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株で億越え アプリの内容再掲載について

2023年1月6日深夜におこなわれたぱりてきらじお2022(スピーカー:五月さんぱりてきさすさん)にて、現在は絶版(正確には、iOSのバージョンアップに非対応で現在は閲覧不可)になっている「株で億越え」アプリの再配布について言及があり、ぱりさんの許諾があった後、駄犬さんがテキスト形式で再配布をされたのですが、配信アーカイブ非公開につき、配信を聞けなかった人は中身を見れない仕様での再配布でした。。
つきましては、誠に勝手ながらnoteに掲載させていただくことにしました。先般上場されたnote社が上場廃止(失礼)、もしくは本サービスを事業譲渡・停止しない限り、閲覧可能な状態が続く、、はずです。
(五月さん、ぱりさん、山田さんは有難いことにツイッターで相互フォローいただいてますので、掲載辞めて!ということがありましたら、お手数ですが私までお声がけください。速やかに本記事を削除させて頂きます。)

それでは、日本株におけるネット証券黎明期を生き抜いた歴戦の偉人たちが残したその歴史の1ページをお楽しみください。

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【このアプリについて】
本アプリは、投資で1億円以上稼いだ方々で開いた座談会の内容を電子書籍化したものです。(2012年11月4日に実施)
2000年のネット証券黎明期から、ライブドアショック、リーマンショック、東日本大震災等をどのようにして乗り越えてきたのか?今後の展望は?投資で損する人/しない人は?兼業投資家は勝てるのか?等々、本気で語られています。

苦難の連続を乗り越え成功を手にした彼らの話からは、投資に対する考え方や自己との向き合い方を学び取ることができます。
ぜひ最後までお読みいただき、感想等を寄せていただければと思います。
また、彼らのブログからも多くの学びを得ることができますので、ぜひチェックしてみてください。

ネット証券黎明期1 株価を知るのにコストがかかる時代

司会
2000年頃、既に株を始められていた方って何人くらいいますか?

~山田さん、ぱりさん、ゾーマさんが挙手~

司会
ありがとうございます。多分、山田さんが一番古いと思われるんですけど、いつから始められたんですか?

山田
僕は99年の12月からですね。

ゾーマ
私は2000年4月かな。

山田
天井じゃないですか。

ゾーマ
そうですね(笑)

ぱり
俺は2000年夏からです。

司会
このときの相場ってどんな感じだったんですか?

山田
まずブロードバンドがなかったので、テレホーダイでやってて。テレホーダイって朝8時で終わるんですよ。
その後は3分10円お金がかかって、しかも自動更新がないので手でポチポチやってた。
8時20分から、「あーもったいねーもったいねー」って思いながら見てました。
情報もタダって感覚がなかった。

それでラジオたんぱってのがあって、一日2回くらい株価を言うんです。
ネット代を払うのがもったいないから、たんぱラジオを1万円くらいで買って、それを聞きながら「はい今言ったー!」みたいな(笑)
今から思えばのんびりした時代ですね。

司会
株価チェックするのにもコストがかかる時代だったと。

山田
そうですね。

ぱり
僕は野村のホームトレードでやってて、株価チェックするのに野村のQUICKというツールを使ってた。自動更新じゃなくて、右上の更新ボタンをポチッポチッって押してた。
マケスピ※が出てきたのはいつ頃だったかなぁ・・・
※マーケットスピード(楽天証券の情報ツール) の略

山田
2001年くらいにはあっと思うんだけど。

ぱり
そう。マケスピっていうツールがあるのは知ってた。けど、「DLJ SFGディレクト証券」って何者よ?って感じで手を出せなかった。

司会
ネット証券が出回ってないから、怪しさが先行してしまうんですね。

ぱり
そうそう。

ゾーマ
私はネット証券からはじめたんだけど、ネット証券でも株価を取ってくるのは手動だった。かつ、テレホーダイとか使えないから、大学に9時に行ってやってた。
回線のスピードも出るし、お金もかからないし、言うことなし。
9時から大学行って・・・もう優等生みたいな感じだった(笑)

ぱり
俺も大学の図書室でやってたわー。

司会
皆さん学生でお金もなかったし、家にネット回線無いのが普通でしたもんね。

ネット証券黎明期2 最初に取引したのは

温泉
大学のときにもう取引してた?

ゾーマ
してたね。

温泉
どんな銘柄触ってましたか?

山田
僕は山水電気買ってました。

ぱり
最初に山水を買うの?

ゾーマ
最初に買ったのは低位株。昭和電工だったかな?

五月
昔って分割あんまりなかったし、全部1000株だったから一単元がすごい高くて買えなそう。

山田
武田薬品とか薬品株全部1000株だった。鳥居薬品だけ100株。「ここだけ買える!」みたいな。高すぎて買えなかった

五月
低位株しか買えなかったからそうなったって事なのかな?

ゾーマ
私は基本的に低位株でした。

温泉
昔ってジャスダックの店頭市場とかもあったよね。

一同
そうそう。

ぱり
俺は最初株を始めたきっかけは、ウィニングイレブンってゲームが流行ってて、皆で大会とかやってた。ウィニングイレブン超おもしろいじゃないかと。

それならコナミの株を買ったら儲かるんじゃないか?ってことで買った。
コナミの子会社でウィニングイレブン作ってるKCE東京かそんな会社だった。

温泉
当時四季報とか読んでました?

ぱり
俺読んでなかったと思う。

ゾーマ
見てたけどいまいち読み方が分かってなかったかな・・・と。

温泉
すごい小型株とかジャスダックの小型って全然やってなかった?

ぱり
その当時スーパードヘタクソだし右も左もわかってないから、そこにはいけなかったね。

司会
ゾーマさんは寄り注文の出し方で稼いでいたんですよね?

ゾーマ
そうそう。それは2000年から2003年まで通用してたね。

司会
どんな方法だったんですか?

ゾーマ
低位株の、たとえば10円から20円の株を取引するんです。
当時は出合注文といった制度がなくて、日計りの注文しか受け付けてなかった。その注文なんだけど、寄り前に注文をした人は同等の順位で約定していくというルールだったはずなんだけど、よくよくやってみると早く注文をすればするほど、優先的に約定されるっていうことを突き止めた。

それで、夕方5時に翌日の注文を受け付けるシステムだったので、5時に大量に注文をするシステムを作りあげて、10円の株価があったとしたら10円に売り注文、9円に買い注文を誰よりも早く出すと。

山田
先頭に並ぶって事ね。

ゾーマ
しかも大学のPCは早かったから完璧だった。その頃からプログラムを作って発注を出すということをやってた。

一同
大学でやってたのか(笑)

ゾーマ
その時は額も少なかったから収益率はよかった。一往復で10%取れた。それで1~2年はやってたね。

五月
楽しそうだな~それ。

ゾーマ
当時は環境がよかった。

温泉
大学の回線を使えるしね(笑)

ぱり
9.11でぶっこいた(損した)人いますか?

山田
9.11は大丈夫だったんだけど、マイカルが潰れてその影響でみずほが暴落したときがあった。その時にみずほ持ってて食らった。
あと2000年に赤井電機が潰れた時、1日で資産が半分になったってのもあった。

一同


ゾーマ
赤井電機の巨額特損が報道された時、山水電気が10円から4円くらいまで下がって、その時は4円5円でずっとやりあっててかなり美味しかった。

司会
1往復で25%も取れますね。

ネット証券成長期1 ネット上のコミュニティも活発化

司会
このへんからネット証券が伸びてきて参加者も増えた。
新興も流行ってきて、B・N・Fやcis※も登場してきて相場が盛り上がってきた頃でした。
この頃に儲かったとか覚醒したとかって方はどうですか?
自分の中でコツをつかんだとか。
※有名な個人投資家。テレビ等にも出演。


山田
自分の中でコツをつかんだ感じはあった。

司会
上手くいったキッカケがあったんですか?

山田
2001年はずっと負けてて、2001年の年末に青木建設かなんかの低位株が倒産したとき、小泉さんが「構造改革が進んでいる証拠」って発言した。その頃に低位株が一斉に暴落して・・・。

ぱり
木村剛の30社リストが出たころかな。
(参考)30社リスト ※現在は既にリンク切れしています

山田
そうかもしれない。川重とか丸紅とか100円前後の株が大暴落して。丸紅は100~120円だったのが58円まで下がった。

五月
それはマーケットが「潰れるのが良い事」と捉えたということ?

山田
良いことというか・・・潰れるのを許容したというか。

五月
なるほど。

山田
1週間で4割~6割くらい暴落して。
それまでは自分が買いポジを持っていてフウフウ言う中で、そこで投げてた。
でもその時はたまたまノーポジだったからそのリバを取れた。

そこで、ずっと持っててフウフウ言うのではなくて、基本的に現金にしておいて、そういうチャンスがあった時にエントリーするってのを初めて出来たというかやって。
株持ってないと損なんじゃないか?という考え方を変えることができた。
それまでの「何もないところで買って、へんなニュースで投げる」みたいな事を止めれた。

司会
じゃあそこから上手くいって・・・。

山田
そうですね。そこからずっと下落トレンドだった。だからまぁ劣化版B・N・Fみたいな感じですよ。下落乖離率の落ち着いたところで買って、中間値くらいまで戻ったらで売るみたいな一応業績も調べて、ちゃんとしている会社がすごい下がっているときに買うっていうのをその後2~3年やってた。

その時は会社員だったので、ずっと場を見てることはできなかった。だから1~2週間くらい持ってて売るみたいなことをしていた。

司会
正統派逆張りって感じですね。

山田
そうですね。

ぱり
この頃すでにマケスピとかみんなが見るようになり始めて。

山田
この頃ってみんなお金持ってなかったよね。
当時2003年頃、800万~1,000万くらいだった。それを2ちゃんねるに書いたら「このバーチャ野郎」って言われて(笑)
「そんな勝てるわけねーじゃねーか」って。

五月
その時は既に2ちゃんねるはネット上のコミュニティの中心になってたんですか?

山田
そうだったと思う。

ぱり
ヤフー掲示板も盛り上がってたよね。

五月
ヤフー掲示板を一番古いところまで遡ると確か2000年だった。

山田
ヤフー掲示板も結構盛り上がってた。

ぱり
なんかね、空気が違ってて。

山田
そうそう。

ぱり
ぜんぜん違ってたよね。

五月
それって今と同じって事?(笑)

一同
そうそう(笑)

ぱり
棲み分けができてたよね。

山田
2ちゃんねるだと何言っても喧嘩になるよね。

ネット証券成長期2 今と比べると単調だった?

ぱり
B・N・Fが逆張り話したのがこの2002年頃だよね。その当時って株価が100円を割れるとそれだけでさらに下がるみたいな雰囲気があった。

山田
確かに。今から考えるとカオス感は無かったかもしれない。一定のルールがあった感じ。

ぱり
個人投資家のパワーがめっちゃ低かった。

五月
外人もそんな入っていなかったのかな。国内機関投資家がぶん投げたり買い上げたり。延々同じやり方をしていたんだろうね。

司会
今と比べたら取りやすかった。

ぱり
今の知識があるからそう思えるけどね。当時に今の知識があったら無限に儲かったと思うけど(笑)

山田
あとアメリカの景気がむちゃくちゃ良かったから、輸出系の業績が磐石だった。それでも株価は下がっていたけど。業績という確固たるモノがあったから下げのときに買っていけた。

五月
トヨタの月足とか出せます?

※2000年の4月に5,800円で、2003年で2,455円。

ぱり
その間の業績は?

山田
良くなってる。利益が多分3倍とか。一株あたり利益は5,800円の時で150円無いと思う。
PERは30~40倍くらい。2,455円の時は一株あたり200~300円、PER9~10倍とか・・・だと思う。

五月
新興株みたいだね。

山田
利益は良くなってるけど、株価は下がるみたいな。

ゾーマ
そのとき、2chでは「株は割に合うのか?」というスレッドが盛り上がってた。
株は業績が良くなっても上がらないという意見で一色だった。

山田
株価は2度と上がらないという雰囲気だった。確かにそう思ったもんな~

司会
2003年4月にソニーショックで寄らなかった頃がありました。その頃が一番底だったんですよね。

ネット証券成長期3 銀行救済で相場が反転

山田
ソニーショックがあって、りそなの救済で火がついた。ぜんぜん乗れなかったけど・・・。

※ソニーショックとその後の日経225

ぱり
りそなの救済をみて、みずほ全力2階建て※いった。
信用二階建て投資

五月
よく聞くんですけど、やっぱ相当乗れた人多かったんですか?

ぱり
その当時は皆株が下がることしか考えてなかったから、りそな救済されても、どうせまた下がるだろうって考えて、銀行をショート※している人がめっちゃいた。
※空売りの事。株価が下がった場合に利益となる。

山田
あと下げ相場が2~3年続いているからそれに慣れちゃっていた。
僕らは下げ相場しか知らない子供達だった(笑)

一同


山田
上げ相場なんか見たこともなかったから、上げ続けるって発想がないんだよね。

五月
その着想をぱりさんはどこから得たんですか?

ぱり
小泉、竹中が銀行を救済するって決めて、かつ、異常値ついているんだから上がるしかないでしょって。

山田
それまで負けてたの?

ぱり
それまではしょうもないことして儲かったり損したりしてた。

五月
誰かから聞いたとか、ネット上でそういう意見が流布していたとかそういうことではなく?

ぱり
そういうのは気にせずみずほ買った。

この頃って、2ちゃんねるでえらそうなヤツラは銀行ショートで皆死んでた。こんなの上がりすぎだろうとか。でも一切調整せずに上がっていった。メガバン全部ストップ高とかもあった。

※チャートは統合後のもの

山田
みずほはこの上げ相場の前、1,000円から58円まで下がってるからね・・・

五月
この58円のときって、増資もしていないから、たぶん時価総額何千億円くらいまで下がってたって事でしょ。そこに疑問を感じる人ってそんなに少なかったのかな・・・って。

山田
毎年特損で、なんかとんでもない赤字を出してた。今のシャープみたいな感じだった。

五月
売り方としては、1円まで取れると思って売ってるわけ?

山田
たぶんそう。

ぱり
損益がざるみたいだった。どれだけすくっても利益が落ちていくみたいな。

山田
利益出る年は数百億の黒字、ダメな年は数千億の赤字みたいな。桁が違う。
りそな潰れるのは規定路線で、みずほもおそらく潰れて、UFJは大丈夫なんじゃ?って感じだった。

ぱり
みずほは優先株引き受けがあったっけ。

山田
優先株引き受けしたときもバカなんじゃないか?って雰囲気だった。こんなクソみたいの引き受けてどうすんだと。株主総会でも追求されてた。
でも結果的にはゲロ儲けだった。

ぱり
そうそう。浜崎あゆみもクソ儲かったんだよな。※
※当時、浜崎あゆみさんがみずほの優先株引き受けをしたとの報道があったことから。

司会
ぱりさんここで買ったんですよね。

ぱり
現物が当時8万~9万くらいで全力で買って、これは現物だけだったらアカンって信用口座開いて、全力でいかなアカンってなって、信用分で12万くらいで買った。天井が10月半ばくらいにきて、そこで一旦全部売った。

山田
10月まで引っ張ったんだ。

ぱり
32~33万で全部売って。

山田
一旦調整あったよね??

ぱり
そう。あの時もねー、ずっっっっっっとおなか痛かった。ずっとおなか痛くて・・・今でも覚えてるよ。
あの時携帯で株価ポチポチ見ながら旅行してた。

五月
余裕じゃないですか(笑)

ぱり
いやいやいやいや。パソコンの前にいたら利食いしたくてしょうがないから旅行してた。

五月
それは2階建てする前ですか?

