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アップ、アップ・アンド・アウェイ/ソニー・クリス

 アルトサックス奏者ソニー・クリス1967年録音リーダー作『アップ、アップ・アンド・アウェイ』を取り上げましょう。

録音:1967年8月18日
スタジオ:インパクト・スタジオ、ニューヨーク
エンジニア:リチャード・アルダーソン
プロデューサー:ドン・シュリッテン
レーベル:プレスティッジ
デザイン、カヴァー写真:ドン・シュリッテン

(as)ソニー・クリス  (g)タル・ファーロー  (p)シダー・ウォルトン  (b)ボブ・クランショウ  (ds)レニー・マクブラウン

(1)アップ、アップ・アンド・アウェイ  (2)ウィロー・ウィープ・フォー・ミー  (3)ディス・イズ・フォー・ベニー  (4)サニー  (5)スクラップル・フロム・ジ・アップル  (6)パリス・ブルース

アップ、アップ・アンド・アウェイ/ソニー・クリス

 艶やかさの中に哀感を含んだ個性的なアルトのトーン、滑舌が良く端正でスピード感を伴った8分音符がメッセージを明瞭に伝え、深いヴィブラート、豊かなニュアンスや節回しにオリジナリティを感じさせるソニー・クリスは1927年10月23日テネシー州メンフィスで生まれ、15歳の時にロサンゼルスに移り、ハイスクール卒業後ハワード・マギーのバンドに入団します。46年カリフォルニアに滞在していたチャーリー・パーカーと親交を持ち、そのスタイルに多大な影響を受けます。
40〜50年代に現れた多くのパーカー派アルト奏者の中で、クリスは頭一つ抜けた存在、ゆえに47年ノーマン・グランツ主催のJATPに参加、グランツの手配により数多くのジャムセッションが興行されます。
49年にグランツの采配で初リーダー・セッションが行われます。アルバム『アン・イヴニング・オブ・ジャズ』、レコードのA面4曲がクリスの演奏、そして収録曲は全て彼のオリジナルになります。
ピアニストにハンプトン・ホーズを迎えたカルテット、この時点で彼のスタイルの萌芽を聴き取ることが出来ますが、トーンの個性に関して後年とは隔たりを感じます。

アン・イヴニング・オブ・ジャズ

 50年8月に行われたワーデル・グレイとジャムセッションを収めた『ワーデル・グレイ・メモリアルvol.2』では、音色にもかなり確立されたテイストを発揮し、終始自信に満ちたプレイを繰り広げています。一皮剥けたという次元です。

ワーデル・グレイ・メモリアルvol.2

 52年6月にロサンゼルスでのセッションを収録したアルバム『イングルウッド・ジャム:バード&チェット』、ここではチャーリー・パーカーに負けじとばかりに熱演するクリスを聴くことが出来ます。テクニック的にはかなり申し分ないレヴェルにまで達していますが、パーカーの大御所としての風格、存在感、そして安定したタイム感の前にはクリスの張り切り過ぎを否めません。パーカーを目の当たりしたアルト奏者は誰でも力が入るのは致し方ない事でしょうが。
いずれの曲でもソロがパーカー、チェット・ベイカー、クリスと続くため、アルトバトルを聴く事は出来ません。パーカーにしてみれば、はなからクリスのファイティングを受け入れる気がなかったようにも感じます。

イングルウッド・ジャム:バード&チェット

 56年2月録音の実質上初リーダー作で、ピアニストにソニー・クラークを擁し、出世作にもなった『ゴー・マン!』では、明らかにサウンドのイメージを掴み、パーカースタイルを基本としますが自己の語り口を交え、太く逞しく確立されたクリスのプレイを堪能することが出来ます。
アルバム・ジャケットのセンスも秀逸で、女性の足繋がりから参加するソニー・クラークの代表作『クール・ストラッティン』を連想させます。もしくは男女のスクーター二人乗りから映画「ローマの休日」でしょうか。

