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リッチー・バイラーク・アット・メイベック

リッチー・バイラークのソロピアノ作品『リッチー・バイラーク・アット・メイベック』を取り上げましょう。

録音:1992年1月5日メイベック・リサイタル・ホール、カリフォルニア・バークレー
エンジニア:デイヴ・ルーク
プロデューサー:ニック・フィリップス
エグゼクティヴ・プロデューサー:カール・ジェファーソン
レーベル:コンコード

p)リッチー・バイラーク

(1)イントロダクトリー・アナウンスメント  (2)オール・ザ・シングス・ユー・アー  (3)オン・グリーン・ドルフィン・ストリート  (4)サム・アザー・タイム  (5)ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ  (6)スプリング・イズ・ヒア  (7)オール・ブルース  (8)メドレー:オーヴァー・ザ・レインボウ〜スモール・ワールド〜イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ・オブ・ザ・モーニング  (9)ラウンド・ミッドナイト  (10)リメンバー  (11)エルム

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収録曲はバイラークの日ごろ愛奏するスタンダード・ナンバーから選ばれています。
アンビエントの優れたホールでのプレイは自ずと気負う必要が無く、箱鳴りに身を任せ、手慣れたスタンダードを愛でつつ、ごく自然にピアノに向かえば演奏が成立します。結果ライヴ・レコーディングは、彼の素晴らしいピアノタッチをとことん堪能させてくれました。
終始落ち着いた雰囲気で行われ、バイラークはリラックスして演奏に臨んでいるにも関わらず、どこかフォーマルなテイストを感じさせるのは、クラシックのコンサートの如き佇まいがあるからでしょうか。
収録されたナンバーは演奏時間が短いテイクでは、ダイジェスト的な要素も覗かせますが、決して内容は要約されておらず、寧ろ凝縮されたバイラークの音楽性が表出されています。
特に彼のお気に入りのナンバー何曲かでは、曲のコード進行やフォームというある種の制約を逆手に取ったかの如く、サウンドやコンセプトにステイしていながらもそこからの脱却を大胆に図り、あり得ない次元にまでバイラーク・ワールドを構築しています。
驚異的な瞬発力、イメージの豊かさ、アイデアの徹底的な具現化、音量の強弱によるダイナミクスを含めたピアノの音色やアーティキュレーションの使い分け、そこから伝わる底知れぬ物凄さは、プレイにミステリアス性さえも感じさせます。
ゆえに彼のソロピアノ作品を代表する一枚と言えるでしょう。

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本作の正式なアルバム・タイトルが『リッチー・バイラーク・アット・メイベック:メイベック・リサイタル・ホール・シリーズ・ヴォリューム・ナインティーン』、カリフォルニア州バークレーにあるメイベック・スタジオで89年から95年まで合計42回のコンサートが行われ、本作はその19回目にあたります。
毎回異なった、米国を代表するピアニストたちを迎えて、本作のレーベルであるコンコードがライヴ・レコーディングを挙行、コンサート回数と同じ42作をリリースしています。
記念すべき第1回目は89年1月にジョアン・ブラッキーン、95年最終第42回目にはジェームズ・ウィリアムズを迎え、足掛け7年間に渡り毎年6回ずつ、隔月行われていたことになりますが、毎回演奏を録音しアルバム化してリリースする、しかもいずれの作品もハイクオリティな録音状態や演奏内容をキープしつつ。
そこにはレーベルやプロデューサー、レコーディング・スタッフの労力と情熱を痛感します。
第2回目以降出演のピアニストを足早にご紹介しましょう。
デイヴ・マッケンナ、ディック・ハイマン、ウォルター・ノリス、スタンリー・カウエル、ハル・ギャルパー、ジョン・ヒックス、ジェラルド・ウィギンス、マリアン・マクパートランド、ケニー・バロン、ロジャー・ケラウェイ、バリー・ハリス、スティーヴ・キューン、アラン・ブロードベント、バディ・モンゴメリー、ハンク・ジョーンズ、ジャッキー・バイアード、マイク・ウォフォード、リッチー・バイラーク、ジム・マクニーリー、ジェシカ・ウィリアムズ、エリス・ラーキンス、ジーン・ハリス、アダム・マコービッチ、シダー・ウォルトン、ビル・メイズ、デニー・ザイトリン、アンディ・ラヴァーン、ジョン・キャンベル、ラルフ・サットン、フレッド・ハーシュ、ローランド・ハナ、ドン・フリードマン、ケニー・ワーナー、ジョージ・ケーブルス、トシコ・アキヨシ、ジョン・コリアーニ、テッド・ローゼンタール、ケニー・ドリュー・ジュニア、モンティ・アレキサンダー、アレン・ファーナム、ジェームズ・ウィリアムズ。
新旧取り混ぜた人選にはプロデューサーのテイストを明確に感じさせ、さながら米国ジャズピアニスト界の紳士録ですが、さすがにハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレット、ジョー・ザヴィヌルらの名前がノミネートされていません。彼らは自分たちでソロピアノ・コンサートを十分に企画しているからでしょう。