ぱり
いや2階建ての後。
でも下がっても、単価が安かったから利益が減る程度だったんだよね。

山田
15%くらい調整してたっけ。

ぱり
そうそう。15%くらい調整したら2階建てだから結構減る。
でもその調整でショートしてるやつめっちゃいた。

山田
落ちてくるの待ってたんだけど、ぜんぜん落ちてこなかった。

五月
そこで引退したコテもいっぱいいたんですか?

ぱり
いっぱいいると思うよ。その当時って売りが正義だった。

山田
そう。「ルールが変わったんだよ。」ってよく2ちゃんねるに書かれてて。

一同

ネット証券成長期4 新興株が盛り上がってきた

温泉
2003年って、新興市場も動き始めてたんですよね。

司会
温泉さんが始められたのも2003年ですよね。

温泉
僕が初めたのが2003年の12月で、初めたきっかけが新興市場が上がってたから。
で、買ってたのは当時から小型株でした。最初っから小型株。一番最初は確か野田スクリーンだった。

五月
でも製造業なんだ。

温泉
まぁーよくわからないで買ってたね。

山田
板スカスカだったんじゃない?

温泉
そう。スカスカだった。

山田
100万円買えない位だった

温泉
12月だったから出来高はソコソコあった。

五月
その頃のジャスダックってのはよくわからない変な株みたいなって扱いだった?

温泉
そう。変な株って扱いだった。ただしすごく安い。こんなに業績がいいのになんでこんなに安いだろうって思って。

五月
楽天はもうあった?

温泉
楽天はあった。ジャスダックはすごい割安で放置されてた。それがみんなガーって上がってた。

ゾーマ
当時は倒産株で整理ポストになっても、東証・大証なら3ヶ月ジャスダックなら6ヶ月の猶予があって、倒産をしても1円が100円になっちゃった株があったり。
結構、倒産株で色々遊べるような時代だった。

山田
小売の倒産株が爆上げするのがよくあって、10円が50円になったり

五月
J_Coffeeさんのサイトで見たことある。何とかコーポレーションとか。

温泉
りそな救済がきっかけで新興不動産とか上がってた。

司会
新興が上がってるのがきっかけって事だったんですけど、新興が上がる前から株をチェックしてたんですか?

温泉
大学の頃から勉強してて、まぁ普通に社会人で勤めてたんですけど株のチェックはしてて・・・それでお金が貯まってきたんで。

司会
機をうかがってたみたいな。

温泉
はい。

ぱり
山田さんは新興とかやってたの?

山田
全然やってなかった。

ぱり
俺もみずほやってたから、新興はうさんくせえからやりたくないみたいなのあった。

山田
2003年の夏に新興上がってて、チェックしたんだけど板がスカスカすぎて、こんなの恐すぎるというか、100万円買えないってのが。

ぱり
たしかその当時って、ジャスダックだけ手数料ばりばり高かったよね。

一同
そうそう。

温泉
Eトレ※は一緒だったんですよ。他の証券会社は割り増し手数料取られてた。
※Eトレード証券の略。現SBI証券。

ぱり
確かに。そうだったわ。

山田
マネックスは今とその頃と手数料変わってないんだよね・・・。
一番最初に取引したのはマネックスだったけど、当時と変わってない(苦笑)。

司会
ぱりさんは2004年、2005年くらいまでは主力中心だったんですか?

ぱり
俺はみずほ利食いしたあとにお金が一気に増えて、どうしたものか・・・ってなった。
でも、全力2階建てみたいなすばらしい手法をもっとやりたいと思って。

それで色々な銘柄でそれをやるんだけど、見てもらったらわかるように、他も停滞するのよね。
それで儲かったり損したりが続いて・・・あー全力2階建てはダメだわ。ってなるまで停滞期間が長かった。
それが1年ぐらい・・・2004年~2005年くらいですね。

司会
ぱりさん的には燻ってた時期?

ぱり
野望を持て余してた時期ですね(笑)

2004年の話1 2階建てと追証

司会
温泉さんは2003年末に初めて、2004~2005あたりはどうだったんですか?

温泉
2004年あたりは、新興不動産バブルだったと思うですけど、新興不動産を全力2階建てしてましたね。

一同
マジかよ~。

ぱり
これ読んだ人、「全力2階建てが正義」みたいに思ってしまうんじゃないの?
※全力2階建ては大変危険な取引です。


温泉
結果的には良かった。多分3倍くらいになった。

山田
やっぱみんなそういうのに乗ってるんだな~すごいな~

温泉
トイレ行って携帯で取引してました(笑)

ぱり
銘柄で言ったら?

山田
アーバンとか?

温泉
アーバンとかその辺に乗れなくて、確か一番儲かったのが日本総合地所※
※既に上場廃止

一同
なるほどー。

温泉
たしか出遅れてて、これも上がるだろう的な感じで全力2階建てして。

ぱり
なるほどね。でも出遅れてるからやっぱりあんまり上がらないんだよね。

温泉
そうそう。でもそこそこは上がったんでよかった。

山田
資金がいっぱい溢れてたというか。普通は出遅れ買うとあんま上がらないけど、あの頃は出遅れにもチャンスがあった。

温泉
当時は全然上がってましたね。

ぱり
それでぶっこく(損する)んですか?

温泉
ぶっこきました。

ぱり
何でぶっこいたんですか?

温泉
そのまま持ち続けてたんですよね。

山田
利益がなくなっちゃった感じ?

温泉
そのまま下落も食らって。2004年だったと思うんですけど。
それで資産半分くらいに落ちて。
追証※かかって。ぶん投げて・・・って。
※信用取引で計算上の損失が生じた、証券会社から追加の保証金を徴求される事。

ぱり
ちーんみたいな。一回そこで全力2階建てはやっぱダメだよねってならないと、どこまでもそれやっちゃうからね。

温泉
そうですね。

司会
一度痛い目にあわないとってことですね。

2004年の話2 鉄火場IPO

温泉
IPO※も当時やってました。
IPOも懲りずに2階建てしてすごい急増して、また死んで・・・みたいな。
※新規公開株

ぱり
IPOは特に値動き殺人的だったからね~

温泉
殺人的でしたね。ストップ高繰り返したり。
会社に行ってるのにIPO2階建てとかアホなことしてましたね。
ストップ高かストップ安のどっちかしかないみたいな。
それで仕事してるっていう。
途中早退して追証振込みに行ってましたからね~。

一同


五月
印象深いIPOとかあります?

温泉
2003~2004年・・・アマナとかかな・・・
(IPO一覧を見ながら)

アエリア、タカラバイオ、イートレード・・・

ぱり
イートレード何回目の上場だよって。
当時のイートレードの優待が凄くて、手数料が半額になってキャッシュバックされるのよ。
デイトレードで食ってる人はみんなその優待取ってた。

山田
1,000万以上あったらおいしかった。

五月
この頃のIPOって超盛り上がってたって聞いたことあります。

温泉
盛り上がってた。この一覧にある銘柄全部取引した記憶あります。

山田
この銘柄見てたらイヤな思い出しかない。この頃デイトレで負けてた。

ぱり
単純にカタカナの会社は上がってましたもんね。

山田
PER200倍とか。

温泉
多分一番凄かったのがエイチエス証券主幹事のやつで、7倍くらいになった。
当たったんですよね。・・・リンクワンだ!※
※既に上場廃止

ぱり
リンクワンって何やってる会社だっけ?

五月
コンサル会社ですね。

山田
この頃、コンサル会社とか投資会社はめちゃめちゃバブルだったよね。
プリヴェチューリッヒとかジェイブリッジとかもめちゃくちゃ上がってた。

ぱり
あ~。ジェイブリとか俺もやってたわ~。

温泉
このあたり儲かったんですよね。儲かって資産が600万とかに倍増して。
その後アマナの天井で2階建てして、半分失って・・・。

ぱり
俺その当時、ジェイブリとプリヴェ、めっちゃやってた。

山田
巴コーポレーションってのが10倍くらいになってた。
ネット上のトレーダーがブイブイ言わせてた頃。

温泉
僕は新興のマネーゲームでした。
仕手のマネーゲームも盛り上がってましたね。
どっちも似たようなものですけど。

五月
アポロインベストメントって覚えてます?前が呉服屋で・・・

山田
やってたやってた。

ゾーマ
エルメだっけ?

一同
あーそーだ。

2004年の話3 踊れる人、踊れない人

司会
ここにいる皆さんは、2003~2005年くらいにノウハウをためていったって感じですかね?

ゾーマ
そうですね。痛い目にあいながら(笑)

ぱり
この頃から一気に流動性が増えていった。そこそこ失敗しても助かったのよ。

山田
僕は乗れなかったのよ。続々出てくる人たちを見て、悔しがりながら、下げてるのをコツコツ拾って月に2%とかにかじりついていた。

ぱり
この頃は周りと一緒に踊らないと儲からなかった。

山田
そう。それができなくって・・・。

ぱり
古い人間は踊れないのよね。

山田
そう。古い人間で踊れなくて涙目で一日数10%上がるを横目に見て、「あんなやつら絶対失敗するんだ」って思いながらやってた。

ぱり
お祭り会場があるのよね。お祭り会場でみんな踊ってるのよ。そして次の日の朝に、落ちてる小銭を拾いに行く感じ(笑)。そんな事やってた。

山田
盛り上がってるのに入れねーって。

温泉
今ここにいるメンバーは、当時そんな儲かってなかったんじゃないかな。

ぱり
儲かってなかった。

ゾーマ
私もダメだった。

温泉
株の助さんとか出てる頃は儲かってなかった。僕も儲かってなかった。

司会
この頃儲かってた人は消えてる人もいっぱいいるって事ですね。

ぱり
この頃儲かってた人は踊ることしかできなかった人たちなんだろうね。

五月
それって踊ろうと思って踊ってたんじゃなくって・・・っていうところもあるんだろうね。

司会
踊らされてたというか。

山田
いろんな相場を見た上で、今は踊る時期だって判断したんじゃなくて、天性というか本能で踊ってたら儲かってたってだけなんじゃないかな。

ぱり
このときに、それまで死んでる相場が続いていたから踊る相場と死ぬ相場があるんだってのを知ってたかどうかが後々生きてくるのかな・・・って。

2005年の話1 新興バブル

司会
2005年~2007年って新興バブルだったり景気が良かったり。
小泉政権。ライブドアショック、終わりの始まり・・・。

ぱり
ホリエモンがTV出てきたのはいつ頃?

山田
2004年じゃない?近鉄が消滅して、球団買うって話があった。

司会
相場的には新興が強かったんですかね。新興不動産とかIPOとか。

ぱり
東証2部指数が爆上げしてるね。あと、マザーズ指数が行って来い※してるなぁ。
※株価が上がった分と同じくらい下げる事

山田
マザーズ指数だけ上がらなかったんだよね。全然上がらなくて、おかしいねって言ってて。
で、年末にライブドアがめちゃくちゃ上がってそれでマザーズ指数もあがった。
ライブドアはすごい板が出ていた。1段数百万株みたいのがボコボコ出ていて。
見せ板みたいなのがいっぱい。

五月
時価総額上位が重かったんですかね。サイバーエージェントとかCCIとか。

山田
業績もついていってなかったし。だけどマネーゲーム的な資金はすごく溢れてて。
C4テクノロジーとか。あれ何回も損したわ。

ぱり
C4テクノロジーってどうなったっけ?

五月
SBIネットシステムズになってますよ。

2005年の話2 システムトレーダー「ゾーマ」

ゾーマ
自分は銘柄追っかけてなくて。2003年頃から資金が増えて、低位株手法が使えなくなった。1回に投資できる金額が限られてしまうので。それで2003年は勝てなかった。

2004年から傾向が変わってたから、システムトレードに移行をしたんです。
当時、今となっては単純なアルゴリズムだったんだけど、B・N・Fが持ち越しで当たりまくってたのを見て、なぜかを考えた。

それはやっぱり法則があって、当日の安値がその前々日の終値を下回らない銘柄というのは9割方ギャップアップ※してたから、終値で買って始値で売って儲かってた。
※当日の始値が前日の終値を超えて始まる事

なんでそうなってたのかわからなかったんだけど、とあるアルゴリズムセミナーで聞いた話だと、外資系がそれに沿ったアルゴで取引をしてそうという事だった。

外資系証券は出来高の分布にしたがって注文を入れていた。
外人は数日・数週間かけて仕込む。かつ、日中では寄りに一番お金を入れる。
そして出来高がない場合は注文しないというアルゴリズムだった。

なので、数日かけて仕込んでいると思われる銘柄は寄りでガンガン買われてた。
その銘柄を終値付近で買って寄りで売ってたら2004年~2006年はずっと勝ててた。
これはもう・・・単純なお仕事でした(笑)

司会
その結果がこれ?(損益推移をみて)すごいね・・・・

 

ゾーマ
この頃はボロかったんですよ。アルゴリズムなので、自分でプログラム作ってPCにまかせっきり状態で・・・自分は何もしなくてよかった。
自動でチャリンチャリンと入ってくるような状況だった。

ぱり
アメリカが急落した時はどうしたの?

ゾーマ
その時はもちろん食らう。

ぱり
その時はもうしょうがないって感じか。
それずっと続けててどうなったの?

ゾーマ
途中からイベントドリブン用に資金を移したり、不動産買ったりして、株からちょっとずつフェードアウトしていったんだよね。

ぱり
なるほどね。

2005年の話3 デイトレ繁盛笹持って来い

司会
その頃、山田さんはずっと同じスタイルだったんですか?

山田
ずっと同じスタイルでやってて、2004年6月に逆張りしてた日産に増配報道が出てうまく取れたんだけど、他に下がってる銘柄がなくなっちゃって。これが限界だなって・・・

それで資産は、300万から、給料毎月入れつつ1,300万くらいになっていて、その時なんだかんだで月2%くらいしか勝てなかった。

で、ネット見てると儲かってる人は月に100%とか200%とか勝っててすげーなって。
このままじゃダメだって。ここで踊る決心をした。

一同


山田
これは踊らないといけないと。
そこからデイトレの世界に入って。そこから1年弱くらいはずっと負け組みだった。
負けっぱなし。
2004年のIPOとか見てるとツーンてするもん。

司会
2005~2007年って結構順調だったんじゃないですか?

山田
そうですね。2005年3月末くらいにデイトレでイケるって思って、基本的に同じ手法でマイナーチェンジしつつやってました。基本的に強い銘柄のブレイクアウトを買っていくってスタイルです。

司会
温泉さんもこの頃、短期売買のピークですよね。

温泉
2005年7月に専業になってて、そこから5ヶ月間は勝てなかったですね。
デイトレしながら増えたり減ったり。IPO買ったりしてました。
12月のジェイコムの誤発注あたりから勝てるようになりました。

山田
あれ取れました?

温泉
はい。取れましたね。あれは結構時間あったので。

ぱり
温泉さん、あれどれくらい取れたんですか?

温泉
あれでも1.3~1.4倍くらいにしかならなかったので、全力ではいってないかな。

ゾーマ
1.3~1.4倍しかって・・・(笑)

司会
温泉さんのブログをみるとこの2年間すごいですよね。

温泉
2006~2007年ですよね。
当時ライブドアショックの前まではIPOの銘柄を現物で1日で10回転とかしてました。
全力で買って売る、全力で買って売る、急落で買ってリバウンドで売る。ってのをずっと繰り返してました。

で、ライブドアショックの後からは銘柄を絞って、新興の主力をいじってました。
Eトレ、CA、新興不動産・・・。そこを毎日眺めながら、大口が買ってるのに乗っかるというコバンザメ型の手法に変えてやってました。それで2007年くらいまで。

2005年の話4 誤発注で儲かった人、損した人

司会
誤発注をして儲かったみたいな話ってありませんでしたっけ

温泉
アドウェイズですね。
誤発注したのではなくて、証券会社の誤発注を拾ったって話です。

ぱり
どんな誤発注だったんですか?