ゴー・マン!/ソニー・クリス

 特にクリスの音色に関して、多くのジャズ・アルトサックス奏者が(フュージョンやロック、スムースジャズ・プレーヤーは別にして)ハードラバー・マウスピースを使用するのに対し、クリスのサックス・トーンの個性を決定付けているのがメタル・マウスピースにあります。具体的にはセルマー社製メタル、ジャズモデルです。
こちらはシーンを見渡しても使うアルト奏者が殆ど存在しません。ソニー・スティットがオットーリンク・メタルを使っていたのは有名ですが、後年のアーサー・ブライスがベルグ・ラーセン・メタルを使用していたくらいでしょうか。
クリスの個性に実に合致したマウスピース・セッティングです。オリジナリティの確立とその発揮という点で、抜群のハードウエアとしてのパートナーを見つけたとまで断言出来ますが、後続のアルト奏者にはその影響を見かける事がありません。

ソニー・クリス
セルマー社製アルトサックス・メタルマウスピース
ジャズモデル

 クリスは63年から65年まで欧州で音楽活動を行い、米国に戻ってからはプレスティッジ・レーベルのプロデューサー、ドン・シュリッテンと契約し、オムニバス盤を含めて8作品をリリースします。
本作『アップ、アップ・アンド・アウェイ』は3作目に該当し、それまでの2作がスタンダードナンバー中心の選曲であったのが、クリスの持ち味に合致したポップスのヒットチューンを取り上げたことが功を奏します。ここでポップスナンバーをメロウに吹くアルト奏者というイメージが定着した感があります。
彼の晩年の名作(75年作品)『サタデイ・モーニング』と双璧を成す代表作となりました。因みにこの作品のプロデューサーもシュリッテンです。

サタデイ・モーニング/ソニー・クリス
プロデューサー、ドン・シュリッテン

 クリスは77年に初来日を飾る予定でした。当時『サタデイ・モーニング』がジャズ喫茶で大ヒットしていた事もあり(モダンジャズ鑑賞を取り巻く環境は今とは大きく異なり、ジャズ喫茶が情報発信元にして情報交換の場であり、鑑賞の中心場所でした)、幾つかのコンサートが企画されていましたが、来日数日前の11月19日朝、拳銃による自殺を遂げます。胃癌による激痛を訴えていたことからそのように判断されていますが、来日公演はクリスが演りたい曲のみでのパフォーマンスを、と言う条件をプロモーターが快諾しました。望まないポップスチューンを演奏する必要の無いステージ構成にクリスが大喜びし、楽器を吹きながら小躍りするほど訪日を楽しみにしていたそうです。ゆえに自殺の筈がなく、その死に関しては諸説あるようです。

ソニー・クリス

 『アップ、アップ・アンド・アウェイ』が国内盤レコードで発売された際に、ライナーノートを作家である村上春樹氏が書いています。
当時春樹氏は他にもジャズアルバムのライナーノートを書いていたと言う話を聞いた事がありますが、自身でジャズ喫茶「ピーター・キャット」を国分寺で最初に、後年千駄ヶ谷に移転して営業していたほどのジャズファン、マニアとして知られています。
ジャズだけではなくロックやクラシックにも造詣が深い作家として名高く、どのようなジャンルの音楽に対する評論を書いても、蘊蓄うんちくのある内容を確認する事が出来ます。
私は個人的に彼の書く文章の大ファンです。
本作にはチャーリー・パーカー没後のアルトサックス・シーンを、いつに無く大変ユーモラスに、落語の風情を感じさせ、かつジャズファンで、しかもジャズ喫茶のマスター経験者ならではの深い洞察力や知識に基づいて書かれたライナーを寄せています。私の書く内容とは被らない範囲で抜粋し、掲載したいと思います。

