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ヴォヤージ/チック・コリア

チック・コリアとフルート奏者スティーヴ・クジャラの1984年録音デュエット作品『ヴォヤージ』を取り上げましょう。

録音:1984年7月10, 11日
スタジオ:トンスタジオ・バウアー、ルートヴィヒスブルク、ドイツ
エンジニア:マーティン・ウィーランド
カヴァー写真:NASA
ライナー・ノート:チック・コリア
プロデューサー:マンフレッド・アイヒャー

(p)チック・コリア  (fl)スティーヴ・クジャラ

(1)マヨルカ  (2)ディヴァージョン  (3)スター・アイランド  (4)フリー・フォール  (5)ホンコン

ヴォヤージ/チック・コリア

 数多くのデュエット作品を発表しているチック・コリアです。相方にはヴィブラフォンやピアノなどのコード楽器奏者を中心に迎えていますが、スティーヴ・クジャラは例外的なフルート奏者、コリアと遜色なくカンヴァセーションを行える高度な音楽性、超絶テクニックとタイム感、明確な自己のスタイルを持ち、メロディアスなプレイの他、パーカッション奏者の如き効果音を巧みに繰り出すことで、リズミックなアプローチを展開しています。
 90年録音のヴォーカリスト、ボビー・マクファーリンとコリアのデュエットを収めた作品『プレイ』、同じく超絶のヴォーカル、ヴォイス・プレイを駆使するマクファーリンもパーカッション奏者の如きエフェクトを用い、コリアと丁々発止ちょうちょうはっしに渡り合います。
豊かな音楽性と抜群のタイム感を有するコリアと二人だけで演奏するには、オリジナリティ、そしてリズミックな要素を発揮出来ることが必須です。

プレイ/チック・コリア、ボビー・マクファーリン

 コリアの演奏にはジャズ的要素の他にロック、ラテン、ボサノヴァ他、ありとあらゆるリズム形態の音楽が内包されていますが、クラシックや現代音楽の影響とその具現化も認めることが出来ます。
 彼の84年10月録音作品『セプテット』では弦楽四重奏にコリア、クジャラ、フレンチホルン奏者ピーター・ゴードンを擁した7人編成による文字通り七重奏=セプテット、クラシカルな演奏の中に緻密にして大胆なアンサンブル、現代音楽のコンセプトも鮮やかに織り込んだ、充実した作品です。

セプテット/チック・コリア

 コリア自身が寄せたヴォヤージのライナーノートによれば、コリアのセクステットに80年クジャラが加わります。このセクステットが具体的にどういった楽器編成、メンバーのバンドを指すのか定かではありませんが、前後関係から推測すると上記のセプテット前段階として、メンバーが一人未加入としてのセクステットと考えられます。
弦楽四重奏にコリア、クジャラを加えた6人編成は継続的に演奏活動を行い、セクステットの演奏を総括し作品として残すにあたり、サウンドをより重厚にするためにフレンチホルンを加え、セプテットとしたように感じます。
 クジャラは当初サックスがメインでの演奏でしたが、コリアは直ぐにフルートが彼のメイン楽器と判断し、レパートリーのアレンジを書き換えて、クジャラが基本的にフルートを主体に演奏出来るようにしました。
誰かは分かりませんが、恐らく前任の管楽器奏者はサックスがメインであったのでしょう。
 六重奏のコンサートではクジャラとのデュオをフィーチャリングすることが常となり、素晴らしいコンビネーションゆえ、84年夏にデュエットで欧州ツアーを敢行します。それが本作ヴォヤージ録音へと繋がりました。録音自体もツアー中か終了後にドイツ、シュトゥットガルトにあるスタジオで行われます。
因みにセプテットのレコーディングはその直後10月に、ロサンゼルスにあるコリアが所有していたマッド・ハッター・スタジオで行われています。