温泉
立花証券がアドウェイズのコード(2489)をCDG(2487)と間違えて1670円で2600株売り注文を出したんですよね。
※アドウェイズの気配値は147万円

寄ってすぐに2千数百株の売り注文が出てて。公募の数からして「おかしいな」と思って、すぐ注文出しました。あれは1分くらいしか無かったですね。

山田
2006年2月か3月くらい?

温泉
2006年6月ですね。
それで一撃2千数百万くらい儲かりました。最初買ったのは137万かな? 売り気配になって134万で10株買い増しして合計20株買って。
売った値段が260万くらいでした。

五月
僕、寄ったあとのストップ高で全力で買って瞬殺されたんですよね(笑)

一同
爆笑

五月
温泉さんの利食いを僕ジャンピングキャッチしてしまったっていう(笑)

ぱり
そうか、五月ちゃんこの頃もう始めてたのか。

五月
いやでもこれ2006年だから、もう一年くらい経ってますね。

司会
じゃあ五月さんは2005年から?

五月
2005年の五月です。

2005年の話5 ヘラクレスの思い出

司会
五月さんは最初はどんなスタイルだったんですか?
デイトレですか?

五月
いや、割と一つの銘柄を買ってずっと持ってる感じでした。
最初買ったのはソフトフロントでした。
ヤフー掲示板で、ここの技術は世界を席巻するみたいな煽りがあって。
今で言うジョウダン※みたいなのがあったんですよ。
※ミハイル・ジョウダンの事。ヤフー掲示板に出没。

で、僕は真に受けてホントに凄い会社なんだと思って。

ぱり
ちなみにどんな技術で凄いって言われてたの?

五月
SIPって技術を持ってたんですけど、それが次世代の通信規格を全部取るみたいな。
「まだ評価されてないけど来るんだ!」みたいな事を言ってて。

で、そのソフトフロントって会社はいまだにそのSIPをやっててグダグダしてる会社なんですけどね。(笑)
それで8万くらいで買って、その後バイト代全部ソフトフロントにいれて、16万くらいまでいったんですよね。

ぱり
じゃあ結構儲かったんだ。

五月
そうですね。

山田
デイトレ銘柄にもなってたよね。

五月
ヘラクレスの銘柄でね。板が一本しか見えないんですよ。

一同
あー闇鍋ね!

ぱり
あれ、闇鍋ってなんでそうなったんだっけ。

山田
システムの問題だったよね。

僕は2005年の3月に勝てるようになったんだけど、ヘラクレスの利益が9割ぐらいだった。 特買いの値動きが他の市場と違ったんだよね。

「あっこれ勝てる」と思って3ヶ月くらいやってて、それで会社に辞めますって言って。
でもその3日後くらいに「ヘラクレスのシステムが変わる」って話が出た。
えっ・・・僕どうなるの?って。

一同


山田
それで会社9月に辞めたけど、やっぱヘラクレス全然勝てなくなって。これヤバイな・・・ってなりましたね。
ひとつ上の板が見えないからね。で、上の板が見えた瞬間暴落みたいな。

ぱり
そうそう。ゲームの地下の洞窟でライト照らして・・・みたいな。

山田
ドラクエのたいまつが無い状態みたいなね。

ぱり
そうそう。見えた瞬間うわーって感じで。あれは傍から見てたら面白かったけどね。

2005年の話6 株を買ってれば儲かった

司会
五月さんって最初は新興とかは触ってたけども、業績とか将来性とかはチェックしてたんですか?

五月
四季報予想を鵜呑みにしていましたよ。
単純にスクリーニングかけて、PERの低いものとか。
それで四季報が強気の予想出してるってだけでいっぱい買ってました。

司会
ソフトフロントもそうだけど、最初から上手くいってたんですね。

五月
よっぽどクズな銘柄買わない限り全部上がってたんで・・・

司会
相場環境が良かったから。

五月
ソフトフロントと、アエリア、日本精鑞って銘柄ですごい儲かった。

※日本精蝋のチャート

日本精蝋はワックスの会社なんですけど、300円ぐらいから現物全力買って、ぴったり倍になったんですよね。
2005年6月の棒上げを全部取れたんですよ。

ぱり
なんでここ買ったの?

五月
PERが低かったんです。原油がぐんぐん上がってたでしょ。副産物で重油を販売しているんですよ。その在庫の値上がり益みたいなので業績がすごい膨らんだんですよ。

ぱり
特別利益が出ますよってことで一気にあがったの?

五月
そう。それで借金の返済も進んで復配をして。いわゆる再生銘柄的な扱いですごいPERが低かったんですよね。

上方修正したあとのPERが4倍とかだった。
当時ありえないじゃないですか。
結局PER8倍くらいまでいったと思います。

どうやって発見したのかわからないんですけどね(笑)
気付いたら主力になってた。

温泉
発掘方法って今と変わらないって言うか、四季報から銘柄発掘して・・・

五月
まぁそうですね。でも今は四季報予想はクズだと思ってますけどね(笑)

温泉
基本的な考え方は一緒って感じですね。

司会
銘柄分析から入るってのは昔からだったんですね。

五月
そうですね。

2005年の話7 空売りで破産寸前

司会
この頃食らった銘柄とかありますか?


五月
それはやっぱり阪神電気鉄道ですよね。
今は阪急阪神になってるのかな。
村上ファンドで1,200円くらいまでいったと思うんですけど・・・

ぱり
あれはいくらからいくらまで行ったっけ?

五月
多分初動は500円くらいで1,000円超えたはずです。
700円くらいで1万株売って、600万くらい持ってたんですよ
それが1,000円くらいまでいったから、300万やられるでしょ。
さらに逆日歩がトータル100円以上取られて。
10倍適用で20円になって、祝日があって4日分で80円ってのがあって。

山田
あったなぁ~。

ぱり
それ顔面蒼白になるよね。

五月
だってそもそもそれを食らうまで、逆日歩って存在をしらなかったから。

一同


司会
逆日歩って何?みたいな。

ぱり
なんで俺理不尽に取られるの?お金。って感じよね。

五月
知れば知るほど愕然としましたよ。適当に売っただけなのに。
それでも資産に対してちょいレバくらいだったから良かった。
2倍とかだったらマジで破産ですよね。

ぱり
それは損切りはどこでしたの?

五月
結局村上さんが買ってますよって言った後、ストップ高になって2日は寄らなかったんですよね。それで3日目始めて寄り付いてその日もストップ高までいったんだけど張り付かなくて、その後押したんですよ。
でもビビっちゃって、半分はストップ高で買い戻して、残りの半分はもうちょっと押したところで買い戻したんです。
結局そのピークに近いとこで全部決済して、それで大体90%くらい資産失いましたね。

一同
90%・・・

ぱり
600万が60万くらいになったってこと?

五月
そう。

一同
うわぁ・・・

五月
その日はもうゼロになったんだけど、還付金で60万くらいきて。(笑)

ぱり
それでどうしたのそこから。

五月
で、ちょっと仕事に精をだそうかなと思って。
バイトやってたのを正社員になろうかなと思って頑張ったんだけど、その後も相場が良かったから我慢ならなくなって、年末くらいにまた買ったんですよ。わずかに残ったお金とバイト代で。
80万くらいで、新興の銘柄を買って。「最後の勝負」だと。
スターホールディングスっていう先物屋。

そこで決算持ち越ししたら、予想より良かったんですよ。これが結構大相場になったんですよ。
ほんとどうでもいい会社なんですけど・・・。

ぱり
そのラストの「五月夏の陣」をやるときに、なんでそのスターホールディングスを選んだの?

五月
結局進捗率がよくって、通期決算に対して上振れするだろうって思ったんですよ。

 

多分1,000円なる前に買ってるんですよ。


ぱり
で、どこで売ったの?

五月
1,300円くらいかな。売った後にさらに上がっていって悔しい思いしましたけど。

ぱり
それで80万がいくらくらいになったの?

五月
それで80万が200万弱くらいにはなったんですよね。
その後別の株に乗り換えて、結局年末は330万くらいにはなった。

一同
すご・・・

2005年の話8 異常な雰囲気「バブル」

温泉
2005年は新興とかも一番バブってた。

ぱり
この時の周りの雰囲気ってすごかったよね。
例えば週刊誌みても次あがる株はどれだ?みたいなのを各誌やってたし。

山田
どんどん出遅れというか、カスを買っていくと儲かるというか。

五月
PER低いやつを買ってれば順番に上がっていく感じだった。

温泉
全部上がってた。IPOのメチャクチャ割高なやつでも上がってたから。200倍とかでも。

五月
テクノマセマティカル、DDS、ナノメディア、テレビ東京ブロードバンド・・・

山田
PER2000倍とかもあった 。

温泉
ていうか毎日その銘柄を全力で買ってた(笑)
デイトレに抑えてたのが良かった。

ぱり
その時、俺ホントに辛くて。
みんな一元管理の会社で何回も回転売買してて。でも俺は一元管理の会社を使えなかったので回転売買全くできなかった。
みんながグルグル大車輪で売買してる中、1日1回転しかできなくてホント辛かった。

司会
閉塞感いっぱいな感じですね。

ぱり
そう。

五月
僕はそのとき仕事で引っ越してたんですよ。転勤で。
しばらくネット使えなかったんで、新聞で株価チェックしてました。

一同


五月
そしたら。聞いた事のない、いない間に出てきたIPOが毎日ストップ高になってるんですよ。毎日!
いったい今相場どうなってんだ!って時がありました。
もう見てなくて、仕込んだやつずっと握って2005年の末は終えました。

ぱり
あの当時の雰囲気はすごかったわ。

山田
デイトレ日ベースで26連勝した。買うと必ずブレイクして。
普通は買った後、ホールドすべきか利食いすべきか悩む時間があるんだけど、その悩む時間がなく上がり続けて、次の日ギャップアップするっていう。

温泉
買いさえすれば絶対儲かるっていう。

五月
テクノマの月足出せますか?

 

初値64万が1ヶ月326万になってる・・・
セカンダリで5倍になってる訳だよ。
公募はもっと下でしょ?

温泉
シニアコミュニケーション※とか。
みんな同じタイミングで来てて。
全部一緒のチャートだよね。
※既に上場廃止


ぱり
で、バブルが崩壊すると・・・ライブドアショック。

2006年の話1 市場を襲った「ライブドアショック」その1

ぱり
ライブドアショックの時、何してた?

山田
ほぼノーポジで、新興株を少しだけ持っててストップ安だった。
でも全銘柄ストップ安みたいな感じだったでしょ。
なのでデイトレでカバー出来たんだよね。
新興の銘柄をショットガンで買って、結局ライブドアショックは儲かった。

温泉
ライブドアショックノーポジだった。

山田
ライブドアショックって隕石の衝突って感じで、その後上下に結構振れてたでしょ。
すごいボラがあってローソク足1本がすごい長い。
デイトレとかもすごいボラがあって、その頃が一番取れた。

温泉
いつか暴落くると思ってた。
新興不動産バブルで痛い目にあった経験があったので・・・

※東証マザーズ指数の当時の週足

五月
今見ると、買えるポイントどこにも無いわ。

山田
マザーズの12月の加熱の「ワッショイワッショイ♪」みたいな感じの後に、夜のニュースで堀江氏逮捕のニュースが出た時、「あっこれ天井だ」って思ったよね。
あの盛り上がりの後に・・・だからね。

ぱり
俺あの時ノーポジで。あの日はバブルの余熱があったから、ライブドア関連の銘柄は死んでたけどそれ以外の銘柄はそんな下がってなかったんだよね。

山田
場中はね。

ぱり
俺そこでもう全力ショットガン売りして。
そしたらマネックスが後場からライブドア関連株の保証金代用掛目を突如ゼロにするっていって、そこから暴落が来て。
(参考)マネックスショック

五月
そこで乗れたのって結構いました?周りで。

ぱり
いや、あんまり・・・。

山田
でもあれって売っても結構戻ったよね。

ぱり
そう。ストップ安して、おっしゃーって思ったけど、次の日の午後からリバってたよね。

山田
1日2日で見るとかなり儲かってるけど、1週間ベースで見ると結構戻ってる。

五月
ボラティリティがすんごい。

温泉
日足で見るともっとよく分かる。日足でライブドアショックのあたりを見ると、すごい下がってその次の日に陽線きて・・・ってのを繰り返してる。

※東証マザーズ指数の当時の日足

下がってリバウンドして下がってリバウンドして・・・

五月
1回じゃ止まらなかったですよね。下げが。
陽線の日1日だけで見たらスーパーバブルだった。

温泉
そう。スーパーバブルだった。
2日急落して1日リバって・・・

五月
その後1回立ち直ってるからね・・・4月まで。

山田
ライブドアショックの後の余熱はあったんだよね。
3月くらいまでは。

五月
覚えてるんだけど、その2006年初頭くらいに新聞で「信用が3倍使えるのを規制すべきだ」みたいな話が出てたんだよね。個人が信用で買い過ぎてて。
その時に見識があれば、それがひとつの暴落フラグとして捕らえられたのかもしれない。

2006年の話2 市場を襲った「ライブドアショック」その2

司会
ここにいる人たちは、ライブドアショックは食らってないって事ですかね?

ゾーマ
私は結構食らった。てか思いっきり食らった。持ち越しスタイルでやってたからね・・・。

五月
僕はその時ちょっと狂ってて、ライブドアショックの前日に分割を発表したアインメディカルシステムズっていうマーケットメイクの銘柄があったんですけど、ライブドアショックの当日に全力で買って。

一同
うわ・・・

五月
で、15%くらい上がったんですよ。ライブドアショックの最中に。
発表の翌日に「分割だからあがるでしょ」って。
で、場中の高値で売り抜けて儲かったんですよね。めちゃくちゃ儲かった。

ぱり
その後どうなったのそれ?

五月
暴落してました。奇跡的に儲かりましたね。

ぱり
よくそんな時に全力やったなぁ~しかもマーケットメイクって。

司会
それまでに痛い目にあった経験があったから基本的にそんなにポジション持ってなくて、かつバブルを感じていて・・・だから避けられた。

五月
僕以外はそうなんでしょうね(笑)

温泉
それまでに何度も食らっているので。
新興不動産バブルとかで踊らされてたからそれが活きた。

司会
ライブドアショックの前も何回か暴落ありましたもんね。
暴落耐性みたいなのがついてたんでしょうね。

ぱり
上げ相場の方が暴落ひどいのよね。

温泉
マザーズ指数を週足チャートで見ると、不動産バブルのピークの時って、ライブドアショックのピークの時と同じくらいまで上がってるんですよね。

※東証マザーズ指数の当時の週足

一同
あー

温泉
これを食らってるので・・・

五月
これを見るとダブルトップなんだな~

2006年の話3 相場の転換期に自分の足を針で刺す男

司会
ライブドアショックを越えた後は3月4月で戻ってて、その後が終わりの始まりみたいな・・・。

山田
なんか僕の売買は、よくわからないんですけど、相場が変わる時にめちゃくちゃ負けるんですよ。
今までのやり方を続けてて、なんだか分からないんだけどすんごい負けることがあって。
それが結構、相場の転換サインだったりすることがある。
2006年の3月にそれが1回あって、次が2007年7月~8月くらい。
2006年の3月まで新興ばかりやってて・・・。

今までなら上がっているところで買っているのに上がってくれない。
それで一回ボロボロに負けることがあって。
2007年7月は東証1部やってたんだけど、それも同じような感じで、本来上がるべきところで買うのに急に上がらなくなる。
毎回毎回損切りになる。


ぱり
それ、あれ?20連敗して足を針で刺した時?