ソニー・クリス/アップ、アップ・アンド・アウェイ・ライナーノート by 村上春樹[1980年](原文通り、抜粋)
チャーリー・パーカーは、死んで何を残したか?
 確かにチャーリー・パーカーは天才的なジャズ・ミュージシャンであったけれど、まあ実にうまい時期に死んだなあ、と言う気がしないでもない。これはジョン・コルトレーンについても言えることで、いかに天才といえど人間死にぎわ引ぎわというのはやはり大事なのである。そういえばジュリー・ロンドンの古いレコードに「躾のいい子は長居しない」(Good Girls Don't Stay Long)というのがあったな。
 さて、こういったカリスマ的家長が死んだあとに必ず起こるのが跡目争い、遺産争い。チャーリー・パーカーの場合も例外ではない。遠縁のオバサン連中は通夜の炊き出しをやりながら「こんなこと言っちゃなんだけど、チャーリーさんも、まあうまい時に死んじゃったわねえ」なんて気楽なこと言ってはいるが、近親者はそれどころじゃない。
 長兄フィル・ウッズは、仏さまの枕もとでしくしく泣いている若い義母をなんだか下心ありげに慰めているし、それを見ていきりたつ次男ジャッキー・マクリーンを、叔父のソニー・スティットがわけ知り顔でまあまあとなだめている。かと思えばチャーリーお父っつぁんが新橋の芸者に生ませた隠し子キャノンボールなんかは、我関せずとムシャムシャ鮨を食うばかりで、まわりのヒンシュクを買っている。
 こういう殺気立った場所に隣家の息子リー・コニッツがくやみに来たもんだから、これはたまらない。「お前は本当はチャーリーお父っつぁんが隣のオバサンに生ませた子供じゃないのか? そういえばいつぞやのお父っつぁんのオバサンを見る目つきがおかしかった」なんて無茶苦茶な言いがかりをつけられることになる。コニッツは「ジョ、冗談じゃありませんよ、僕の目鼻立ちを見てください。ちっとも似ていないじゃありませんか」と弁解に努めるのだけれど、「いや、そうムキになるところがかえって怪しい」ととりあってもらえない。
 一方控えの四畳半では末弟のソニー・クリスとチャールス・マクファーソンが知恵遅れのルー・ドナルドソンをあやしながら、じっと唇を噛みしめ、「汚ねえ、みんな汚ねえ、お父っつぁん、なんで死んじゃったんだい」などと言いあっている。しかしそれでもチャールス・マクファーソンは根が素直なものだから(はっきり言えば馬鹿だから)兄さん連中に「はい、これが形見の品、お前もがんばるように」とチャーリーお父っつぁんのはき古したナイロンの靴下1足もらってうまく言いくるめられてしまい、残るはソニー・クリス一人。「お父っつぁん、俺はお父っつぁんの遺志を継いで、必ずや立派なアルト吹きになるよ」とウエスト・コーストへと戻っていく。
 ……というのが艶福家チャーリー・パーカー亡き後の極めて大雑把なアルト・サックス・シーンである。なんだかソニー・クリス一人が良い役をもらっているようだけれど、これは仕方ない。だってこれはソニー・クリスのライナー・ノートなんだから。
 えーと、結局何が言いたいのかというと、偉大なサキソフォニストにしてイノベーターでもあるチャーリー・パーカーの音楽を全的に把握し、それをしかるべく発展させることができたアルト・サックス奏者は、その後遂に一人も出現しなかったということなのです。あるものは音色を継ぎ、あるものはフレージングを継ぎ、あるものはタイム感を継いだ。しかしイニシアチブの取れる存在を欠いた50年代のアルト・サックス・シーンは、その表面の華麗さとは裏腹に混迷の度を深めていくことになる。
 でも言ってみればこれは当たり前のことで、チャーリー・パーカーの音楽はあまりにもチャーリー・パーカー的でありすぎて、他人がどれだけそれを真似しようとしても、所詮下町の鉄工所の親父が、銀座の高級クラブのホステスを口説いているという図になってしまう。「テクニックがイモなのよ」と軽くあしらわれ、それじゃとテクニックを身につけて出直していくと今度は「柄じゃないのよ」と頭から水割りをかけられたりしてね……、とにかくこれじゃ浮かばれない。絶対に浮かばれない。そこで「キャバレーならやはり東上線」と叫ぶエリック・ドルフィーやらオーネット・コールマンの出現となるのだけれど、こういうのを書いているとキリないので、ソニー・クリスの話。