予め取り決めがあったのでしょうか、演奏曲目はどのピアニストもスタンダードナンバーを中心に、オリジナルを演奏しても数曲、いずれの楽曲の演奏時間もコンパクトに纏めています。
全てのピアニストには各々のピアノの響かせ方があり、ピアノタッチはもちろん、シングルトーン、コードトーン、ペダルの用い方に始まり、例えば本作のバイラークが用いているグリッサンド、ピアノの弦を指で弾くような特殊テクニック、そして楽曲へのアプローチ、歌い方、間の取り方、音量のダイナミクスなど、メイベック・スタジオと言うホール自体が楽器の一部となった空間で生じる、ピアノ奏者による違いを的確に捉えており、それらを録音する、記録すると言う作業に携わる人間には大変やり甲斐のある、充実したものだったでしょう。
コンサート回数、作品数が42にも及び、当然アルバム・セールスもレーベルとして納得の行くレヴェルで持続していたと思います。本作は録音、演奏クオリティの素晴らしさに加え、制作者サイドの充実感も伝わる仕上がりを示しています。

メイベック・スタジオは1914年に米国建築家バーナード・メイベックによって設計施工されました。
50人収容のこぢんまりとしたホールですが、内装に特殊な仕様が施されたウッディでナチュラルな仕上げにより、豊かでウォーム、かつ明るくクリアーなアンビエントを得ています。
ほど良き広さでPAを使わず、部屋の箱鳴りを活かしたアコースティックなサウンドは、オーディエンスにはもちろん、ピアニストが最高に心地よくピアノをプレイする、響かせる理想的な音空間なのでしょう、本作でのバイラークのピアノサウンドは、彼の諸作の中でもベストに位置すると感じています。
スタジオ内にはヤマハ S-400Bと、同じくヤマハ C7の2台のピアノが用意されていますが、バイラークはS-400Bを使用しました。

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それでは収録曲に触れていきましょう。
トラック1は恐らくエグゼクティヴ・プロデューサー、カール・ジェファーソンによるバイラークの呼び込みから始まります。
引き続きトラック2はジェローム・カーン作曲オール・ザ・シングス・ユー・アー、自身の作品や盟友デイヴ・リーブマンとのコラボレーションで幾度となく取り上げられたナンバー、そしてアレンジですが、手垢にまみれる事はなく、プレイは常にフレッシュさを維持しています。
ここではリハーモナイズされた独自のフローティングなコード・サウンドが印象的ですが、何と美しくピアノを響かせているのでしょうか。
クリアネスとエッジの立ち方のバランス、色気と哀感が拮抗するが如き美の世界、ふくよかさとリリシズムを併せ持つ、彼にしか成し得ないサウンド感です。
イントロに続きテーマ奏、フェイクを交えたもう1コーラスが演奏され計2コーラス、そしてアウトロと言う短いサイズでのプレイですが、バイラークのピアノプレイのエッセンスを聴くことが出来ます。
コンサートの開会宣言の如し、本人のご挨拶としてのテイクになりました。

トラック3は同様にバイラーク自身も、リーブマンとのデュオでも何度も演奏されたオン・グリーン・ドルフィン・ストリート、こちらも印象的なイントロからオリジナルな世界へ聴衆を誘います。
かなりパーカッシヴなタッチを駆使し、リズミックなラインを強調します。左手のペダルトーンが変わらず、その上での右手のメロディとコードが変化して行くアウト感と、左手がコード進行をトレースし始め、右手のサウンドと合致する安堵感が曲の魅力を高めています。
バイラークの左手の使い方は右手のラインに対し、全くの別人格を有するのでは、とさえ感じさせる時があり、他のピアニストとは大きな違いを見せます。
エンディングのフレージングはいつに無くトラディショナル、これには大いなる余裕を感じさせます。

トラック4はレナード・バーンスタイン作の珠玉のバラード、サム・アザー・タイム。
曲の持つ魅力があまりにも素晴らしいので、他の誰でもテーマを演奏しただけで十分に音楽として成立してしまいますが、バイラークのプレイにより一層深淵な演奏に変化しました。
ここではさほど抑揚を付けずに比較的淡々とメロディ、コード進行をトレースしていますが、打鍵による音色の変化を熟知しているのでしょう、随所に様々な音色を、そして技のデパート状態、小技を駆使して効果的にカラーリングを行なっています。
彼には珍しく、アウトロでイット・マイト・アズ・ウェル・ビー・スプリングのメロディが引用されています。

トラック5はやはりバーラークの得意とするバラード、ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ、リハーモナイズをふんだんに施したメロディ奏は、豊かな情緒を折り込み、テンポを自在に揺らしながら進行しますが、一転してパターンを提示しテンポアップ、力強さと疾走感を伴いつつ再びテーマが演奏されます。
その後のアドリブでは彼の音楽性が炸裂します。有無を言わせぬストーリーの展開ぶりには驚異的なテクニックとハーモニー感、代理コードの数々がカオス状態ぎりぎりまでぶつかり合い、せめぎ合いますが、しかし原曲のメロディが随所に散りばめられ、曲のフォームから著しく逸脱する事がありません。
このバランス感が彼の魅力の一つ、地に足を付けつつ飛翔するが如しです。
ホールのオーディエンスは固唾を呑みながら、手に汗を握り聴き入っているのでしょう、張り詰めた空気感もアルバムに収録されているかの様です。
演奏はラストテーマのほど良き所でリタルダンド、スピード感を持って打鍵していただけに急に世界が変わります。冒頭と同じルバート、ゆったりとテーマを演奏し、次第にデクレシェンドも加わり、収束に向かいますが、ピアニシモで弾いた時の丸みを帯びた音色には、別な倍音成分を感じる事が出来ます。
ここでのエンディング・フレーズも伝統的な手法に基づきますが、彼が行うとまた格別な味わいがあります。