山田
そうそう。

一同


ぱり
21連敗だっけ?

山田
1ヶ月で3日くらいしか勝てなくて。

ぱり
で、針で自分の足を刺すんですよ。

司会
それは・・・自分で自分がイヤになって?

山田
何か暴走しちゃうんですよ。
これを痛みに変えて覚えておこうと・・・。
負けたらこんな痛い目にあうんだと。

一同
爆笑

司会
本物の投資家がいましたね(笑)
投資でメシを食ってるからこそですよね。

で、2007年8月くらいから、チャート上で天井になってますね。
さっき山田さんが食らった頃と一致してる感じですね。

ぱり
このあたりから、いわゆる祭りで踊ってた人達が一気に勝てなくなってきて。

山田
ライブドアショックで死んだ人は甘っちょろい方で、その後最初に脱落し始めたのが2006年3月4月、次に脱落したのが2007年7月8月・・・。

五月
その2007年夏ってのはパリバショックだと思うんですけど、そこがおそらく日本の市場全体の流動性のピークだった。
それまでは流動性があった。ボラと売買代金があったからデイトレーダーは食えたんですよ。

ぱり
流動性が減っていくっていう初めての事態が起きたんだよね。

山田
そうそう。2006年はライブドアショックの後も、指数的には厳しいけど流動性はあった。だからデイトレはできたんだよ。空売りで取れた。

ぱり
指数が下がっても、そのお金が一箇所に集まって移動していくだけだから、それについていけばよかったのよね。

山田
指数が下がっても売りで取れるじゃん。なんで負けるの?みたいな。

司会
パイはあったから、パイの中での取り合いができたと。

ぱり
そうそう。

司会
流動性の低下でパイが減っていくから

山田
空売りでも取れなくなった。デイトレで。

司会
それで死んでいく人が増えるからさらに縮小していくと・・・

ぱり
ボンバーマンってゲームで時間が無くなると外枠が埋まっていくじゃない。
そんな感じだったんだよね。

司会
的確な例えをありがとうございます(笑)

2007年の話 世界経済崩壊前夜

司会
ライブドアショックの次はいよいよリーマンショックなんですが、リーマンショックの前も下げ相場だったんですよね。

温泉
2007年のピークから中国の株価指数が壊滅していくんですよね。

ぱり
温泉さんはその時もう中国株始めてたんですか?

温泉
まだ始めてないですね。僕が買い始めたのが2008年の夏なので。

司会
中国が盛り上がったのっていつ頃だったんですかね。

温泉
一番盛り上がったのは2007年ですね。日経のピークと同じ時期。

山田
僕、中国株2002年に買ったんですよ。
2000年~2001年くらいに一回あがっててそれを見て買ったんです。
でもそこから半年~1年ぐらい上がらなくて。
なんだ上がらねーじゃねーか!って。
資産の半分くらい中国株に入れてたんだけど、結局チャラで逃げて。
そしたらこんな事になって。上げっぱなしで。

温泉
2007年まではノンストップだったんですよね。

司会
温泉さんはこの頃に中国に注目し始めて・・・

温泉
僕は、2007年に流動性下がって、新興市場の主力に限界を感じてた。そこから他のこと調べ始めて・・・
その時は相場全体が下がってきてて、上海指数も2008年の5月6月にピークの半値くらいになってた。
なので後は買うタイミング待ちだった。
リーマンショックまでは予想してなかったですけど。

世界経済の中で一番早くに立ち直るのは中国だろうと思ってた。
それで中国株を。あと資源が足らなくなると思ったので、資源国通貨と資源銘柄を狙ってました。

司会
その辺の発想というか、そこ目を向けたのは何かきっかけがあったんですか?

温泉
もう国内じゃ儲からないだろうっていうのが基本的にあって。
やっぱお金が流れこんでるのは中国だなって思ったので、

司会
国内に限界を感じたから・・・て感じですか。

温泉
そうですね。

司会
じゃあこの頃から、短期売買をやめてイベント系・・・

温泉
イベントはもうちょい後かな・・・

山田
それって結構思い切った戦略というか。

温泉
そうですね。資産の半分以上移動したんで。
当時あったお金1億以上出金して、野村證券とかにポンって入金して・・・って感じ。

司会
その辺の(新興での)リスクのとり方とか、新しい事への転換の仕方がすごいですよね。

温泉
今思うとよくやってたなーと思います。

司会
五月さんはどんなトレードしてたんですか?

五月
基本的にはデイトレでスキャルピング中心でやってて、新興って基本的にずっと下がってたんですけど、2007年の末になぜかミクシィが210万になって、ドワンゴが50万になるっていう素敵な大相場があったんですけど、結局それも乗れなくて。
そのあたりのシーズンは悔しい思いしたのが多かったですね。

結局雰囲気で板を見て買って何円かで抜くみたいな、あんまり面白くないトレードしてましたね。

ぱり
俺も同じ感じ。色々やってるけどそんな儲からないよね・・・って。

司会
ゾーマさんはこの頃もうオプションやってたんですか?

ゾーマ
この頃は既に株のシステムトレードのアルゴリズムも使えなくなって、それでオプションを始めました。それが悲劇のはじまりでしたね。

ぱり
その頃、会うたびに「プットは売れば儲かる!プットは売れば儲かる!」って言ってたもんね。

ゾーマ
言ってたね(笑)

ぱり
「プットは売れば儲かる!」
※オプション取引はリスクの大きい取引です。
(参考)野村証券 証券用語解説集

司会
オプション始めたのはどのくらい?

ゾーマ
2007年前半だったかと。

山田
確かにそういう時代だったからな~

ゾーマ
期待値はやっぱりプラスなんですよ。今計算しても。
ただしその期待値は「毒針」※なんだよね~。
※一撃で死に至ることの例え

司会
ちなみにリーマンショックでいくら食らったんですか?

ゾーマ
1億です。

司会
オプションのみで?

ゾーマ
オプションだけで1億で、株も持ってたからそれに追加で・・・
結局それで資産半分以下になりましたね。


一同
・・・

2008年の話1 リーマンショック これまでにない損失額

司会
引き続きリーマンショック時の話を・・・
ぱりさんはどうでした?

ぱり
リーマンショックの時って、たしかリーマンショックの前にベアスターンズがヤバイヤバイってなって、救済されたじゃないですか。
それで皆リーマンブラザーズも大丈夫じゃないかって思って。
で・・・時系列がいまいちわかってないな。フラッシュクラッシュってリーマンショックの後だったっけ?

五月
フラッシュクラッシュは2010年ですね。※
リーマンショックの年は、ベアスタが救済されてリーマンショック、その後に法案が通らなくて777ドル下げがあって、本格に下がったのが10月からだね。
※(参考)フラッシュ・クラッシュとは - はてなキーワード

山田
リーマンが破綻したのはいつ?

五月
9月。その後はあんまり・・・

温泉
あれって?思ったら10月から下げがすごかった。

ぱり
10月から本格的に下げて。

山田
あれはびっくりしたわ。

五月
真っ逆さまでしたからね・・・。

ぱり
基本的に何か起きても、ちょっとモミモミするんだけど・・・。

山田
地震のときもそうだったけど、いざヤバイってなった時に、誰かが逃げ出さないと皆逃げ出さないみたいな・・・?
心理学でそういうのあるらしいんだけど。
1人がパニックになると全員がパニックになるみたいな。

温泉
あのリーマンショックの10月のときは世界中がヤバかった。
資本主義が終わると思った。

一同
思った。

山田
資本主義終了~って感じだった。

ぱり
煽るやついっぱいいたしね。

司会
ぱりさんはその時ポジション持ってたんですか?

ぱり
あんまりポジション持ってなかったから、ちょっとは食らったけど・・・そんなでも無くて。
リーマンショックの後の連鎖倒産で儲かったんですよ。
あの時は異常値がホントにいっぱいあった。資本主義崩壊を織り込みにいってたから、あらゆる銘柄が異常値ついてた。あそこで冷静になれてたらスゴイ儲けるチャンスだったと思う。

温泉
余力がちゃんとあって、ポジも少なければチャンスだったね。
あと、先物のサーキットブレイクがあったね。

一同
あったあった。

ぱり
あんなん初めて見たわ。

一同

~オプションで大損したゾーマ氏を察して笑いが起きる~
(注:今になって復活したから笑える話です)

司会
温泉さんはリーマンショックの時どうだったんですか?

温泉
その時めっちゃくちゃポジション持ってた。
その前の北京オリンピック辺りから上海の株価指数連動ETFを買い捲っていて、リーマンショック後の10月の下げの前に、既に中国の回復を織り込むポジションを作っていた。

外貨もいっぱい持ってて、日本株も資源系の銘柄を買い捲って、さらに香港株も買い捲って、日本株は2階建てだった。
上海の株価指数ETFをベースに上に日本株を乗せてた状態だった。
なので恐ろしく食らいましたね。

それで一時期一ヶ月5,000万以上マイナスになって、1億2,000万くらいまで資産減りました。

ぱり
温泉さん、その時結構勝ってませんでしたっけ?

温泉
いや、あの時だけはかなり食らいましたね・・・
あれはもう先読みしすぎたというか、ポジション持つのが早すぎた。

ぱり
それはベアスターンズが救済されたからリーマンブラザーズもいけるだろうという考えだったの?

温泉
いや、そうではなかったんだけど、信用収縮が予想以上にスゴかったというか。
もうちょっと落ち着くだろうと思ってたんだけど、あそこまで広がるとは思わなくって。

ぱり
信用というか、架空のお金が全部消えたよね。

司会
当初の予定だと、受身はとれるだろうと思ってたけど、取りきれなかった感じですか。

温泉
そうですね。多少の下げは付き合うけど、その後の回復はするだろうと思ってました。特に中国系のポジションは一番早く回復するだろうと。
まぁ結論的には当たってるんですけど、結構後になってしまったので・・・。
その時はもう(投資を)辞めようと思ったんですけどね。

山田
下げの最後が一番下げるからなぁ~
ちょっと早いだけでも結構食らう。

温泉
ちょっと早かったですね。早すぎた。

2008年の話2 それぞれのリーマンショック

ぱり
俺が金買ったのっていつ頃だったっけ・・・

山田
リーマンショックの後じゃない?

ぱり
後か・・・

ゾーマ
なんでそんなの知ってんの(笑)

山田
僕はその時「信長の野望」をやってて、そのやりこんでる時にニューシティーがどうとか言ってたのを覚えてるんだよね。
で、僕はもう「株いいや」って思って、毎日「信長の野望」をやってた。
そしたらぱりさんが「儲かった儲かった」って言ってくるから、もう鬱陶しいなって(笑)

司会
俺は信長をやりたいんだと(笑)

山田
もういいやって。現実逃避して毎日「信長の野望」やってた。

温泉
リーマンショックの後って翌年2009年3月くらいまでは低迷したんだよね。
その時って、このままペンペン草すら生えないんじゃないの?ってぐらいの感じだった。
少なくともそう思ってた。

ゾーマ
REITにしても利回りが40%とかなってたよね。

温泉
潰れるのを織り込んでたよね。

五月
REITってリーマンショックの直前、一番デカイファンドの利回りって2%台までいってましたよね。さすがにこれおかしいだろ!って思ったけど、当時ファンダ的な素養がまだ育ってなかったから、取れなくて悔しい思いをしましたね。

司会
山田さんはこの頃どうだったんですか?

山田
基本的にずっとデイトレやってたんですけど、どんどんパイが狭まっていくから、2006、2007、2008と毎年右肩下がりでしたね。
リーマンショックの時は、流動性の面では下げる時に一瞬増えるんですけど、下げも取れないんですよ。一瞬の下げは取れたけどそれ以外は取れなかった。

ぱり
食らってはいない?

山田
食らってはいないけど儲かってもいない。毎日「信長の野望」で現実逃避してました。(笑)

司会
クサってた(笑)

山田
クサってました(笑)

司会
五月さんはリーマンショックどうだったんですか?

五月
僕はその時デイトレーダーだったので、10月の本格下げの前に、若干色気を出して一番乖離率が高かったJFEを全力買いしていたんですよ。これリバったらスゲー儲かるでしょって。

一同
ほうほう。

五月
で、買った日の夜にアメリカのマーケット見てたら、USスチールが10%下がって「俺死ぬ・・・即死(笑)」って。

でもそのJFE、次の日一瞬だけプラ転するところがあったんですよ。奇跡的に。
そこで逃がしてもらって・・・そこからオーバーナイト止めようと。
その後JFEは結局半額くらいまで下がってましたからね・・・あれはラッキーでした。

温泉
僕もあの時めっちゃ食らった。商船三井とか。

五月
あの時、市況モノはとんでもない下げだった。

温泉
市況モノを2階建てにしていた(笑)2階部分。

ぱり
みんな2階建てやないか!

一同


五月
その後は日本製鋼所とかニコンとか、株価が高くてバリュエーションの高い銘柄でショートのスキャルピングだけずっとやってました。

温泉
上手いな~

司会
株価は戻らないだろうって事ですよね。

五月
基本的に下がっていくだろうって。

司会
その切り替えの早さがポイントですよね。ここにいる人全員切り替え早いですね。

2008年の話3 オプショントレーダーの顛末

ぱり
じゃあそろそろゾーマさんのぶっこき話を・・・

ゾーマ
オプションは、基本的に寝てるだけで儲かるんですよ。寝てるだけで。
ですので、投資をするのは正当でしょうと。
でも、これらは同額づつ投資をしたときの動きだと。
でも勝っていくと複利でポジションが膨らむので・・・こちらの資産推移がそうなんだけど。
期待値がプラスなんだけど、何故か資産が暴落してるんだよね。(笑)

 

司会
この青い線のことだよね。追加投資無しで、期待値がプラスなのに資産がマイナスになると。

ゾーマ
そう。期待値がプラスなのに資産がマイナスになると。
これが何を意味するかってところで。

司会
この辺を経験則交えて・・・

ゾーマ
そうですね。まずリーマンショックですけど、ずっとオプションは売ればいいと。
それで売ったままリーマンショックを迎えてしまったと

ぱり
周りがリーマンショックや、サブプライム問題やと騒いでたじゃないですか。
その時でも、「俺のオプション売りは磐石だ!」と思ってたの?

ゾーマ
期待値では収束するだろうなと思ってたんだよね。
それは確かにそうなんだけど、金額が一定じゃないと。
これで無茶苦茶やられまして・・・。
一時期は辞めようかと思いましたけど・・・

司会
この時は会社員として働いてたんですよね。

ゾーマ
働いてました。今も働いてますけど。もう職場にいる時にSQ値を見て吐き気がして、トイレに駆け込んで吐いてましたね。

司会
SQの日でしたもんね。リーマンショック。

ぱり
あーそうかそうか。そうやった。

山田
地震のときもSQだったよね。リーマンもSQだったんだ・・・

ゾーマ
10月10日だった。私の中で「セカンドインパクト」と呼んでるんですけど。(笑)

温泉
SQ値いくらだったんですか?

ゾーマ
前日の先物が9,000円台で、SQ値が7,000円台・・・※
※2008年10月のSQ値は7992.60円

温泉
確かプットの下の値が無くて・・・

ゾーマ
プットの一番下限が9,000円だったのかな?

ぱり
それ、仮にプット買ってたらスーパーウルトラクソ儲けだったの?