 まだまだ春樹氏のマクラ噺は続くのですが、この辺にしてそろそろ本題に戻りたいと思います。
本作「アップ、アップ・アンド・アウェイ」はギタリストにタル・ファーロー、ピアニストにシダー・ウォルトン、ベーシストにボブ・クランショウ、ドラマーにレニー・マクブラウンを迎えて、60年代後期の音楽シーンをよく表した選曲、内容から成り立っています。

 1曲目表題曲アップ、アップ・アンド・アウェイ、邦題「ビートでジャンプ」、混声ヴォーカル・グループ、ザ・フィフス・ディメンションの67年録音発表、ジミー・ウェブのペンによるグラミー賞を受賞した名曲です。
同年5月にシングル盤がリリースされ、瞬く間に大ヒットとなり8月録音の本作ではこれに肖ったあやかった形になります。
オリジナルよりもずっと速いテンポ設定で始まります。ピアノトリオのリズミカルなイントロからスタート、基本ボサノヴァのリズムで軽快に曲が進行します。
アルトサックスのブリリアントな音色とスピード感のあるイーヴン気味の8分音符、ベンド、グリッサンドのニュアンスが楽曲のムードに見事なまで合致し、そのままごく自然にソロに突入し、テーマメロディを織り込みながら華麗なブロウを聴かせます。

 ウォルトンのソロに続きます。テーマの雰囲気から大きく離れる事なくメロディアスに打鍵しますが、適度なスパイスを交えてのプレイは実に音楽的、サイドマンとしての役割を肝に銘じつつ自己表現を行う、プロミュージシャンとしてのプライドを感じます。
その後再びアルトサックスソロが始まります。初めのプレイよりも様々なアイデアを駆使しつつの展開を確認出来ます。そのままラストテーマへ、イントロのパターンを踏襲しながらアルトがソロを取りFade Outです。

 2曲目ウィロー・ウィープ・フォー・ミー、邦題「柳よ泣いておくれ」、調性としてはメジャーの楽曲ですが、クリスはブルーノート音を使用しながら豊富なニュアンスを交え、メロウなムードを醸し出しています。「暗明るいくらあかるい」プレイと表現出来るでしょう。
 この曲からギタリスト、タル・ファーローが加わります。58年に代表作『ディス・イズ・タル・ファーロー』をリリースするも、その後結婚を機に地元ノースカロライナ州に戻り、シーンから遠のきます。約10年のブランクを経て68年にニューポート・ジャズフェスティヴァル出演で本格的な復帰を遂げますが、本作へはその直前の参加となり、話題となりました。
テーマ後ファーローのソロへ、強烈なピッキングが音符の極太感を際立たせます。かなりリズムに突っ込んだタイム感で速弾きしているため、拍に対して音符を詰め込んだように聴こえます。
 その後のウォルトンのソロは対照的にリズミックで、唄を感じさせるソウルフルなテイストを持って行われます。
サビから後テーマになり、クリスのアルトが登場しますが、初めのテーマ以上に音量を抑え、トーンの付帯音をしっかりと響かせるように演奏しています。
ラストは短いカデンツァを経てFineです。

 3曲目ディス・イズ・フォー・ベニーはピアニスト、ホレス・タプスコットのオリジナルで速めのワルツナンバー、マイナー調で陰りのある曲想はクリスの哀感を刺激して、よりブルージーな表現を引き出します。
タプスコットは翌68年5月録音クリスのプレスティッジ・レーベル5作目『ソニーズ・ドリーム(バース・オブ・ザ・ニュー・クール)』にてクリスをソロイストとしてフィーチャーした7管編成による大所帯の作曲、アレンジ、指揮を担当します。低音域編曲の充実化にユニークさを発揮し、チューバにレイ・ドレイパー、バリトンサックスにピート・クリストリーブを配しています。
 バース・オブ・ザ・ニュー・クールのサブタイトル通り、マイルス・デイヴィスのバース・オブ・ザ・クールの向こうを張った中々に意欲的な内容の作品でしたが、残念な事にシーンには受け入れられませんでした。