 ツアー時ドイツのミュンヘンで行われたコンサートの映像がYouTubeにアップされています。画像のクオリティは決して良くはありませんが、二人の演奏の素晴らしさはダイレクトに伝わってきます。

 驚くべきはクジャラが全ての楽曲を楽譜を見ずに、暗譜して演奏していることです。コンサート中盤に収録されている、ヴォヤージ1曲目のマヨルカでも当然ですがメモリーにて吹奏、アルバムでの難曲ぶりを認識しているのでプレイに凄みさえ感じます。
 間違いなく暗譜して演奏に臨んだ方が自在性は高まり、プレイに余裕が生じ、より集中力を得られますが、覚えるに当たりかなりの労力を伴います。クジャラのプレイクオリティを鑑みると、暗譜力にも秀でているのかも知れません。
 一方作曲、アレンジのコリアは勧進帳の如き長さの譜面をしっかりと見ながら打鍵しています。こちらは莫大な情報量ゆえ致し方ないでしょう、その際ピアノに自ら譜面台を据え付け、曲が終われば撤去する律儀な仕草に何処か可愛らしさを感じ、オーディエンスからもどよめきと笑いが生じます。
 難解にして複雑な構成、しかも長尺のコリアのオリジナル、アレンジを譜面を見ずに、しかも一切ブレる事なく、ステージを通して演奏するクジャラのヴァイタリティに感動を覚えました。
 コンサート途中にコリアが打鍵の手を休め、クジャラのソロプレイをフィーチャーした場面があります。フルートの音と声を重ねる、またフルート単体でホーミーのように重音奏法を用いて、現代音楽的な要素も表現しており、加えて和楽器の篠笛からヒントを得たとされる、彼が考案したフレットレス・フルートという特殊奏法を用いた事で、フルートと言う楽器の可能性をグッと広げたように思いました。
クジャラの豊かなテクニック、オリジナリティ溢れる奏法に伴奏のコリアも舌を巻いたに違いありません。
 因みにクジャラ名は北欧ではクヤラと発音しますが、コリア自身はクジャラと紹介しています。恐らくクジャラの本人のルーツが南欧で、そちらの発音での呼び方なのでしょう。

スティーヴ・クジャラ

 コリアの方に話を戻しましょう。常に意欲的に、音楽をクリエイトする事を怠らなかった彼です。
ロイ・ヘインズ、ミロスラフ・ヴィトウスを擁した最初期作品名由来のナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス・トリオ、リターン・トゥ・フォーエヴァーに端を発するスパニッシュ・サウンドを表現するためのプロジェクトの数々、当時の若手を大抜擢したアコースティック・トリオとエレクトリック・バンド、ゲイリー・バートンとのデュオには多くのレコーディングとコンサート活動、多大に影響を受けたメンターとしてのバド・パウエルにトリビュートした作品と一連のコンサート、スティーヴ・ガッド、エディ・ゴメスを擁し、ネオ・4ビートを声高らかに宣言したした作品群、そして何よりも自身のソロピアノ作品のヴァリエーションとその数の豊富さ。
複数のバンド活動の同時進行にはパワフルさと、泉の如く溢れ出る斬新なアイデアを認める事が出来、その充実ぶりに脱帽してしまいます。

 また名曲を数多く世に出し続けたコリアの作曲活動には、日々地道な作業を感じるのですが、ふと浮かんだメロディやリズミック・アプローチの断片を書き留めておく、パーツを集めて一つの楽曲に仕上げるべくピースを録音しておく、時にはピアノの椅子に座り気の向くまま、想いを馳せながら曲のイメージを膨らませ、楽曲のライティングをインプロヴィゼーションを行うが如く進める。
さぞかし24時間では足りない程に音楽漬けの日々を送っていた事でしょう。