ゾーマ
スーパーウルトラクソ儲けだね。
その2週間前まで、そのプットは1円だったからね。

ぱり
1円張り付きだったでしょ。

ゾーマ
その張り付きのプットが1,000円を超えてたからメチャクチャ儲かったと。
一方ではメチャクチャ損すると・・・。

どんな状況だったかというと、証拠金は余裕で吹っ飛ばして、証拠金が足りないって事でポジションを全て清算しても資産がマイナスと。いう状況だった。

ぱり
・・・それどうやって資金工面したの?

ゾーマ
いやー、もうしょうがないから投信や不動産を売ってそれを充てたんだよね。

それで毒針投資で損をして何を考えたかというと、やっぱりこういったポジションをポートフォリオのメインにするべきではないと。
当たり前の結論なんですけど・・・。

司会
大きく張りすぎるなって事ですかね。

ゾーマ
そうですね。
卵は複数のかごに入れるという、ごくごく基本的な話ですね。

2009年の話1 短期売買の限界。そして転換へ・・・

司会
皆さんリーマンショックはひとしきり食らったと・・・。

ぱり
でも本当の地獄はリーマンショックの後だもんね。

司会
そうですよね。
その後は不動産業の倒産とか。不動産業はどんどん年末にかけて倒産していって。不動産だけでなく他の業種もどんどんシュリンクしていって、売買代金も減り・・・という厳しい状況が始まりました。
この辺、皆さんはどのようにして乗り切ってこられたんですか?

ぱり
この頃ってどんどん流動性が減っていって、ちょうどその時東証がアローヘッドを導入するということを言っていて。その時「あー、短期売買はもう終了するだろうな・・・」って。
なので当時、長期トレードをマスターしていかないと生き残れないなって思って、長期投資を試行錯誤していた頃ですね。

司会
今のスタイルの始まりというか。

ぱり
そうそう。脱皮をしようと色々画策していた頃ですね。
やっぱり流動性が無いと短期売買できないのよ。

司会
狩るものがいない。

ぱり
そう。やり方変えないことにはいかんな・・・と。


司会
温泉さんはいかがですか?

温泉
2009年3月くらいまで市場が低迷していて。
その間は何もしていないですね。リーマンショックの傷もあり・・・資産も実際低迷しているので。

もう買ってしまった香港株と上海株指数ETFをひたすら抱えて・・・上海のETFとか。
あとは外貨MMFを外貨建て社債にしてるんですよ。
GEキャピタルだったかな?GEの金融子会社とか、ゴールドマンサックス、三菱UFJの社債とか。全部利回りが高かったので。
GEキャピタルとかは規模がデカイので潰せないだろうと読んで買っていったんですよね。

ぱり
その辺りってバブルな社債がいっぱいあったよね。

ゾーマ
日本でもCSKが利回り高かったよね。

山田
価格が20円とか30円まで下がってたよね。オリックスとかも。

ゾーマ
それが今では100円近辺まで戻してるしね。

司会
ゾーマさん買ってましたよね。CSK。
山田さんは相変わらず信長やってたんですか?

一同


山田
信長やってクサってたんだけど、ぱりてきさんの大儲けを見て「こんな事やってちゃいかん!」って思って。

司会
いい刺激を受けたわけですね。

山田
2009年の3月~4月くらいから、長期というかスイングというか。ファンダメンタルを調べてみたいな事を、やっと重い腰をあげてやり始めた。
でもデイトレでも勝ててたんですよね、2009年は。あとFXも始めて。FXもまぁまぁいい感じで儲かって。結局2009年はまぁまぁ儲かった。

温泉
3月の後はずっと相場良かった。

山田
全部は取れなかったけど、ファンダメンタル投資とデイトレとFXで2009年はいい年だった。

司会
山田さんは基本、収支ブレないですよね。

山田
温泉さんみたいに「これだ!」って思ったときに一気に動かすことが出来なくて、メチャクチャ石橋を叩いて叩いて・・・って感じで。
だから移るのは人より少し遅れる感じですね。

司会
守備力MAXな感じですね。


司会
五月さんはこの時期、デイトレから脱皮しはじめた頃ですか?

五月
年明けくらいまでは、大口のポジション調整なのかすごい値動きが荒くて。
2月くらいまではずっと日本製鋼所に張り付いて。株価1,000円くらいあったんですけど1単元が1000株なので、1単元で100万くらい入れられて。余力全然使えるんですよ。
それでひたすらスキャルピングだけして結構勝てました。

2月3月くらいからオリックス、アイフル、大京、パイオニアあたりが3倍くらいになる復活相場が来て、さすがにショートがやられまくるようになって。
それで僕ついていけてなかったんですよね。そこの切り返しに。

後はアローヘッドの影響があるって事で相場の流れも変わってきたし、長い目で見た方がいいなって事で。その辺からスイングに取り組み始めましたね。

司会
それが後々の大成功につながるわけですね。

五月
今の礎みたいのが2009年くらいかな・・・と。

温泉
2009年は誰にとってもポイントだったかな・・・と。
その頃は中国の金融緩和がすごい勢いで。

ぱり
リスクテイカーが出てきたって感じだったね。

温泉
3月から一気にって感じで。

2009年の話2 回復相場とJAL

温泉
2009年の回復相場はすごかった。

五月
2009年で一番すごかったのはやっぱGSユアサだよね。

一同
あー確かに。

※GSユアサの日足チャート

温泉
太陽光銘柄が半端なかった。世界中の太陽光の銘柄が鬼のように買われた。

ぱり
GSユアサがスッ高値でPO※していて。
※Public Offeringの略。株式等の公募による募集や売出しの事。

五月
700円くらいでしたっけ。

温泉
環境関連銘柄しかお金の行き場所がなかった。

司会
2009年で転換点を向かえ、様々なノウハウをためつつ・・・って感じですね。

ぱり
多分ね、リーマンショックから2009年の段階までは、ここにいるゾーマ以外は、言ってみれば普通だった。どこにでもいる株やってる人みたいな感じだった。
俺達より稼いでいるヤツはいっぱいいた。

五月
2008年とか資産変わらなかった。減ってないだけ良かったのかもしれないけど。

司会
2009年は3月以降指数的には上がってますよね。

温泉
イメージ的には指数以上に上がってる感じ。
テーマ性のある相場があった。

五月
2009年は第一精工とかデジタルガレージとか。あと年末にJALが65円になって。

司会
JAL売ってた人はこの中には・・・

ゾーマ
売ってましたね。

ぱり
温泉さんも売ってたでしょ。

温泉
売ってましたね。

ぱり
どうでした?クソ儲け?

温泉
でも2,000万くらいでしたね。

ぱり
逆日歩はどうだったんですか?

温泉
逆日歩は・・・ついてないですね。

ぱり
ゾーマはいくらくらい?

ゾーマ
500万くらい。

ぱり
いくらで売ってたの?

ゾーマ
100円くらいだった思う。

山田
金額で500万ってことね。500万株かと思った。

ゾーマ
そこまでいけないよ(笑)

温泉
あれは年末両建てにして、年明けに全部外した。 売り禁になると思ったので・・・。
結果的に報道が出てからでも余裕で外せたけど。

ぱり
1回60円くらいまで下がって、そこから戻して・・・

温泉
それでリバウンドした時に、すごい出来高膨らんだので、これはヤバイと思って両建てにしたんですよね。
年明けに法的整理するっていう話が出てきて、そこで全部両建てを外した。
最初全然下がらなかったけど。

ぱり
そう、下がらなかった。あれなんで下がらなかったの?

山田
100%減資にはならないんじゃないかって話だった気が。

ぱり
個人の株主数が多いからうんぬんって話だったかも。
あの時ってもう民主党だったよね?

五月
そう。前原さんがやる、やらないって言ってたから。


※(参考)
【BLOGOSまとめ】「日本航空の破綻」について ※現在は既にリンク切れしています

2010年の話1 アローヘッドの登場とアルゴリズム売買

山田
2010年からアローヘッド開始だったよね。
アローヘッドを最初に見たときってどうだった?

ぱり
デモ画面みたいのあったね。東証で。

山田
10月くらいかな。今度からこんな感じになりますって。
あれ見たとき「これじゃ勝てん」って思った。

ぱり
光の速さで動いてたからね。

山田
知り合いと喋ったら「大丈夫でしょっ」て・・・

ぱり
そう。あれ見てなんで大丈夫ってなるのかわからなかった。「何を言っているんだ君達は」って思ったわ。
アローヘッド始まったのが10年1月で。
最初はアルゴもぬるかったから勝てた。ヘボアルゴだったんだよね。

山田
4ヶ月は勝てた。

ぱり
そう。でもゴールデンウィーク明けたあたりから本気アルゴが出てきて。

山田
デイトレーダー皆殺しだろうと。

ぱり
バージョン変わりましたね。みたいな(笑)
そこから板読みとかスキャ太郎が全然勝てなくなって。
どんどん個人のスキャブログが閉鎖されていくっていう状況だった。

あれは、機関投資家が儲けるところが無くなってきたから個人デイトレを狩っていこうっていう方針だったんだろうね。

2010年の話2 わら人形の呪い

司会
2010年ってどんな相場だったんですか?

五月
2010年あたりからギリシャ問題※が出てきて、すごい円高になって・・・
※(参考)2010年欧州ソブリン危機

司会者
円高の始まりだったんですね。

五月
それと、ゴールドの相場。

温泉
2010年は中国が引き締めに入ったんだよね。

山田
2010年は第二弾「腐りモード」でした。

ぱり
また信長?

五月
金山の開発ですか?

一同


山田
信長もやったし~、相場全然やってなかったからね。

温泉
あれは・・・アメリカだけ緩和してる感じで、新興国が引き締めしてるっていう、そういう状態だったんですね。2010年は。
新興国が全部引き締めに動いたんですね。で、アメリカとか先進国が緩和に動いて・・・っていうねじれた状態だったので

ぱり
QE1ってリーマンショックの時か。

温泉
2010年がQE2。

五月
2010年の末くらいですかね。

温泉
緩和してたんだよね。2010年。※
※(参考)アメリカFRBの金融緩和(QE1・QE2)の内容

山田
2010年が一番きつかったかもしんないな。

温泉
円高で外貨建て資産が凄い目減りしてて。円ベースで。

山田
僕のようなタイプのデイトレーダーは完全に終わったっていうのはかなり感じた。
もう、稼げないんだっていうか、終わったなっていう。

司会
その時どんな心境だったんですか?
腐ってるだけでいられないじゃないですか。

山田
ほんと、腐ってるとホント腐ってきますからね。他人の不幸を祈るようになる。マジで。
ブログ見てて勝ってる人がいたら、こいつ損すればいいのに~みたいな。

ぱり
自分の足を針で刺さずに人の足を引っ張る(笑)

山田
もうね、なんかここまでの向上心が無くなってきてて・・・

五月
わら人形の方にね(笑)

山田
わら人形、わら人形(笑)

山田
でも、その人が損しても自分には1円も入ってこないんだよね。

ぱり
うんうん。

山田
意味無いんだよね。

司会
外を羨んでも何も変わりませんしね。内面に目を向けないといけないって事ですね。

2010年の話3 小型株に着目

五月
2010年は東証2部指数がすごい上がって・・・まぁ、結局見るとあんま変わってないんだけど、でもイメージ的にはすごい上がったんですよ。

山田
10月くらいから結構あがって・・・

五月
その中で自動車部品工業とか、誰も持ってない小さい製造業を幅広く買って・・・

温泉
2010年以降はもう、五月さんの独壇場ですよ。

司会
独壇場。

五月
いやいやいや。ユビキタスとかが上がったのもそうだし、インフォテリアとかエイチアイとかね。

一同
うんうん。

山田
あれ、凄かったよね。

バブルの香りしたよね。そのまま市況良くなるんじゃないの?みたいな。
地震の前まで結構いい感じだった。

五月
QE2相場は凄かったですね。

山田
なんかもしかして、これで「夜明け」なのかなっていう感じがあったよね。

司会
この辺はもう、完全に銘柄分析オンリーでやられてたんですか?

五月
うんうん。そう、2010年はかなりファンダからのアプローチの中長期投資ですね。

司会
最初の頃って手探りだったと思うんですけど、どんなアプローチでやられてたんですか?

五月
とりあえず、やってみたらうまくいったから・・・。
一番最初は東証二部とかジャスダックのほんとにしょぼい株。
PBR0.3くらいのやつを、過去の月足の高値と安値の差みたいなので・・・。

司会
要はどんだけ伸びしろがあるかみたいな。

五月
そうそうそう。そしたら意外とうまくいったんで。
まぁその辺からちょっとずつなんか、自信がついてきたかな。

司会
これどうだろう、あれどうだろうって試してみたらという感じですか。・・・なるほど。

2010年の話4 各人が自分流のスタイルを構築

司会
ぱりさんもそんな感じですか?

ぱり
その辺りから俺もショットガンスイングやりだして。
俺は五月ちゃんみたいに個別銘柄をじっくり調べるとかじゃなくて、地合に応じて「今この状況だったらどういう系統のものが上がるか?下がるか?」みたいな予想をしてって、このセクター上がりそうだなと思ったら、そのセクターの良さげなとこをバーっと買っていくみたいなのを始めてて。

2009年あたりからスイングトレードでやってて、どうしたら勝てるかな・・・っていうのに対して、その中でショットガンスイング売りとか試しながらやってて。
それが今のスタイルに繋がってきた時期で。

やってて「あっ、ちょっと俺うまくなってる」っていうのが実感としてわかりだした頃ですね。

司会
全体感を見ながら・・・

ぱり
そうそう。

司会
ショットガンて、差し支えなかったらですけど、大体何銘柄くらい?

ぱり
でも状況によるよね。リスク取れる時はたくさん取るし、これくらいかなって時はそれ相応の・・・みたいな。
ショットガンの・・・なぜショットガンにしたかって言ったら、逃げる時にすぐ逃げれる。

司会
あ~玉が少ないから。

ぱり
流動性が落ちてた時期だったから、逃げらんないですよね。
で、五月ちゃんの場合はそこで流動性無視モードで。
なんだけど、俺はその対極でショットガン形式で分散させてたんですよ。

司会
ゾーマさんは、2010年はもう・・・

ゾーマ
2009年2010年はもうずっとオプションやってましたね。一本足打法。

司会
ここでいう、リーマンショック後追加投資をやってた頃ですね。

(資料を見ながら)

司会
この時ネットで資産推移チャートを晒してたじゃないですか。自動システムの成績。
あれ、すごい右肩上がりでしたよね。

ゾーマ
あ~!もう、消しましたけれど(笑)
そうですね、その時リーマンショック後でオプション投資家が死滅してて、オプションがすごい割高になった状況で。そこからダダ下がりだったから。

ぱり
リーマンショックの時はオプションの売建制限て無かったの?

ゾーマ
有って無いようなものだったね。

ぱり
あ~。

ゾーマ
基本的にもう、証拠金がっぽり使えるくらいのポジは作れた。
それが、大震災の影響で厳しい制限ができた。

ぱり
あ~なるほど。

司会
山田さんはスイングをちょっとずつ試し始めた。

山田
そうですね。手ごたえはそんなには無かったんですけど、2009年くらいから初めて、最初あんまりお金かけれない・・・こわくて。夜ぐっすり寝れなくなっちゃうんですよ、いっぱい持ってると。・・・やっぱり熟睡したいんであんま持ってられなかった。

それで、最初は全部で1千万くらい持ってるのがやっとで。それが2千万持てるようになった、3千万持てるようになってみたいな感じで。銘柄の分析の仕方もちょっと変えたりして。

でもホントこの頃2011年くらいまでは完全手探りで。一応やってはいたけど、これでやっていけるみたいな手ごたえは無かったし・・・。

司会
ずっと手探りで。

山田
そうなんです。で、デイトレも完全に捨てれてはいなくて。特に地震の後とかデイトレって結構儲かっちゃったんで。東電も毎日毎日やってて。
去年?2011年はデイトレ結構儲かったんですよ。2010年は全然儲かんなかったんだけども・・・。

ぱり
まだ、俺のデイトレ通用するな!みたいな?

