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【バイクとは人生のようなものだ】

ってことで、徒然に。

登山とは人生のようなものだ
ドラムとは人生のようなものだ
映画とは人生のようなものだ
サッカーとは人生のようなものだ
料理とは人生のようなものだ

などなど。いろんな物が人生に例えられ、毎回、わかったような気にはなりつつ、いまひとつ実感がわかないまま忘れてしまうんですけど、今回は、たまたま拝読したNoteの記事に触発され、

バイクとは人生のようなものだ

について。

バイクもよく人生に例えられますし、私自身がライダーであるが故、この例えについては実感を持っていて、

基本的に一人であること
定期的に手を入れないと壊れてしまうこと
食事(ガソリン)をとらないと動けなくなること
転ぶと怪我をすること
日射や闇や雨や風や暑さや寒さもの影響をもろに受けること
持ち運べる荷物に限りがあること

などなど、自転車の次ぐらいに個としての人間の本質に近い乗り物だと思ってます。

この辺はどこを切り取ってフォーカスするかで語る内容も違ってくるかとは思うのですが、ワシが思う「バイクが一番人生っぽい」ところは、ブレーキが前後二つあって、且つ、それぞれ別々に独立して操作出来るところなんすわ。

加速のためのアクセル(スロットル)
減速のためのブレーキ

どんな乗り物でもこの二つは必ず付いてますし、通常は、前に進みたければアクセルを開けて加速しますし、止まりたければアクセルを戻してブレーキをかけて減速といった具合に、この2つを切り替えて操作しながら運転するわけです。

フル加速とフル減速の間には無限の階調がありますが、免許を取ってから長い間、

発進→目的の速度を少しオーバーする→ちょっとアクセルを戻す→速度が落ちすぎる→ちょっとアクセルを開ける→ちょっと戻す

とか、

60km/hで走行中→40km/hに落とすため、アクセルを戻し、フロントブレーキをかける→速度が落ちすぎたのでブレーキを緩めアクセルを開ける→速度が出過ぎたのでアクセルを戻す

みたいな操作をワシは日常的にやってたんですね。

こういうバイクの操作は間違いではないですし、教習所的にいうと至極真っ当な操作なんですけど、そうやって走ってるバイクを並走しながら眺めると、ギクシャクとまでは言わないけど、加減速の度に前後のピッチングモーションが出て、滑らかじゃないんですわ。もちろん、各操作を時間をかけてウルトラ丁寧にやればピッチングも目立たないんですけど、熟練の技を要求されますし。

日本人の好きな「〜道」的な価値観でいうと、そういう丁寧な操作を身につけることこそライディングの、ひいては人生の本質だ!的な考えになるんでしょうけど、いやいや。

繰り返しになりますが、バイクには前と後ろの2種類のブレーキがあり、それぞれ独立して操作できるのです。

先の操作で言うと、アクセルの微妙な開閉で調節していた部分を、アクセルは一定開度を保ったまま、後ろのブレーキを軽く掛けたり離したりすることで、余分なピッチングモーションを起こすことなく、微妙な速度の調節が出来るうえ、重心が下がって安定感も増すんですわ。

つまり、前ブレーキは減速用、後ろブレーキはなんつーか、進み具合の微調節用?って感じ。(もちろん、フル制動では減速目的でも使います)

30歳前後の時期に、この操作(加速力を後ろブレーキで微調節する)を身につけ、また、その効果を実感したことが、バイクの運転だけでなく、ワシ自身の生き方にも大きく影響したというか。

前に進むアクセルと減速する前ブレーキの使い分けだけでバイクを運転しようとすると、よっぽどの技量がないとギクシャクするけど、前に進みながら後ろブレーキを少し引き摺ることで、ギクシャクすることなく微調整ができる。

これって、ポジティブ思考、ネガティブ思考と一緒で、両方を切り替えながら使い分けるのではなく、同時に「ながら併用する」ことが肝要ってことに気づけたのが、

バイクとは人生のようなものだ

っとワシが思っている理由だったりします。

もちろん、ポジティブ>ネガティブって力関係がベースにあってこその併用になるんですけど、生きるって事は基本的に前に進むって事ですからね。

結論:まぁ、色々語りましたが、能天気最高!ってことですわ(笑

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