 コリアがバークリー音楽大学でセミナーを行った際、参加したミュージシャンから聞いた話ですが、受講者からの自身の作曲に関する質問に対し、ホワイトボードにランダムにモチーフを書き、いとも容易くそのヴァリエーションのメロディライン、コードをまるで天から降って来るかのようにスラスラと書き記したそうです。
彼の創作行為の一端を垣間見た友人はぜひともメモに取りたかったのですが、トップシークレットゆえか、次の質問に備えるためか分かりませんが、コリアはすぐさまボードの文字を消してしまったそうです。
 作曲体質と言うか、常に色々な音が聴こえているのはコップに表面張力でなみなみと水が入っていて、少しでも傾ければ水が溢れる状態、ひょっとしたらコリアは難なく作曲作業を遂行出来ていたのかも知れません。

チック・コリア

 クジャラは1955年シカゴ生まれ、クラシックのフルート奏者であった父親から最初の訓練を受けました。その後イーストマン音楽学校で学び、学友達と結成したフュージョン・バンドでアルバムを発表し高い評価を得ます。
米国西海岸での活動が中心の彼は600近くの映画サウンドトラックを含むスタジオワークやミュージカル、オーケストラの一員として活躍します。
80年以降、コリアのバンドの一員となリ、作品としてはタッチストーンから始まり、アルバム4作品への参加と4回のワールドツアーを行いました。
クジャラのフルート奏に当時コリアは惚れ込んでいたのでしょう、82年3月録音作品アゲイン・アンド・アゲインでは収録ナンバーの殆ど全ての楽曲でメロディ奏を担当させます。本作ヴォヤージはコリアとの継続した音楽作業の集大成と言えましょう。

 クジャラ以前にはジョー・ファレル、ヒューバート・ロウズがフルート奏者でバンドに在籍していました。クジャラ以降は何人かのサックス奏者の持ち替えによるフルート奏、その後スペイン人のフルートの名手ホルヘ・パルドがその役を務めました。
コリアの楽曲のテイストは多岐に渡ります。彼の印象的で美しいメロディを演奏するには自身のピアノ、フェンダーローズ、シンセサイザーの他、サックス、ベース、そしてトランペットやトロンボーン、フレンチホルンなどのブラス楽器、ヴォーカルも用いられますが、トータルに捉えてフルートのメロディ奏は欠かせない存在です。
ファレルによる名曲スペインでのフルート奏がその好例です。
寧ろコリアの音楽がミュージック・シーンにフルートによるメロディプレイの必要性を説いた、若しくは陽の当たる位置に大胆に導いたようにも感じるのですが。

チック・コリア、スティーヴ・クジャラ 84年夏コンサート

 それでは収録曲に触れて行く事にしましょう。
 1曲目マヨルカ、美しいスペインの島にちなんで名付けられたコリア作のこの曲は、もともとピアノとパコ・デ・ルシアのギターのためのナンバーとして作られましたが、ルシアとの共演予定が無く、コリア自身もあまり長く楽曲を眠らせたくなかったので、このデュエット用に再アレンジを施し、取り上げる事にしました。
とは言うものの、やむを得ず消化試合的に演奏を行った感は一切無く、フレッシュさを伴います。結果的に人選、編成ともに功を奏した歴史的な名演奏となりました。
本作他収録曲では即興演奏が中心で、旋律がさほど明確に演奏されておらず、類い稀なるメロディ・メーカーとしてのコリアの本領発揮は、この1曲だけで十分に達成されていると捉えています。
 壮大で美しく、神秘的ですらあり、組曲の如く幾つもの場面を持ち、緻密さ複雑さを保ちながらいずれもが有機的に絡み合い、結果コリアワールドを存分に表現している、彼のコンポジションの中でも有数のナンバーです。デュエットという演奏形態が必要最小限にして最大の効果を上げており、他の楽器の介在は全く必要ありません。
 
イントロのコリアの打鍵からして崇高さを感じさせます。気高くピアノを鳴らす事に関してコリアは間違いなく第一人者です。
グリッサンドに続きフルートがメロディを奏でます。クジャラのふくよかで芳醇なサウンドも他の追従を許さない、脱力感を伴いつつも他を圧倒するかのプレイです。

