「私服がダサい」は誉め言葉なのか

こちらの記事を発端に、メジャーリーガーのダルビッシュ有投手と、一般ユーザーがやり取りしているのを目にした。

「わざわざ私服を撮影してダサいなどと貶める記事を出す必要はあるのか」というダルビッシュ投手と、「ダサいは誉め言葉みたいなもの」というRさんの主張は平行線を辿り、相容れそうにない。ただ、その中で見えたものを僕なりにまとめてみたい。

まず、記事の本旨が貶めるためのものではなかったということだ。タイトルでは明らかにマイナスな面を言っておいて、内容としては「ダサいけど凄い!」的なところに着地している。ウェブの記事ではよくあることなのだけど、センセーショナルなタイトルをつけないとそもそも記事を読んでもらえないので、タイトルと記事の内容が違うということがよく起きてしまう。そして、タイトルだけを見て騒ぐユーザーもいるので(記事読まずにRTしてる人もいるのでは)、記事の本来の目的とは違うところで騒がれてしまったりするのだ。これは編集側の責任なのだけど、タイトルだけ見て脊髄反射的に騒いでしまうユーザーにも一因はあると思う。この前提をもとに、両者の主張を見ていく。

Rさんはジャニーズアイドル等へは愛情表現として「私服ダサいいじり」があるという。見た目がカッコ良くて、イケてる人の「隙」の部分にグッとくることはあることかもしれない。それ自体は理解できる。ただ次のツイートで、愛情表現としてのいじりではなく、有名人は消費するものという意図が読み取れる。

「私服いじり」なんて、アイドルコンサートや、テレビでは当たり前だから誰がやっても問題ないということらしい。

また、「男性と女性では言葉の感じ方が違うのかもしれません」「言葉を額面どおりしか受け止められない男性は残念かも」とも仰っている。男女で差異があるのは当然のことかもしれないが、女性が好意的に感じるから男性が嫌だと感じてもOKなのだろうか。逆だとどうなるか、セクハラである。これを認めることは、男尊女卑(あえてこう言うけど)の世の中をも認めることにならないだろうか。

また、ダルビッシュ投手は繰り返し、「書かれている本人の気持ち」「どう感じるかは本人にしかわからない」「人によって傷つくことって違うはず」「プライベートなことだ」と、書かれた側の気持ちについて言及しているのに対し、Rさんは消費者としての言い分しか言っていないように見える。「ファッションリーダーとして持ち上げられて、利益を享受することもあるのだから、批判にさらされるのは受け入れるべき」とも。そして気になったのはこちらのツイート。

果たしてロバート・ダウニー・Jさんがこの写真を撮られたとき、こんな使われ方をすると知っていただろうか。Rさんがメディアについてどこまで知っているのかはわからないけど、こういう写真というのは、以前の取材などで撮り貯めしておいたものを、何かネタがあったときに使いまわすということが多い。写真を提供するサービスもある。特にこの記事は、色んなセレブの写真がある中から共通点を見つけ、まとめて記事として配信している。たったこれっぽっちのネタのために、複数のセレブの私服を狙って、しかも「こういう内容で掲載します」と本人に伝えて撮影しているとは到底思えない。ただ、これまでのやり取りを見る限り、この事実を伝えたところで謎理論を展開してかわされてしまいそうな印象を受けた。

信頼関係のない相手へのいじりはいじめである。テレビやコンサートでやっているからと言って、それを第三者が、プライベートの場でやっても良いのか。きっと多くの芸能人は心では嫌な想いをしながらも、笑って応えたり、流してくれることだろう。そこで冷たい態度を取ったりしようものなら、すぐにさらされてしまうから。第三者である僕たちは、そこを理解した上で行動しなければならない。

例えば、僕が好きな女性アイドルグループの中では、メンバー同士で互いの体系などを「いじる」ことがライブでのネタとして認知されており、会場が大いに盛り上がる瞬間でもある。ただし、それはメンバー同士の信頼関係があり、アイドルとファンが一緒に場を作り上げるライブだからこそのものでもある。もしもファンやメディアの人間が街中でそのメンバーを見かけたとしても、それをいじってはいけないのだ。例えファンだとしても、外でそれをやってはただのセクハラである。

また、Rさんは「この程度のファッションチェックに目くじら立てるのは狭量。むしろ好感度アップにつながる」という趣旨のリプライもしている。問題はそこではないし、程度の問題でもない。もしも自分の推しが「こういうのは嫌だ」と言ったら「狭量」で済ませるのだろうか。

驚いたのが、Rさんに賛同するリプライも一定数あったことだ。僕とはまったく違う次元を生きている方がいるのだと、改めて思い知らされる。中には「ダルビッシュさんはまっすぐなんですね」という、前後の文脈からして小馬鹿にしているとも取れるリプライもあった。これに関してはとても気分が悪い。

始めは、Rさんの意見にも一理あるのかもしれないと思って一連のツイートを見ていたが、見ていくうちに意見が変わった。確かに、こういうものを全部禁止してしまったら、表現の自由などもなくなりかねないとも思うが、「有名人なんだからそれくらい許容しなさいよ」という差別的な見方があるように感じた。また、自分は常に傷つく側で、傷つける側に回るハズがない。自分の見たいものしか見ない、信じたいものしか信じない、それが客観的事実なのだという身勝手さが見えた気がする。

ジャニーズなどの現場を知らない人にとっては「私服がダサい」は誉め言葉ではないし、例え知っていても、外でそれをやってはいけない。僕も今回、「そういう世界」があることを初めて知ったが、誉め言葉だと思っている人にもどうか、自分たちの考えが全てではないことを知ってもらいたい。

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