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#2 『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』 をエスノグラフィーとして読む

村上春樹さんの旅行記です。「ウイスキー」をテーマにしてアイルランドとスコットランドのアイラ島の旅を記録した作品です。村上春樹さんは文化人類学者ではありませんが、この作品では日常生活の中の些細な出来事や風景を詳しく描写します。これはエスノグラフィーにおける日常の観察と共通しています。

エスノグラフィー(Ethnography)は、人々の日常生活や文化を研究・記述するための方法論の1つです。

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村上春樹(1999)

レシピとは要するに生き方である。何をとり、何を捨てるかという価値基準のようなものである。何かを捨てないものには、何も取れない。

(村上 1999)

いきなりウイスキー造りのレシピを人生に例える所が村上春樹さんらしいです。

「ウィスキー造りを僕が好きなのは、それが本質的にロマンチックな仕事だからだ」とジムは言う。「僕が今こうして作っているウィスキーが世の中に出ていくとき、あるいは僕はもうこの世にはいないかもしれない。しかしそれは僕が造ったものなんだ。そう言うのって素敵なことだと思わないか?」

(村上 1999)

"ジム"はボウモア(スコッチウィスキーの銘柄)のブレンダーとして登場します。現地でウィスキーに関わる仕事をしている人たちの人生哲学を文学的に描写しています。

潮風はピートにたっぷりとしみ込み、地中にもぐった水は(略)ピートのもつ独特のにおいに染められる。緑の牧草にも、潮風は日々吸い込まれていく。牛や羊はその草を食べて育ち、そのおかげで肉には自然の豊な塩味が添えられることになる ー と土地の人は主張する。

(村上 1999)

この表現はとても素敵ですが、潮風が家畜の肉の味に影響するというのは理屈では関係していないかもしれません。しかし、アイラ島の牛や羊は潮の引いた海辺で海藻を好んで食べる様です。

同じアイラ島の蒸留所でも伝統継承の考え方が異なります。ボウモア蒸留所は古典的な方法で製造されるらしいですが、ラフロイグは近代的でコンピューター制御されています。その理由をラフロイグ蒸溜所のマネージャーへインタビューした回答がこちらです。

「僕らが蒸留の工程で積極的にコンピューターを使うのは、その方が管理がより正確にできるからだよ。僕らは結局のところ、おいしいウィスキーを時代にあわせてうまく造ることを目指しているんだ。(略)そういう気取の気性が、いうなれば僕らの伝統なんだ。大事なのはかたちではなく味だ。」

(村上 1999)

最後に、私がこの旅行記がエスノグラフィーだと感じた表現です。ボウモア蒸留所のジム・マッキュエン氏へインタビューしたアイラ的哲学です。

「みんなはアイラ・ウィスキーの特別な味について、あれこれと細かい分析をする。大麦の質がどうこう、水の味がどうこう、ピートの匂いがどうこう・・・。たしかにこの島では上質の大麦がとれる。(略)でもそれだけじゃ、ここのウィスキーの味は説明できないよね。その魅力は解明できない。いちばん大事なのは、ムラカミさん、いちばん最後にくるのは、人間なんだ。ここに住んで、ここに暮らしている俺たちが、このウィスキーの味を造りあげている。それがいちばん大事なことなんだ。だからどうか、日本に帰ってそう書いてくれ。俺たちはこの小さな島でとてもいいウィスキーを造っているって」
というわけで、僕はその通りに書いている。神妙な巫女みたいに。

(村上 1999)

「神妙な巫女みたいに。」エスノグラファーとして大切な考え方だと思います。

この本には写真が多く掲載されており、現地の風景や人々の様子を視覚的にも知る事が出来ます。ウィスキー好きな方や旅行が好きな方でも気軽に読める良書です。

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