 それにしてもテーマのあまりの美しさには表現する言葉を失います。
コリアがマヨルカ島に赴いた際に受けたイメージの具現化か、単に想像上の産物による美的表現か、いずれかは分かりませんが、コリア作曲スペインに於ける美意識とは全く異なる同国の異国情緒を、巧みに表現しています。
 ピアノの左手による低音域でのリズミックパターンと、フルートとピアノ右手のユニゾンないしはアンサンブルによるメロディの対比、ごく自然なルバート奏とインテンポ時のタイム感の素晴らしさはこちらも見事な対比を示しています。
寸分の隙間もない程の緻密な合奏に支えられたダイナミックな二重奏に、この時点で否応無しに感銘を受けます。

 ソロはコリアの左手によるパターンが基本となり、クジャラは縦横無尽に吹奏します。フルートでこれだけ多彩な表現を行えるプレイヤーを私は知りません。楽器を極めたマエストロとは、全く彼に相応しい言葉です。
魅惑的なフルートの音色と倍音の豊かさ、他のフルート奏者から誰一人として認識出来ない、独自の鳴りから発せられるコアな音の成分、ニュアンス付けの巧みさ、難易度を伴う高音域への跳躍に際しての確実性、全てが驚くべき次元で表現されています。

 コリアのレスポンスは文字通り付かず離れず、左手のパターンを微妙に変化させる事でのクジャラのフレージングやリズミック・アプローチへの対応、右手のコードやパーカッシヴな打鍵を駆使したフルートとの絡み具合、クジャラの一切迷いがない、しかも特殊奏法をさり気なく織り込みつつのソロの組み立てと構成力。
インプロヴィゼーションの収束にはディミヌエンドを伴いながらピアノに受け渡します。
 フルートはソロ終了後にもコリアの後ろで、極小の音量でパターンを継続します。YouTube演奏とはアプローチが殆ど同じなので予めアレンジされていたものでしょう。とは言えパターンをモチーフとして徐々に変化させ、次第にパーカッション奏者と見紛うプレイを聴かせ始めます。
具体的にはカバサ、ギロといった、ラテン音楽で用いられるパーカッション楽器の音色をフルートで発します。これら打楽器の音色を熟知しなければフルートという管楽器から発する事は不可能で、音色とその発音には徹底した研究が必要です。

 エリック・ドルフィーはかつてアルトサックスで人が喋るかの様に吹奏し、バスクラリネットでは馬の嘶きいななきの如き音色を発しました。クジャラはフルートでパーカッションの音を発するという、大胆な手法を用いました。
彼の本来のフルート奏の音色が前人未踏の素晴らしさであり、その意味での正統派の極みの奏者が同時に特殊奏法の達人であると言う観点から、フルートという楽器が持つ無限の可能性を感じてしまいます。
 そしてこれらのパーカッション音でのプレイの際のタイムがまた素晴らしく、本職のパーカッション奏者顔負けグルーヴを聴かせます。コリアのタイム感抜群のピアノ奏に寄り添い、確実にバックアップし、演奏を鼓舞しています。

 ピアノソロが佳境に達したところでクジャラは再びパターン演奏に戻ります。その後ピアノとフルートによるアンサンブル、ソリと呼ばれるパートが登場します。フルートソロ、ピアノソロと徹底した音楽表現を行った後に、信じられない難しさを湛えたユニゾン演奏を登場させる、言わば更なる山場を設ける、コリアの音楽表現に対する執念、強かさしたたかさ、旺盛なチャレンジ・スピリットに素直に感動してしまいます。もちろんソリの完璧な仕上がりぶりは言うに及びません。

 その後はラストテーマに向けた流れになります。初めのテーマとは楽曲のキーが変わっていますがこれも至極自然に、音楽の必然性があっての流れです。
只管ひたすらドラマチックに、音楽的に高度な内容をいとも容易く、サラッと演奏する二人には万雷の拍手が相応しいと感じます。