山田
そうそう。まだ俺のデイトレはまだイケるぞ?みたいな。

なんか、いきなり儲かっちゃったから、ほんと2006年・・・2005~2007年くらいの利益が出ちゃって。デイトレで。まだイケるじゃんみたいな。
ちょっと勘違いをして・・・

司会
選択肢があるのはいいですよね。

ぱり
やっぱね、選択肢をどんどん増やしていかないとダメだね・・・うん。

司会
ひとつのやり方に固執というか頼っちゃうとね・・・

山田
「俺はこれだけでいいんだ」って思うとね・・・そうなっちゃうとね駄目なんだよ。

司会
それが真理だったらいいんでしょうけどね。応用利きますからね。

2011年の話1 大震災

司会
地震の話題が出たので2011年の話に入りたいと思いますが・・・
2011年の最初、3月くらいまでは・・

ぱり
までは・・・めっちゃいい地合だったよね。

司会
指数もすごい上がってるし、結構盛り上がってたんですよね。
でも地震が起きてしまって・・・。この中で被災された方いらっしゃいますよね。
温泉さんは完全に被災で。五月さんも。

五月
うん・・・軽く。

司会
私、温泉さんのブログ見て驚いたんですけど、揺れてるパソコン押さえながら発注しようとしていたっていう。でも停電で出来なかったって・・・

ぱり
停電したんですか?

温泉
そうなんです。停電と、あと回線が・・・電気だけは回復したんですけど。回線が完全に止まってたんで・・・光回線が。
建設株発注しようとしてました。

ぱり
だからあそこでさ、オプション知識とかあったらプットとか買ったんだろううけど。
俺、不動テトラを買うしかできんかったわ。不動テトラを・・・たくさん買いました。

ゾーマ
私はしいて言えば、揺れてる時に避難警報が出て、避難の指令が出て、階段をガーって降りていったんだけど、その時に必死で先物を売ってました。売ってたんですが、家のPCの馬鹿野郎が勝手にプットを売ってて・・・。

一同
爆笑
(注:今だから笑える話です)

ぱり
どういうシステムを組んでたんですか?

ゾーマ
いや・・・ふつうに・・・

山田
割高だ~みたいな。

ゾーマ
そうそう。
おかしい値段がついてるみたいな。

ぱり
家のパソコンに自爆スイッチを付けておかないと!

一同


ゾーマ
とんでもない量の注文を出していて。もう・・・
当初さ、避難も終わって、先物で「やべぇ、めちゃくちゃ儲かってる」って。
ナイトセッション見たらスゴイ利益が出てるっていう状態ですよ。
もうビビッちゃって。ほくほくしながら帰って行ったら・・・

ぱり
家、歩いて帰ったの?電車停まってて

ゾーマ
歩いてでは無いんです。・・・その日は会社に泊まって翌日。

ぱり
なるほど、なるほど。じゃぁ、会社に泊まってるときはほく♪ほく♪で

ゾーマ
そう。

ぱり
そんな下衆ことやるからや。

ゾーマ
ホントもう・・・天罰で。

ぱり
天罰や。
で、それ家帰ってどうなったんですか?

ゾーマ
いや、しばらく何・・・しばらくなんでこんなことが起こってるのかわかんなくって・・・。
ニュースとか見て、すごいことが起こってることをようやくその時に知って。
で、まず例のプット、どうなんのかなって・・・。で、そう思って月曜日を迎えちゃったんだけど。
月曜日思ったほど、当初はプットが高騰しなくて、逃げれたんだけど。
まぁでも、これそのうち収束するよねぇ?と思ってたら日経が1万円から8千円近くまでストーンっていってしまったという感じで。

※震災当時の日足チャート

ぱり
原発爆発する前でしょ?

温泉
一番最初の・・・土曜日。

ぱり
あ、そっかそっか。

温泉
土曜日に2号基が爆発して・・・。僕そこで避難してるから・・・

一同
あ~。

ゾーマ
月曜日の午前中まではそこまで相場も下がってなくて、プット相場も耐えてたんだけど。でも月曜日の夜か火曜日の夜とかだったと思うんだけど、1円のプットが千円とかになってて。

司会
そう。一時ストップ高になってたよね。

ゾーマ
そう。高騰して、そこでスッ高値でロスカットされてそこで証拠金ぶち抜いて。損を出して、終わり。

一同
・・・

司会
やっぱ、それ見た時ポルナレフみたいになったんですか?

ゾーマ
何が起こったかわからねーと思うが・・・(笑)

司会
山田さんは地震の時くらったんですか?

山田
くらいましたね~やっぱ。他のみんなにとっては大した額じゃないんですけど、1,000万くらい負けて・・・。
でもその時まで過去最高負けマイナス100万とかだったんですよ。で、1,000万負けて・・・

温泉
それまで最高マイナス100万ですか?(資産に対して損失回避が凄いという意味で)

山田
そう。過去最高負けの10倍くらい負けて・・・で、そっから必死に取り返したんですよ。
地震のあとめっちゃボラが激しくなって、それで取り返せたんですよ。
で、取り返して3ヶ月くらいずっと放心状態。もう何も考えれなくなってずっと1日ボーっとしてた。

ぱり
信長やる気力もなかった?

山田
ゲームすらできなかった。もうなんか、真っ白って感じで。

ゾーマ
なんで真っ白になったの?

山田
1,000万負けて、負けたショックもあるし、それをめっちゃリスク取って取り返した安堵感もあるし、疲れもあるし、それが混ざって何にもできなくなっちゃって・・・。
でなんか、株の画面を見るだけでなんか気分悪いっていうか・・・。

五月
へぇ~。

山田
トラウマ、PTSDみたいな・・・。

ゾーマ
あ~ちょっとわかる。

山田
なんか邪悪なものと対面してるみたいな。

司会者
なるほど。

五月
そういう話もっとして!トレーダーが如何に苦しいかっていうのを伝えてほしい。

司会
読み方によっては「信用二階建てで儲かった」みたいな風に思ってしまう人出かねないですからね。そういうのも伝えないと・・・。

ゾーマ
もう、証券会社から毎日、証拠金を入金をしろしろと督促がくるんですよ。
でも、もう現金なんて持ってないんですよ。「払えません払えません」と言うとホントに家とか会社に普通に来ますからね。

五月
来るんだ?

ぱり
えっ、来るの?

ゾーマ
直接来たりはしない。電話で。

ぱり
で、それ・・・また不動産売ったの?

ゾーマ
その時は・・・その時はまだ投信とかやってたので不動産は売らなかったんです。
投信とかもう外国の口座の分を換金して・・・。
で、なんとか間に合わせて・・・。
それで資産はピーク時の何分の一とかになっちゃいましたね・・・3分の1かな。

ぱり
五月さんは、どんな?

五月
半分くらいになっちゃった。

司会
半分ですか。

五月
一番、一瞬の底値の時に、3/15、16・・・かな?

ぱり
五月ちゃんあの時ケロッとしてたもんね。なんか。

五月
そうですか?でも、結構・・・その残った1億くらいで、守りに入ってこのまま人生終えようかなってことも、真剣に考えましたよね。

考えてたけど、その後の復興関連とかの戻りがあまりにも凄くて、「これひょっとしたら、頑張った方がいいんじゃないか」っていう・・・感じで。

で、そこからはもうとにかく喰らいついていって。そしたら、2~3ヶ月後くらいには戻ってましたね。

ぱり
俺も、株辞めるみたいな話してて。あれ?やっぱ地合いいじゃないかってなって。
結構すぐ再開しましたね。

司会
どっか冷静なんでしょうね、きっと。

五月
大分チャンスありましたもんね、あの後・・・

2011年の話2 震災後

司会
地震の後ってどうだったんですか?オリンパスの粉飾等、事件はいくつかありましたけど・・・。

五月
6月くらいまで復興関連でかなり上がった。その後、アメリカの債務上限問題で、米国債格下げがあって。夏から主力株が20~30%真っ直ぐ下がった時があったんですよ。あれは結構やられた人はいたんじゃないのかな。

僕はなんか、大型株ちょっと割高までではないかなと思って・・・ショートできなくって、悔しかったんですけど。

司会
その時はまぁ、小型拾いつつ・・・

五月
そうですね。あと一部ショートが機能して、トントンくらいで凌いだ感じでした。

ぱり
温泉さんが金やりだしたのっていつ?

温泉
2011年の2月の末。地震の直前なんですよね。

司会
じゃあ、それが功を奏した感じだったですね。

温泉
まぁそうですね。

ぱり
それあれですよね。金に逃避してたからかなり・・・

温泉
2010年が苦しい時期でした。・・・2010年結構苦しくて、円高と、中国の引き締めが続いてて、そこがホントに何もできなくて。日本株でちょろっと儲けて補った感じ。

2011年に中国に見切りをつけて、あとユーロと豪ドル持ってたやつを全て売却して金の_現物と金のETFに2月に変えて。で、震災を迎えたんですけど。
震災の時、ポジション持ってなかったんで・・・。

司会
不幸中の幸いですね。

温泉
そうですね。まぁ、避難もあって色々と大変でしたけど・・・。

司会
温泉さんはその切り替えってすごいですね。

温泉
かなりの金額を移動させるんですよ。資産の半分とか平気で動かしちゃたりするから。

ぱり
あの時、温泉さんが金をめっちゃ買ってるって言って、「えーっ」てなったの覚えてるわ。
その買った直後くらいに会ったんですよね。

温泉
あ、そうそう。

温泉
それで今まで中国株に時間を割いてた分を日本株に向け始めたの2011年なんで。
そこからは、やっぱり似たような。個別のバリュエーションとか・・・業績を判断して、で銘柄買っていくっていう。

司会
今はもうそんなスタイルで。

温泉
そうですそうです。2011年香港株がすごい苦しくて、その下落分を日本株で補って・・・銘柄被ってますよね。

五月
20011年の後半くらいから、かなり周り同じことやってる人が。

温泉
皆同じ銘柄狙ってて、同じタイミングで買おうとするんだよね。

五月
なんだこいつうぜぇなぁ。買い板引っ込めろよとか思ってたら、知り合いだったていう。

一同


五月
なんだっけあれ、製薬のね・・・フロイントとか。

温泉
フロイントもそうだし、ニューフレアもそうじゃない?
みんな同じサイクルに買ってるから・・・

ゾーマ
それはもう、業績からして・・・?

温泉
そう、業績で。進捗とか。
進捗いいなぁって。なんでだろうと思って調べるじゃないですか。
あぁなるほど、こういう理由で他に無いし・・・って考えると、買いじゃないかって。
それでみんな同じようなこと考えて、同じタイミングで買ってる。
「誰だこいつ200株買った奴」って(笑)

五月
たった200株なんだよ。500円だから10万とかの・・・

司会
それを取り合う。

五月
そう。そういう薄いの丹念に丹念にっていうね。

温泉
いいなー。

司会
その積み重ねが今生きてるわけですね。

2011年の話3 握力と利食い

司会
あと、ちょっと話ずれちゃうけど「握力」ってよく言うけど、どのぐらい持つんですか?ぱりさんとかよく「ポイ捨て」で嘆いてますよね。

ぱり
(笑)
あの、これ、多分ね、一番握力あるのは五月ちゃん。俺とかは結構加熱して、わーって上がっていくと売っちゃったりするんだけど。
理屈・・・前提となる理屈、前提となる条件が変わるまでは五月ちゃんはずっと持ってるから。で結局一番儲かるから。

司会
利確の考え方っていうか、手放す考え方みたいなのって、あるんですか?

五月
納得のいく水準にいったら(笑)

一同


司会
でもそれだけ長い間見てるからですかね。その流れというか買い始める前から・・・それは金額もそうだし、銘柄的にもそうだし。
温泉さんはその辺ありますか?利確の考え方。

温泉
考え方か~。特に設定はしてないんです。その値段で売るっていうのはあまり考えてなくて。だからバリュエーション的に割高になった時。あと、業績が伸びが止まった時。拡大してたやつが、「あれっ?」ってなった時には売りに走りますね。売れるものであれば。

司会
流動性を見ながらって感じですかね。割高になったとか、伸びが止まったってことは、買ってる前提が変わっちゃたってことになりますんもんね。

温泉
はい。

司会
なるほど。山田さんは利確の考え方ありますか?

山田
僕はまぁ、ある程度上がったらかな・・・いい所で売れる自信があんま無いので、1.5倍とか2倍くらいになったら。もちろん買うときはちゃんと根拠を持って買うんだけど、1.5倍から2倍くらいになったらある程度ちょこっとずつ売っていってもいいんじゃないかなっていう感じで、ポジションちょっと減らして。

市況が明らかに激変するって時はさらにポジション減らしたりするけど、それ以外の時は基本的にはあんまり増やしたり減らしたりはしないです。

司会
なるほど。

2012年の話 K氏、ジョウダン銘柄が話題に

司会
今年・・・2012年の話かで何か特筆すべき点はありますか?

五月
今年はやっぱりK氏銘柄かなぁ・・・。

司会
あ~K氏銘柄。

五月
うん。あれで結構ショートしてたんですけど、一時期相当含み損になって。

司会
そうですよね。結構勢い有りましたもんね。

五月
最終的には勝てたんですけど、あれは、久しぶりにすごいもんを見たなっていう・・・ゾッとした。ホントに1,300円の手前まで持ってったから。
今時こんなことができるんだなっていうね。

司会
有言実行でしたよね

五月
感心しました。あとは、ジョウダン銘柄ですね。

司会
ヤフー掲示板で猛威を振るったあの人ですね。

五月
今年はホントに、小型株に今までやってなかった人も参入してきてる感じがあって。
これからの話みたいなことにも関わってくるんですけど。もしかすると・・・今、クライマックス的な?ところにいるんじゃないかなって言う気が。

今後の話1 トレーディング相場が来る?

山田
幸せモード?

ぱり
俺も、すごくそれは思ってて。
パイが広がってない状況でファンダスイングやってる人間がすごく増えてるから・・・多分ね。

五月
そこしか儲かってないよね。

山田
最後のオアシスが枯れちゃう・・・。

ぱり
一番最後に来る奴って一番へたくそなわけじゃん。
そいつらがこう入ってきちゃったら・・・。

司会
それで儲かんなくなったら、終わりですもんね。

山田
これで儲からなくなったら何すればいいんだっていう。

ぱり
でもね、もう一つ俺あると思ってて。
最初は2000年の前半くらいとかはPER30倍とか普通にあったじゃない。そん時ってファンダスイングってあんまおいしくなかったわけじゃない。

だから、このファンダスイングが終わるときっていうのは、いわゆる小型株とかがPER20倍、30倍ってなってから終わるんじゃねーかなーとか、そういう淡い期待も若干あるんだけどね。

小型株が全部PER20倍とかになったら、俺達のやってるファンダスイングなんてもう成立しないじゃない。

五月
うん。

ぱり
またデイトレが儲かるなんていうのがあるって事?

ぱり
この小型スイングが終わったらトレーディング相場が始まると思う。

山田
アルゴは無視できるのかな・・・

ぱり
そうだね・・・そこでアルゴがどうなるかやなぁ。

五月
でも結局、今までの常識のゾーンの上の方で利食いなりショートなりをする勢力っていうのがやっぱ必ずいるわけで、それを打ち破る力が必要なわけでしょ。
ということは、全然今までやってない人達のお金が入ってこなきゃいけないので、まぁ・・・。

ぱり
でも、そのお金って例えば機関投資家が小型株買えないとかあったじゃない。
その機関投資家が小型株を買いだして、そこの壁が突破できるみたいなことはないかな。

五月
まぁ、一部ねジェイアイエヌとかMonoataROとかそういう銘柄ありますけど。
あれもっともっと広がっていくといいよね。

ぱり
あの流れがもっともっと続いてきて、そのPER拡大局面きたら、先行者利益として俺達スーパー儲かるんじゃない?