ソニーズ・ドリーム(バース・オブ・ザ・ニュー・クール)
/ソニー・クリス

 イントロのトリッキーなリズムフィギュアに、アルトもアンサンブルに加わって印象的な世界を作ります。
気持ちが入り込み過ぎた結果からか、リズムがラッシュする場面もありますが、一貫しての歌いっぷりにはアルバム『サタデイ・モーニング』での"泣きのサックス"の境地に至らんばかりです。
サックスのピッチが時折上擦るのが些か気になります。この音程感は本作全体を通して聴かれるのですが、8年後の『サタデイ・モーニング』ではピッチの問題は完璧に解決されています。それだけではなくタイトなタイム感の提示、ニュアンスやアーティキュレーションの明瞭さ、フレージングの曖昧さの排除、そして何よりメッセージの発露の明確さを感じます。
これらから自身の演奏を客観的に捉えた結果として、こうあるべきと言う姿の具現化を確認出来るのですが、ここまでアーティスティックに音楽を極めようとする演者が自死を選ぶとは到底考えらないと思っています。
あくまで推測の域ですが、リー・モーガンの死去と同じケースも考えられます。

 続くファーローのプレイからは、手の大きなギタリストならではのダイナミックな撥弦を感じます。しばらくの演奏ブランクゆえか、元々の捉え方か、タイムのラッシュが顕著な場面も見受けられますが、チャーリー・クリスチャン直系のラインの組み立てには好感が持てます。
 アルト、ギターソロの際に的確なバッキングを行なっていたウォルトンは、自分の出番でもタイトなタイム感と知的なソロ構成を聴かせますが、クランショウとマクブラウン二人のリズム隊の好サポートがポイントとなっています。
その後イントロに戻りラストテーマへ、アルトソロが行われつつエンディングはFade Outです。

 4曲目サニーは66年作曲者ボビー・ヘブの歌唱でヒットしたナンバー、多くのミュージシャンによってカヴァーされている名曲です。
サニーの殆どのヴァージョンが曲中転調を繰り返しますが、ここでもご多分に漏れません。こちらもオリジナルよりずっと速く演奏され、寧ろ曲想から離れ気味とも感じます。
 テーマがジャズロック風のリズムで演奏されていたのが、ソロに突入して直ぐにスイングのリズムになります。クリスが流暢に、時折激しくブロウしつつ、ブルーノートとこぶしによる”むせび泣き”を聴かせます。
ウォルトンのソロはを生かしつつ、シンコペーションのラインを駆使しリラックスしたテイストで行われ、良い具合にアルトソロとの対比を成しています。
ここでのラストテーマも、クリスは音量を抑制しメロウさを表現しています。

 5曲目スクラップル・フロム・ジ・アップルはご存知チャーリー・パーカーの代表的ナンバー、定番のイントロから軽快にギターとのユニゾンを伴い、テーマをプレイします。
ソロ先発のクリスは好調さを湛えながらスインギーに、パーカー的なアプローチとトレードマークのブルージーさを適度に交えながら進行します。
続くファーローのソロは重機がスピードを上げながら悪路を走行するかの、ヘヴィーさを感じさせますが、フレージングの音選びに独自のテイストが認められます。
 ピアノソロはアルト、ギターとややオントップであったリズムのノリを排除し、リズムのスイートスポットにしっかりと嵌まったタイム感を提示します。
その後クリスとファーローの4小節交換が2コーラス行われ、3コーラス目からの2コーラス間はプレイの同時進行となり、盛り上がりを聴かせます。
そのままラストテーマを迎え、サビの8小節はドラムソロとし、ラストは定番アウトロにてFineです。

 6曲目パリス・ブルースはクリスのオリジナルのスロー・ブルース。ピアノトリオから始まりますが、テーマの提示は行われずピアノソロ1コーラス、ギター2コーラス後にアルトのソロが開始されます。レイジーな雰囲気を湛えながらアーシーに、音量のダイナミクスも交えながら行われます。
ギターソロが再登場、その後アルトとギターが会話するが如くやり取りし、ラストはアルトが責任を持ってエンディングに向けてプレイ、終止感を得てFineとなります。



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