スティーヴ・クジャラ

 2曲目ディヴァージョンは特に決め事がなく、スタジオ内で行われた全くの即興演奏に該当します。コンポーザーのクレジットに両者の名前があるのはそのためです。
 セクステットでフィーチャーされた二重奏はコンサート毎に繰り返しプレイされ、演奏内容は豊かさを増し、その後の欧州ツアーで培われた経験から二人のコンビネーションは相互尊重、良好なコミュニケーション、そしてお互いの演奏への理解度を深めました。

 ここでは触発し合いながら自由にモチーフをぶつけ合い、現代音楽的アプローチ、無調、シェーンベルク的十二音技法を感じさせながらピアノがメインに主張する場面、フルート単体での表現、ピアノのモチーフに反応するフルートの自在性、ピアノのある種の挑発に乗じて更なる次元に向かう、一聴取り留めのないカンヴァセーションも含めながら、高度な音楽性とテクニックに裏付けされた二重奏を繰り広げます。
 途中でクジャラは1曲目とはまた異なるパーカッション奏法を披露、コリアはかつて70年代率いたフリージャズ・グループ、サークルでのプレイを彷彿とさせる打鍵を聴かせます。
 随所で行われるリズミックなやり取りには両者の卓越したリズム感が認められ、前衛的なアプローチを繰り広げてもタイトにしてグルーヴ感のあるインテンポの上なので、比較的重くならず、さほどダークさを感じさせません。

 オーネット・コールマンの代表作『フリー・ジャズ』はフロント奏者達の激しい咆哮を、素晴らしいグルーヴを伴ったリズム隊が確実にインテンポでバックアップする構図が音楽を纏め上げ、結果何処か楽しげにさえサウンドさせます。
 こちらディヴァージョンでも前衛色の中に明るさと優しさをアピール出来ているのは、ルパートでテンポが無くなる部分があっても、基本端正なリズムのグルーヴが存在継続し、まずリズムありきを念頭に置いた表現者二人が聴き手側に立っているからです。
 二人のプレイの端々に美しいメロディのフラグメントも確認出来、これらを集めて発展させれば幾つもの素晴らしい楽曲に仕上がりそうに思えました。

 3曲目スター・アイランドは全編ピアノソロで行われます。内容としてはプロデューサーのマンフレッド・アイヒャーが、恐らくスタジオ内でコリアが弾いたコードに興味を持ち、そのコードに基づいたアイデアを発展させるべきだと助言し、ここでの演奏に仕上がりました。
コリアにしては比較的フラットな場面が続くリリカルな演奏、タイトルを受けて打鍵の強弱には星の煌めきを感じます。

チック・コリア

 4曲目フリー・フォールもスタジオで行われた即興演奏です。ディヴァージョンが動とすればこちらフリー・フォールは静の表現です。
コリアのソロピアノから始まります。被るようにフルート奏が始まり、打鍵の手が休まりフルートソロへ、フルートの持つ音色の魅力を披露するかの豊かな音色を聴かせ、再びピアノソロへ、コリアのタッチの持つ素晴らしさが録音の妙と合わさり美の世界を提示し、両者の穏やかな会話、静観しつつも時として積極的にトークに参加するコリア、度々の会話のやり取りから良質のカンヴァセーションが引き出されました。

 5曲目ホンコンは元々「ピアノとフルートのための二重奏曲」と名付けられていました。作曲者コリア自身が奇妙な形でアジアを連想するために、タイトルをホンコンと名付けたそうです。
 曲中フルートとピアノが即興を行う中程の短いパッセージを除いて、全ての音符が書かれたナンバーとライナーには記載されています。
複雑で込み入った構成からその場で行われた即興演奏と感じ、部分的アドリブ以外作曲、アレンジされたナンバーとは到底聴こえません。
エンディングの超難易度を有するシカケには、如何にもコリアらしさを実感しました。


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