五月
まぁ、実際に機関投資家が入ってくれそうな銘柄を・・・っていうのも一つのポイントになってくるっていうことですかね。

山田
もし切り替わるとしたら、ファンダメンタルの分析に比重を置いた売買よりも、その市況判断に比重を置いて、プラス分析判断ぐらいな感じで、市況によってポジションサイズを上下させてくみたいなの結構儲かるかもしれない。
なんか二泊三日とか一週間とかで、行くみたいな・・・。

2004年とかもそういう人いたけど。ファンダを徹底的に分析して永久ホールドしますっていう感じじゃなくて、ファンダをある程度加味した1週間スイングみたいな。

ぱり
なんかね、このターンが終わるときっていうのは普通のトレーディング相場になるんじゃないかなーみたいな・・・今さ、タカラバイオが凄い上がってるじゃない?あんな感じになるんじゃないかと思う。タカラバイオ株とかもう、ファンダもクソもないじゃない。
ああいうのが全体的に広がるみたいな。

山田
マネーゲームみたいな?

ぱり
そう。トレーディング相場になって、終わり。
それで、1周回るんじゃない?

温泉
あと、M&Aはあるよね。

一同
あ~。

温泉
そこはチャンスだと思ってるけど・・・

山田
買収狙いの売買が上手くいくかもしれないね。

司会
確かに。ビジネス的には残存者利益の構造がどんどん広がっていくから。

山田
色んなアンテナを張って、儲かる所を常に研究しましょうみたいな。

ゾーマ
今後は・・・少なくとも、凄い低金利の中、日本国債でも1%を下回ってる中でも日経のPERは10数倍だから・・・。やっぱり、株は今見ると非常に割安なんだよね。

先程のファンダの話を加味すると、割安な株価はどっかのタイミングで是正されるのかな・・・。
金利が上昇するか株価が上昇するか、どっちかで収束はされるんじゃないかなって。

山田
今、時価総額より現金の方が多いとかいっぱいあるから・・・
それ考えるとおかしい話なんだよな。

司会
そういう「ねじれ」は是正されていくという・・・

ぱり
だからそのね、ファンダスイングがPER全銘柄20倍、30倍とかになって是正されるみたいなシナリオは一番いいんだけど、どうなんだろな~

司会
それだと、みんな「幸せ~」になっちゃう・・・

ゾーマ
案外国債が下がって金利が上昇して、そこそこ株価と金利が均衡をするっていうこともあるのかなぁ。

温泉
そうなって欲しいっていうか、それが経済的にも一番安定するよね。

ゾーマ
そうだね。日本的にも世界経済的にも。

司会
温泉さん、今後のなんか展望みたいなのありますか?

温泉
資金がどこに流れていくかってのを考えてないといけないかなと。

ぱり
それが一番大事だよね。

温泉
そう。生き残っていく会社とか業種にやっぱ資金も集中するし。
株に限らず幅広い視点で考えて、どういう所に資金が流れ込むのかって常にアンテナ張ってれば、勝てるんじゃないかなって。

司会
山田さんは今後の展望ありますか?

山田
ほんと、わからんからねぇ、未来のことは。
わからんけどまぁ・・・今温泉さんが言ってたみたいに、常にアンテナを広げて色んな所にとりあえず手を出してみる・・・。
リスクをめちゃくちゃ取りすぎずに、色んな所に手を広げてみるのも大事だと思う。

それで、前に五月さんのラジオでも言ってたけど、日本の製造業みたいに完全に駄目になってからワーッと騒ぐんじゃなくて、儲かってるうちから色んなことを探しておくのが大事。
自分のスタイルを変化させてくのがすごい重要。

司会
なるほど。

今後の話2 市場の最適化が終わりつつある

司会
最後、五月さんに今後の展望を。

五月
今年の・・・まだ終わってないんですけど、印象っていうの考えたときにすごい内需の株がガーっと上がった一方で、電機とか素材とかがメタメタになって、指数としてそんな変わってないんだけど。あと小型もすごい・・・っていう、メリハリがかなりついた。今までになくついた年だったなという印象があって。

結局、本来あるべき位置に色んなものがすごく今年近づいた気がするんですよ。
で、僕らっていうのはもともとその歪みを取りに行ってたはずが、マーケットが理想の形に今年すごい近づいちゃって。この後、何をすべきかっていうのが見えづらくなってる。

で、僕の感覚で言うとやっぱリーマンショックの時って、もう株価は一旦ゼロにリセットされて、そっから4年掛けて今のそれぞれのものが組み立てられてきたと。
そこはおいしかったと思うんですよ。非常に簡単で。それが4年経って正常化して。

で、これからってなるとやっぱ今までと違うものがやり方として必要になってくる気がしてて。

だからすごく柔軟に。もしかすると、今後株式のリターンていうのも下がることも想定しながらやった方がいいんじゃないかなっていう・・・。

で、ちょっと来年に関しては僕はアクセルを緩めてもいいんじゃないかなって言う気がしてますね。

司会
市場が最適化に向かっているからこそ、値幅がとりずらくなってきたっていう・・・。

ぱり
最適化が終わりつつあると。

五月
おいしいところは、終わった。

温泉
それがまた歪む過程とかに。
QE・・・まぁ無限の構造ですよ。

五月
歪ませるってことですよ。

温泉
金融緩和ってぶっちゃけ歪ませてるんですよね。
中国が緩和したときもアメリカの緩和も全て歪ませてるんですよ。
その歪みが修正する過程にいけば・・・

五月
そう。それを読むってのはすごく難しいことで。
安いから買うとかじゃなくて、もうまさに空中戦がこれから展開されると。
そこに、自分達が全力で身を投じる必要があるかっていうところから問うべきですよね。

ぱり
だからその今までの歪みがほぐれてきた過程で、そのここからは歪んでいく過程をいかなきゃいけないから、今までと違う考えで、違うロジックで。
正義を行っちゃだめなのね。これから狂っていかないとだめなの。

山田
そういうことか~

ぱり
これからは間違っていかないといけないの。

山田
間違ってるのを知ってて、乗れるかっていう・・・

温泉
そういう方向にいく可能性がある。

ぱり
「自分は間違ったことをやるんだ」って自覚を持って間違えないと駄目だっていう・・・

山田
2004年か2005年みたいな。

温泉
そうそうそう。パプルが歪みですから。
その歪みに乗っかれるかどうかっていう。

ぱり
今までの直近の正しさは、間違いになっていくから。
そこに対応できるかどうか。

山田
じゃ、正しさを証明し続けるとやられる可能性がある・・・

ぱり
違うよ、「間違ってることが正しい(儲かる)」ということを証明していく。

司会
まぁ、そうですね。

五月
難解になってる気がします。

温泉
こういうのを嗅ぎ分けてすぐに対応できるかどうかがポイントですね。

ぱり
ルールは変わるからね。

投資で損する人、しない人1 努力、失敗の受容と進化

司会
では一旦、昔の話と今後の話はここまでにして・・・
「投資で損する人、しない人」というテーマに移りたいと思います。
これはもう、思うままに言っていただければ。
パリさんいかがですか?

ぱり
いや、これはね、多分俺が一番毒吐くので・・・

司会
じゃ、最後で(笑)。温泉さんお願いします。

温泉
えっ、僕ですか?そうですね・・・
投資って、かけた時間なり経験なりが跳ね返ってくると思うんです。ちゃんと。
だから、一番重要だと思うのは、諦めないことだよね。
失敗・・・多分みんな必ず失敗してるんで、ここに居る人みんな失敗してるはずなんですよ。その失敗を糧にして、常に進化してく。

司会
損する人は、時間かけない、努力しない人・・・

温泉
そうですね、その逆が。
自分の考えに固執しちゃう人、変えられない人。躍らされたまんま終わる人。

投資で損する人、しない人2 投資スタイルは自分で考えて構築

司会
素晴らしい。ではゾーマさん。

ゾーマ
そうですね。私的にはやっぱり「考える」ってことが一番重要ですね。
自分のこれまでの経験は、ルールが変わればもう通用しなくなる。
じゃあ、ルールが変わったらどうすればいいのか・・・元々答えっていうのはないから、自分で考えないといけない。そうすると投資で損をする人は必然で、「教えてクン」なんですよ。自分で考えない人。

基本的には自分で考えてやる。
あとはまぁ、考え方がズレてるとか・・・それはもうどっかでみんな、私も含めてズレるんですよ。なのでどれだけそのズレを振り返られるか、是正ができるか。
そこが結構重要だなと思いますね。

あと、基本的に勝ってる人はみんな同じスタイルではない、様々なスタイルで勝ってるわけで・・・投資は「こうすれば勝てる」みたいな汎用的なルールではなく、もうその人独自のやり方がある。そういったものをどれだけ磨いていく・・・磨きつつ、検証するっていうのがいいのかな。

投資で損する人、しない人3 内面と向き合う

司会
では次、山田さんお願いします。

山田
楽して儲けたい・・・まぁ誰しもやっぱり努力に対して最大効率で儲けたいっていう部分はあると思うんだけど、その「楽したい」っていう所がメインに来ちゃうと・・・。
やっぱりそんな楽して儲かるわけではないので。
なまけたい方向にいっちゃう人は損するかなと。まぁ、どの業界でもそうだよね。

司会
そうですよね。仕事でもダメだし。

山田
成功しないと思うし。あと、その失敗の原因を自分の中に探しに行けない人。

司会
外のせいにしちゃう人。

山田
そう、外の。アメリカが下がったからダメだったとか、こいつの本に書いてあった事がダメとか、こいつの言う事信じたからダメだったとかじゃなくて。
どうして失敗したのか。敗因を一生懸命考えて、自分の中に探しに行く。しっかり反芻して、次に生かすっていうか。

1回失敗して次から、「じゃ、こうする」ってのは中々できないんだけど、5回も6回も7回も同じことをやってるのはまずいよね。
2回か3回失敗したらやっぱり自分を変えていかないといけない。 他にも色々要素はいっぱいあるけど、一番根本にくるのはそこかな。って気はします 。

司会
ここにいる人達ってすごい儲かってはいるけど、多分、人の何十倍も苦しい思いしてますよね。
失敗なんて1度や2度じゃなくて・・・。資産の90%失ったとか、資産半分になったとか、追証電話に悩まされたりとか。
自分を全否定されて、苦しみながら方向転換をしたり責任を取ったりして、苦難を乗り越えて今があるわけですもんね。

一同
そうそう。

投資で損する人、しない人4 株に対する情熱の"熱量"

司会
じゃ五月さんお願いします。

五月
やっぱり、結局はどれだけ「株キチガイ」になれるか・・・ですよね。

一同


五月
株を愛しているかっていうところだと思うんですよ。だから、株が好きで好きでしょうがないっていう風に続けてる人は成功しやすいと思うし。お金を稼ぎたいとか、あるいは普通に働きたくないみたいな理由から・・・そこを起点にしてる人っていうのは専業をやるには向いてないと思うんですよね。特に。

そういうのをモチベーションにしてやるのもいいと思うんですけど・・・ただ最終的には、自分の相場に対する情熱の熱量っていうものに全部関わってくると思うんです。
だから、その対極にあるのが僕はETFの投資家だと思うんですよね。

ぱり
あ~いいですね。

五月
あの人達っていうのは、何の愛情もなくって淡々と毎月お金を入れてて、「ま、いつか儲かるでしょ」みたいな。そういうスタンスですね。で、その対極に専業がある。
やっぱりそこはリターンも全然違ってくるわけじゃないですか。
そういう所で、自分が・・・一番反対側に専業があって、その対極にETFがあるとすると、自分のマーケットに対する熱量がどの位置にあるのかっていうところを考えて、そこに最適化した投資のスタンスっていうのを取っていくっていうのが大事なのかなっていう気がしますね。やっぱそこは変えらんないと思うんですよ。

人によって何が大事かは違うから。
株で儲けるために株に時間を注ぎ続ける人生がいいっていうことは全然思ってないし。
だから、それは趣味とか生活の問題なんで。
やっぱ受け入れなきゃいけないものでもあるという気はします。

司会
やれること以上を期待しすぎると、ダメっていうかしっぺ返しが来ると

五月
そんな感じだと思います。

投資で損する人、しない人5 「株は宇宙」

司会
じゃ最後、大御所。

一同


ぱり
あのね、俺普段からずっと思ってるのは、株って宇宙だと思ってるんですよ。

一同
爆笑

ぱり
株って宇宙で、この世の全てを内包してるのよ。この世のありとあらゆる物を内包してるの。

五月
でっけぇ話きた!

一同


ぱり
で、個々人はそれぞれ別な訳じゃん。個々人はそれぞれ個性みたいなものがあって、性格も違えばとれるリスクも全然違う。その自分の中のエッジの部分って何かしら一つあると思うのよ。例えば、臆病であることもエッジであるだろうし、分析するのが大好きというのもエッジであるだろうし、未来を予想するのが好きだっていうのもエッジであるだろうし、状況をこう・・・俯瞰的に見れるっていうのがエッジであるとか、色んなエッジがあると思うのよ。
で、株は宇宙だから、それら全てを内包してるから、自分のそのエッジの部分を株に投影できるのよ。株はそれを引き受けてくれるのよ。

自分のエッジの部分をどう株に反映させるか。自分の「人より優れてる部分」をどうすれば株に投影してそれを収益に繋げられるかっていうのを真剣に考える。
でも、ただ一つそれだけでやっていくっていうのも絶対にダメで。それができるようになったら、成功体験を次に生かしていく。あっ、自分はこういうことをやって、こういう風にやってこれで成功したと。じゃ、他の事やっても同じようにやれば成功できるじゃないかっていうのをね。株の世界は全てを内包してるから、ここの銀河を征服したら次のこっちの銀河をいこうみたいな。
そうやって、宇宙全体の銀河を征服していこうっていう。そういうね、壮大な・・・スペースオペラなんですよ。

一同
爆笑

山田
木の枝とか根っこみたいにね、最初は2本、3本しかないんだけど・・・どんどん細かい枝をこういっぱい生やして。

司会
木と宇宙が出てきたよ!