トラック6はリチャード・ロジャースの名曲スプリング・イズ・ヒア、こちらもリーブマンとのデュオ演奏で素晴らしい演奏が残されています。78年録音『オマータ』

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たっぷりとしたピアノイントロの後に、リーブマンがソプラノサックスでテーマを演奏しますが、ワルツでプレイされています。
本作での演奏も途中ワルツを感じさせる部分があり、両者を比較するのも面白く、14年を経たバイラークの成長ぶり、リリシズムの発露、深い音楽性の発揮を確認することが出来ますが、エンディングの手法に顕著に表れています。

トラック7はマイルス・デイヴィスのオール・ブルース、冒頭から力強いタッチでベースラインを奏でます。テーマの9, 10小節目はベースラインを弾かずコードワークのみと言うフォームを用い、終始一貫して演奏されますが、ブルージーに、ファンキーに、他曲とは明らかにコンセプトを変えてのアプローチです。
途中テンポを急に速めたり、いつもよりもレイドバック感を強調したりと、バイラークに備わっているスタイル表現の異なった側面を垣間見る事が出来ました。
エンディングの超オーソドックスなフレージングにも”敢えて”感を出しており、この演奏をブラインドフォールド・テスト(ソロプレイを聴き、演奏者が誰かを当てるクイズ)で出題されても、バイラークと判断出来る人は少数でしょう。

トラック8はバラード・メドレーとして、オーヴァー・ザ・レインボウ〜スモール・ワールド〜イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ・オブ・ザ・モーニングを演奏しています。
メイベック・リサイタル・シリーズでは他のピアニストもメドレーを取り上げる場合がありました。
3曲共に美しさと可憐さを湛えた名曲、バイラークは一体どのように料理するのかに興味が引かれますが、3曲を連続してのいわゆるメドレー形式では演奏されておらず、モチーフとして各曲の断片を弾き、繋げ、更には他曲のコード進行でメロディをプレイしたりと、渾然一体させた演奏に仕上げています。
ありきたりのメドレー演奏では無いプレイに彼の知的センスを感じます。
ところで4′58″で聴かれる奏法はどの様に行われているのでしょう?猛烈なインパクトです。

トラック9は本作白眉の演奏、セロニアス・モンクのラウンド・ミッドナイト
この曲も取り上げる機会が多かったバイラークですが、ここでの演奏が決定打になりました。
意表をつくイントロに始まり、メロディをたっぷりと、優雅さと危なさを取り混ぜてゴージャスに、スペースを取りつつ演奏します。作曲者モンクがここでのハーモニーとメロディ・フェイク、フィルインのフレージングを聴いたら、さぞかし驚き、間違いなく絶賛し、バイラークの事をしっかりとハグすることでしょう。
ソロは案の定の展開を示しますが、寧ろこうでなければなりません、左手の用い方が異常なほど研ぎ澄まされ、右手の猛烈にスピード感溢れる先鋭的なラインとが合わさり、拮抗し、聴き手は未知の世界、誰も経験したことの無い異次元音空間に誘い込まれます。
どれだけアグレッシヴに、音楽的に攻める姿勢を見せようとも、彼の場合は大いなる余裕と奥行き、ノーブルさを保ち、熱くなる自分をクールに俯瞰しながら、プレイを楽しんでいるのが伝わって来ます。根っからのハッピーガイなのでしょう。
オリジナリティをふんだんに込めつつ、常に自分の限界に挑戦する真のジャズミュージシャンから繰り出される壮絶なラインが、グリッサンドと共に急停止します。エンディングに向けて全くムードを変えながら、最低音域でのクラスターで更に刷新し、テーマ〜コーダへ、ヴェリー・ラストでは椅子から立ち上がる際の音でしょう、ノイズが微かに聴かれ、その後ピアノの弦を指で弾き、聴衆にFineを知らせています。

トラック10はアーヴィング・バーリン作曲のリメンバー、前曲の凄まじさが何事も無かったかのように、美しく脱力してメロディを奏でます。テイストとして何処かゴスペルを感じさせ、バイラークのリリカルな面を堪能出来るテイクに仕上がりました。

ラストのトラック11はバイラーク作のエルム、もう幾度も自身の作品、サイドマンでも取り上げられている、彼の音楽性そのものと言える名曲です。
内省的に、抑揚を敢えて抑えながら鍵盤に臨む姿勢には、他の曲では聴かれないストイックさを感じさせ、作品の良きエピローグとなりました。


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