティフルはジミー・ヴァン・ヒューゼン作曲の美しいバラード、メロディとコード進行の関係が完全無欠にまで成り立つ名曲です。
 冒頭ピアノがテーマを演奏します。エルヴィンのブラシワークの巧みさがメロディを浮かび上がらせ、転調と同時にゲッツのメロディ奏が始まります。切なさを感じさせるのは音量コントロールと音色の使い分け、ニュアンス付け、付帯音の提示に起因するものです。
そのままソロに突入しますが、エルヴィンのシンプルなリズムキープに対するカーターのアクティヴなベースワークが印象的です。自然にピアノソロに移行し、カーターのプレイがより密度濃くなります。ラストテーマのゲッツはストイックなまでの色香を感じさせながら、リタルダンドし大団円を迎えます。

 3曲目ファンカレロはエヴァンス作曲のアップテンポ・ナンバー、エルヴィンのドラムソロから始まります。ビートのカオスとおぼしき様々なリズムが内在し、テーマのメロディに巧みに繋がるフレージングは、バスドラムの3連符が重要なファクターです。
マイナー調の1コーラス16小節からなるこの曲、メロディのシンコペーションとリズム隊のユニゾンが効果的に響きます。
 1コーラスのテーマ奏後、ソロはエヴァンスから始まります。知的なラインを用いたインプロヴィゼーションは軽快にサウンドしますが、ややつんのめったタイム感を有します。
 短めにソロを終わらせたために終止感を得られなかったのでしょう、ゲッツがソロを始めて良いものかと8小節ほどの探り合いがありましたが、意を決したゲッツは力強くプレイをスタートします。
 彼はリズムマスターの称号を授与されて然るべき、理想のタイム感を提示しながらスリリングに、そしてエルヴィンに問題提起を促すが如く魅力的なラインを示しながら対話を試み、それが結実した演奏を聴かせます。
 エヴァンスは付かず離れずのスタンスでのバッキングが基本のピアニストですが、ここでも通常のテイストで打鍵しており、特にゲッツとのコラボレーションを密に感じる事はありません。
寧ろエルヴィンがゲッツサイドにプレイを集中させたがっているのを、ピアノバッキングが阻害しているように聴こえてしまいます。しかし実際にはエヴァンスの楽曲ですので、サウンドの支配権は彼にありますが。
この作品はゲッツがエルヴィンとのインタープレイを繰り広げるために制作されたアルバムである事を実感しました。
 その後ベースソロへ、リズミックな要素を交えたラインを聴かせ、ドラム先発によるテナー、ピアノとの8小節トレードが始まります。3コーラス行われた後、ドラムソロに転じます。
ラストテーマは初めの倍2コーラスプレイされ、比較的あっさりとFineです。

 4曲目マイ・ハート・ストゥッド・スティルは作曲リチャード・ロジャース、作詞ロレンツ・ハートの名コンビによる楽曲、小粋なミュージカルナンバー然としたテイストを湛えています。
この曲から翌日のレコーディング・テイクになり、ベーシストがリチャード・デイヴィスに変わります。デイヴィスとエルヴィンはアルバム『ヘヴィー・サウンズ』の名コンビ、大いなる助っ人の登場です。

ヘヴィー・サウンズ
/エルヴィン・ジョーンズ、リチャード・デイヴィス

 ピアノトリオによるイントロから始まります。デイヴィスのベースはカーターよりも幾分オントップに位置し、エルヴィンのシンバル・レガートと良いコンビネーションを形成しています。
ゲッツのテーマ奏が開始されますが、気のせいか前日よりも音符の位置がやや前にあるように聴こえます。
 テーマ後1コーラス間エヴァンスがバッキングの手を休め、コードレス状態になります。前日には無かったこのアプローチは自発的かも知れませんし、ひょっとしたらディスカッションがあり、伴奏を休む場面があっても良いのでは、との提案を受け入れた結果かも知れません。
 ゲッツは4度進行のフレージングをモチーフに、巧みに展開させながらソロを行います。ここでも前述の音符の位置が多少気になるところです。
 テナーソロ終了時にエヴァンスが一節ひとふし打鍵しますが、ソロは行わずベースのウォーキングに委ねます。次第にスネークインしながらソロを開始、前日とは異なったアプローチにはクリエイティヴさを感じますが、左手を全く使わず右手のラインだけでプレイしている事が一因です。ここにはレニー・トリスターノ的なセンスを感じました。
左手のコードワークが無いためにバンドの音量が小さいのでしょう、所々にエルヴィンの唸り声を聴く事が出来ます。
 ゲッツが再登場し、エヴァンスと同時にソロを行います。エヴァンスは変わらず右手のシングルトーンのみでの打鍵、そして互いの演奏にあまり干渉せずの2声同時進行による即興、これには新しさを覚えます。
その後ドラムとの8小節交換に移行しますが、コードレスの2声同時即興演奏は継続し、エルヴィンもこの部分には新鮮に対応出来たように感じました。
ドラムとのトレードを設けた事でエヴァンス、特にゲッツのプレイに変化が生じ、濃密な音空間を確認出来ます。
 その後一旦音量を落としたゲッツは、ラストテーマである事を明確にしながらメロディ奏を行い、エンディングの盛り上がりでは演奏の余韻を満喫しているかのようです。

 5曲目メリンダはバートン・レーン作曲のバラード、ゲッツの音量を抑えたサブトーン気味の吹奏が曲想にマッチし、ストイックさを感じさせながら、抒情的に歌い上げます。
エヴァンスのバッキングはメロディのに巧みに打鍵され、そのままピアノソロに続きます。ダブルタイム・フィールで演奏されますが、エルヴィンのブラシワークの美しさに聴き惚れてしまいます。
 激しい曲でのアグレッシヴさ、バラードでの耽美的なプレイ、まさに二面性を持ち合わせるエルヴィンですが、本人には至極当たり前のアプローチなのでしょう、その時々にベストな表現方法の取捨選択が申し分ありません。
 サビからゲッツが登場します。バラードに於いて、いつに無い大きな音量での吹奏には意外性を覚え、その後しっとりとしたブロウに戻り、楽曲を絶妙に纏めます。カデンツァのフレージングにも聴き所を設けFineです。

 6曲目グランドファザーズ・ワルツ、スウェーデン出身のトランペッター、ラース・ファーネロフが書いたナンバー。ゲッツ、エヴァンス二人の持ち味が生きた選曲だと思います。
 エヴァンスはイントロでメロディを中心に、可憐な雰囲気のピアノソロを聴かせます。
テンポを提示しリズム隊が加わり、その後ゲッツがスモーキーな音色でテーマをプレイします。
色彩感あるニュアンス付け、繊細なコントロールによる音量の大小は楽曲への入魂ぶりを感じさせ、ソロに入ります。グロートーンやフラジオ音、リズミックなフレーズ、珍しくディズニーのシンデレラからビビディバビディブーの一節を引用する等、様々な手法を駆使しつつ、しかし曲調から逸脱しないテイストでプレイします。エヴァンスのソロも同様のコンセプトで流麗に行われています。
 ゲッツが再登場し、ヴァンプ部分でシンコペーションを生かしたフレージングを用い、ラストテーマに向かいます。エヴァンスが対旋律的なバッキングを演奏し次第にフェードアウトします。


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