山田
でも、今の話聞いてもね、わかんない。

司会
わかんない。

五月
いや、わかる人はわかる(笑)

ぱり
あのね、ある程度の・・・ある程度以上いかないと・・・。

五月
そこは読者を信頼しようよ。

ぱり
だから、そこら辺は山田さんとか五月ちゃんの伝わりやすい話で掴んでもらって。俺はもう、わかんない人がいるかもしれないけど・・・みたいな感じで。

司会
エッジの利いたところはみんな持ってるけど、きちんと投影できない人は損しちゃうよと。

ぱり
そのね、自分の中・・誰かの真似ばっかりしててもダメなのよね。
結局ね、ここにいる人間全員ね、自分の中のエッジ生かしてるもん。
だから自分の中のエッジがどこにあって、それをどうすれば応用できるかっていうのを考えていかないと。

温泉
みんなシナリオを予想して、それに対してどう投資をしてって・・・。

ぱり
全員三歩先を読んでるもんね。

温泉
そう。読んでて、それに対して自分のポートフォリオを変えていける、そういう人ってやっぱ勝てる。
イメージ、シナリオが描けなければ・・・儲かりはしない。

司会
シナリオが無いとギャンブルしてるだけですもんね。

ぱり
後、俺自分が常に一番正しいって思ってないと駄目だと思ってる。
自分が常に正しいと思ってなければ、自分の間違った判断を即、訂正できないのよね。
自分は今間違ってるってわかった瞬間に自分が常に正しいっていう立場に立っていなければ、訂正できないのよ。
誰かが正しいとか、誰かの意見に左右されたりしてたら、そこでね、光の速さで判断を訂正できないから。
投資の世界だとそこで命取りになっちゃうから。

山田
でも、それさ・・・ちょっと勘違いされかねないよね。

温泉
そうだね。

山田
ある程度経験とかがあればね・・・その話はもっともなんだけど、まだ株始めたばかりの人とか、大損したことない人が勘違いすると、ちょっと危険ではある。

ぱり
あーそうだね。ある程度のレベルに達してからじゃないと・・・。

一同
そうそう。

温泉
そういう時は変える。間違った時には変える。スパッと変えられるって意味だよね。

ぱり
そうだね。

山田
難しいとこだよね。誤解されちゃうと怖い。

温泉
変えるためにはやっぱ自分の意見すごく必要だから。それを持ってなきゃ、変えられない。

ぱり
なんというか、自分の意見があればこそ、その訂正や修正がきちんとできるような・・・。
基準がガッツリあって、その基準を目安にして訂正や修正があるわけで。

司会
投資に限った話じゃなくて、変化を続けるとか。

山田
投資は宇宙だから。

司会
内包してるから。

ゾーマ
ほんとにやっぱり投資の、個人投資家たちの世界も生態系そのものだなと。
やっぱり、自然界に適応をしない生物は滅んじゃうんですよね。

ゾーマ
どんなにもう優れた理論なりを展開していても、それに固執をしていると損してしまう。そういう意味では宇宙ってのはすばらしい例えだよね(笑)

一同


山田
常に膨張していると・・・。

ぱり
そうそうそう。

温泉
膨張し続ける資本主義と一緒。

投資で損する人、しない人6 リソース配分

ぱり
あとやっぱりね、過剰にならなきゃダメだと思う。

山田
っていうと?

ぱり
よくさ、「中庸であることが正しい」と・・・

山田
あ~そういうことか。

ぱり
なんか、世間的には中庸が正しいみたいな風になってるじゃん。俺はね、それは違うと思うの。過剰でなきゃダメだと思うの。
中庸っていうのはね、死にかけの年寄りが有難がる念仏みたいなもんで。もし株で勝ちたい、成功したいっていうんであれば、とことん自分を過剰に持っていく。
どこまで自分を過剰に、こう・・・なんつーかな。ドラえもんの秘密道具で顔とか運動能力とかこう・・・入れ替えられるの覚えてる?※
いいとこ選択肢ボード

山田
わかんない。

ぱり
この例えアカンな・・・(笑)
今言いたかったのは、五月ちゃんがよく言う「リソースを全部株に持っていけるかどうか」ってこと。過剰に、極端に。

五月
ステータスは99が最高なんですよ。で、社交性を30にしたら、株は69しかとれないから、終了って・・・(笑)

山田
打率は2割8分でホームラン10本で、打点40で、盗塁10みたいな選手じゃなくて・・・打率0割でホームラン0で打点0で、盗塁100みたいな。

温泉
変人だね。

一同


山田
送りバントだったら絶対できるよ!みたいな。

温泉
投資で成功してきた人はだいたい変人なんだよね。

山田
一般の社会に行くともうオカシイ人扱いだから。
こいつおかしい奴やった、みたいな。

ぱり
だからね、そこでね、世間との整合性なんかどうでもよくて。
専業だからだろうけど。

山田
そうなんだろうな~

ぱり
そんなねぇ、人からよく見られようと思うことにリソースを振り分けるんであれば、株うまくなれよっていうのはある。

司会
ぱりさん、「株が上手くなりたい!」っ言いながらて自転車こいでたって・・・

ぱり
そうそう。

五月
まぁでも、専業としてやってくならそれくらいの覚悟が要りますよね。
兼業の人はそこから徐々に落としてく?自分の情熱を計って。

ぱり
俺ずっと10年近く株やってるけど、ぬるい奴から消えていくんだよね。
「あ~こいつぬるいな」と思ったらやっぱ消えてる。

五月
でも、ぬるくても、ぬるさに甘んじたやり方をすれば、平和にちょっとずつ稼げる。
自分のぬるさに対して、リターンはここまでだなっていう風に、身の丈に合った投資をやっていけば、着実に儲かるじゃないですか。兼業は僕はそうあるべきだと思う。

ぱり
兼業はそうだね。
専業ってさ、日本一株上手くなりたいっていう気持ちが無い奴はなっちゃダメですよ。

温泉
ごめんなさい。

一同


ぱり
でも、一時期あったでしょ?

温泉
そりゃもう、もちろん!
当然ですよ。

ぱり
あるでしょ?もちろん。今あるなし別で・・・

山田
熱意があれば高い壁も乗り越えられますって事だよね。

投資で損する人、しない人7 現状維持だと負ける

五月
あと現状維持するにもエネルギー消費しますからね。

一同
そうなんだよ!

山田
上を目指してやっと現状維持なんだよね。最初から「俺は現状維持でいいんだ」っていうのはどんどん落ちてくんだよね。

ぱり
そうそうそう。

山田
上を目指して、もがいてもがいてやっと現状維持だからさ。
「俺はこれでいいんだ」とかって思いだすと、そっからどんどん下に落ちていくんだよね。

五月
常に下手になる重力がかかってる。

温泉
怖いよね・・・

山田
みんな頑張って進化してるから、やらないと相対的に落ちてくっていう。

ぱり
だって、市場を取り巻く状況どんどん複雑になってってるしさ。
昔と今の・・・ここに居る人間全員さ、2000年の前半とかに行ったらスーパースターなれるよ。

一同
そうだね。

五月
だからスポーツにすごい似てますよね。30年前のオリンピックの金メダリストが今出てきたら予選落ちでしょ?全く同じことだと思う。

ぱり
30年前のオリンピックだったら日本人でもねぇ。
100メートル走とかならメダルも取れたりするだろうから。

五月
まだ、10秒切ってないですしね。

プロ投資家に聞いてみた1 兼業で勝てるのか?

司会
兼業投資家に向けて何かメッセージとかありますか?

山田
さっきの五月さんの話にもあったけど、一番大事なのは本業だから。株で頑張ってリストラされてたら、終了だね。

仕事は仕事で頑張って、限られた10%か30%の、精神的な余力の中で投資を頑張る。
僕は兼業でも2~3年勝って来たし、勝てるようなやり方はたくさんあると思う。

温泉
何か1つの、例えば業種なり分野なりのスペシャリストになるってのもありだよね。
兼業で時間が限られるんであれば、○○の業種に絞って、そこだけ徹底的に。

「そこだけは負けない」ってところまで持っていく。広げれば広げるほどやっぱりエッジが利かなくなっちゃうから。絞るとそこだけは勝てる。可能性があると思う。

山田
兼業が一番・・・なんか、安全だと思う。

五月
あと、シチュエーションを絞るとかだよね。暴落だけとか。

一同
そうだね。

五月
やっぱ、機関投資家の一番キツイとこって、常に勝ってないといけないっていうか、圧力がかかってて。そういうのが無いっていうね、自由度の高さも時として考えて・・・。
いざとなれば「1年株で儲かんなくてもいいぜ」っていう開き直りができるのは兼業だけだから。

温泉
かっこいいね。

山田
生活費でお金が減らないっていうのはデカい。

ゾーマ
確かに。兼業でもやり方によっては勝てるよね。

ぱり
そうや、ゾーマはこの中で唯一の兼業やん。

山田
あ、でもあんまり兼業のスタイルじゃない(笑)

一同


司会
合理化しきった兼業だから(笑)

ゾーマ
先物とかオプションとか・・・自分に合ったスタイルを見つけて。あとはもう、勝つ方法というのは自分で考えないとダメだよというのはあるよね。

山田
みんな同じ人間なんだから。

司会
人間論にまで発展しちゃった!

ゾーマ
宇宙・・・だからね、やっぱり!

山田
だって同じ人間なんだからさ、ねぇ?同じ人間が勝ってんだからさぁ・・・。

ゾーマ
宇宙の法則自体が、やっぱりもう共有化されてるから(笑)

ぱり
結局、最後はそこいくって!

ゾーマ
宇宙の法則は超えられないけど、その下位層の個々の法則はあるでしょうと。
そこはもう専業も兼業も千差万別で。頑張りましょう。

プロ投資家に聞いてみた2 投資しない人は損している?

温泉
投資しない人って損してる。

一同
あ~

山田
見た目は損してないんだけどね。

ぱり
「リスクをとらないリスク」っていうのが絶対にあるから。
この中でもさ、株やってなかったら・・・俺とかホントどうなったかわかったもんじゃないしさ。

山田
それはそうだ。

ぱり
だから、株のおかげで今があるわけで・・・。
やっぱりね、チャンスなんだよ。投資ってのは。

司会
投資しないと、常に消費し続けてるばっかりですからね。

温泉
で、その消費ってのが巡りに巡って、結果的に言えば投資家の利益の源泉になってるっていう。
割高でM&Aする、買収するっていう話も、そのサービスを利用した人が負担してるわけで。その利益が上乗せされてるわけだからさ。だから投資をしてないってことは、消費だけしてれば相対的に損してる。っていう事はありますよね。
あと、これだけ投資にアクセスしてやっていく環境があるんだから・・・やっぱ投資しないってのは、もったいない。

山田
特に若い人はもったいない。

一同
そうですね。

温泉
チャンスはいくらでも転がってる。
しかも無限にあるし。

司会
最初の方で温泉さんが言ってたんですけど、少額であればあるほど取り返しがききますからね。リスクは小さいけどリターンはデカい。

山田
ほんとさ、40年間会社勤めて、退職金出て、そっから株始め大損したら・・・救いようがないからね。それだったら50万、100万で若いうちから始めて失敗した方がどんだけ取り返せるかって。

五月
僕は、株を始める前っていうのは、マーケットっていうのはもっと神聖な場所で、一部の頭のいい人達だけに立ち入ることが許された、「特別な世界」だっていう風に思ってたんですよ。でも実際7年もやってみると、如何に相場とその関係者が愚かで、無能で、矛盾なことばっかりやってるのかってのをホント毎日、身に染みて感じてるので。

株知らない人に「株やって生活してるんですよ」って言うと、もうなんか脊髄反射的に「難しそうだ」とか、「頭良くないとできなさそう」みたいな反応するけど、世間一般的な先入観に支配されてるっていうのが、僕はすごい損だと思うんですよ。

だから、そういうのを持たずに・・・。
マーケットっていうのは誰にでも扉が開いてる。しかも面白い。っていう所に純粋に興味持ってもらいたい。

ぱり
マーケットは王様ではなく、裸であると。

五月
うん?

司会
よくわかんない(笑)

山田
今、よくわからなかった(笑)

ぱり
マーケットは王様ではなく・・・はだ・・・?違う、王様・・・」

山田
裸の王様だって言いたいんじゃない?

ぱり
あ、これ、王様の耳はロバの耳とごっちゃになってんのか?

山田
なんか、よくわからない(笑)

最後に あなたの予想をリターンに変えられる

五月
なんかほら、今、相場やりましょうって言うとすぐ「長期投資」だとか、「社会貢献」だとか、そういうこと言い出すじゃん。僕要らないと思うんですよ。
純粋に、面白いか面白くないかだけで入ってもらいたい。

ぱり
単純に、未来がどうなるかっていうのについて、それぞれの考えがあるわけで。
自分がこうなるという未来を予想して、その予想した未来が実現した時にどうすれば儲かるかみたいな?ただの予想。

五月
予想をリターンに変えられるのって、マーケットしか無いんだよね。

ぱり
そうそうそう。

ゾーマ
基本的に予想・・・この未来なり、マーケットなりが「こういう風になります」って、評論家とかアナリストが言ってますけど、基本的には信じてないよね?

ぱり
あんなのインチキペテンアナ公ですから。

一同


ゾーマ
それを、実際に実験して証明をするっていう行為自体がすごいチャンスなんだよね。

山田
昔、適時開示って、東証までいかないと見れなかったんだよね?

五月
あの、レターボックスみたいなやつでしょ?

山田
そう。だから今インターネットでやれるし、手数料も安いし。

ぱり
基本的にはプロと同じ土俵で勝負できるからね。

山田
そうそうそう。

温泉
アクセスしやすいですからね。情報は開かれてる。

山田
ちょっと前・・・ほんの3年前くらいだってね、東証端末があってさ、機関投資家は2秒か3秒前に先に株価見えたわけだし・・・成り行きか指値かとかも見えたわけだし。そういうのがなくなって来てる。

五月
僕ら大学にいってさ、如何にマーケットがアホかっていう実例をやりながら、こう・・・面白いんだよっていうのを布教する活動でもするか(笑)

司会
特別講義で。

五月
そう。

山田
そうだね。

ぱり
理屈で物事決まらないからね。
理屈だけで物事決まってたらみんなお金持ちになっちゃうからね。

温泉
若い人にホントに金融に触れて欲しいっていう・・・
早い段階から。

五月
もっとマーケットに興味持って欲しいですね。

司会
まだまだ話は尽きませんが、この辺で一区切りということで・・・。
長時間お付き合い頂きありがとうございました。



対談収録日:2012年11月4日

【参加者プロフィール(五十音順)】

温泉三昧

神奈川県在住。 2003年12月株式投資を開始。 2005年7月 340万を元手に 専業トレード生活に。 2007年までは日本株の短期売買でしたが、 今は国内外の株式、ゴールドなど、長期投資メインで安定運用を目指しています。

温泉三昧の投資ブログ
http://blog.livedoor.jp/onsen_zanmai/


五月

個人投資家。日経ヴェリタスとかZAiとかに出たりもしたそうです。サークル「東証Project」代表。絵の描けない原作、企画担当として同人活動もやってます。協力絵師さん、デザイナーさん等募集中。

東証プロジェクト
http://blog.livedoor.jp/love_aeria/


ゾーマ

あらゆる物事を計量化することにこだわりと興味を持つ、兼業投資家。

2000年:20万から投資を始める。
2008年:計算間違いで大損する。
2010年:復活する。
2011年:因業により大損する。
2012年:復活する。 ←いまココ
201×年:未熟さ故に大損する。(以下ループ)

投資対象は株、オプション、コモディティ、債券など金融商品として手が出せる物ほぼ全部。主なトレードスタイルはシステムトレード、イベントドリブン。

プロレタリアートによる剰余価値の配分
http://plaza.rakuten.co.jp/martingale/


ぱりてきさす

テクニカルとファンダメンタルのおいしいとこ取りを狙うジャッジメンタル派。デイトレ、スイング、イベントドリブンなんでもやります。「勝つことは勝ち続けること」が信条。

ぱりてきさすのデイトレード日記
http://paris-texas.seesaa.net/


山田

1999年12月元金150万円で株式投資デビュー。初めて買った株は全日空と山水電気(笑)。2001~2004年まではスイングでコツコツ。2004年夏からデイトレを勉強し始め、2005年秋に専業トレーダーに。2009~10年頃からまたスイングを研究中。 ストレス解消法は美味しい物を食べることと体を動かすこと、12時間以上寝ること(笑) 06年9月、08年12月、09年9月号のYenSPA!(扶桑社)に掲載されました。

山田のトレード・メモ
http://ymdtrade.blog.fc2.com/


司会

本アプリの企画、開発者。
各種お問い合わせはメールにてお願いいたします。
※メールアドレスは個人情報につき、記載削除しております。


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