アニバーサリーDVDをみた!

奇しくも同じ状況でのアニバーサリーライブ

奇しくも、40th Anniversary Yearだったふたりのアーティストが、揃ってその公演のDVDをリリースした。デビュー時から聴いていたふたりなので興味もあり、視聴。ここ最近、ふたりともライブでの動員数が懸念されている。さらに、コロナ禍で様々な制限の中、ふたりがどの様なパフォーマンスを繰り広げるか、期待半分、不安半分で観た。

ひとりはCityPopが取り沙汰されていた当時、デビューした「角松敏生」
もうひとりはロックのビートに乗せた歌詞が印象的な「佐野元春」

まず、観る前に自分に対してNG項目を決めることにした。
●ノスタルジーを感じない事。
●ひいき目無し、肩入れ無しに観る事。
●無駄にはしゃがない(笑)とにかく客観的に。

あと、一点。

ふたりとも40周年と言うことで、彼らが若い時とはメンバーも変わっている。過去の特定のミュージシャンでは無く、現在のメンバーをベストとする事。
昔のメンバーが見たかった…アーティストが一番忌み嫌う事だからである。

FM TOKYOサンデーソングブック 2014年01月26日『極私的、青山純追悼特集Part2』での山下達郎氏のコメントに共感した為、少しの間お付き合いを。
《山下達郎氏のコメント》
何度か、演奏メンバーを替えて参りました。その度にですね、先週もちょっと申し上げましたが、スタッフにも反対されましたし、以前の方が良かったと保守的なお客さんも大勢いらっしゃいました。

現在ではですね、押しも押されぬトップドラマーであります青山純(2013年死去)という人ですら、彼を私が起用した当初はですね、スタッフや聴衆から、なぜそんな無名のミュージシャンを使うのかと反対されたり・・・攻撃されたりもしました。

お客さんの中には、文句を言ってですね、それ以来来なくなるという方もいらっしゃいました。

同じような事が何度か繰り返されて現在に至っております。

今も、そうした情勢が、あまり変わりありません。

ボブ・ディランの『ノー・ディレクション・ホーム』(2005年、ボブ・ディラン初の本格的な自伝的長編ドキュメンタリー。音楽ドキュメンタリーの名手、マーティン・スコセッシ監督が10時間にわたるディランへのインタビューに成功、その人生と音楽についてディラン自らの言葉で語られていく。)映画を観るまでもなくですね、芸事に対してのお客さんの保守性というのは、大昔から存在しました。

それは、まあ、芸事というのは、観る側にとっては自分の歴史の投影、自分史ですね、自分史の投影、自分史の対象化、そうした結果であります。

歌舞伎とか伝統芸能、落語なんかの世界ですとですね、必ず先代は良かった、と。
お前の芸なんて、先代に比べれば・・・という

そういう昔はよかったというですね・・・
まさに自分史の反映としての芸事の評価というのが、昔からございます。

ですが、古い世代というのは新しい世代に対する寛容さというのを常に持っていなければならないと、僕は常に考えております。

若い世代がですね、いつの時代も続々と生まれて来ます。

我々古い世代は、それらの若い新しい才能を見出して、抜擢し、助けて、陽の当たる場所に引っ張り出してあげなければいけません。

しかるに、多くの業界人、それから耳の肥えた聴衆とか、お客さんですらもですね、自分に馴染みのある、自分たちにとっての、すなわち自分史の反映としてのですね、一流、有名ミュージシャン、そうしたブランドを金科玉条と崇めまして・・・

『昔はよかった』
『俺達の時代はよかった』
『それに引き換え、今の若いものは・・・』

しばしば、そういう事を口にします。

えぇ・・・私のライブに関しましても、ここ10年間青山君がいませんので「そんな青山純がいないライブなんて」という方がですね、少なからずおられるという・・

私、よーく承知しております。
別に、そういう方々にですね、再び来ていただこうとは思いませんがですね。

ただひとつはっきりさせて、おかなければならないことは、今まで私を手伝ってもらったドラマー、上原裕、村上秀一、そして青山純、そして現在のパートナーであります小笠原拓海という、皆優れて卓越したドラマーであります。

他にもスタジオやライブで縁のあった林立夫さん、高橋幸宏さん、知己ではないけれども最近ですと吉田佳史さんとか、玉田豊夢さんとか、素晴らしいドラマーが今も昔も沢山存在します!

彼ら一人一の誰もが、それぞれにプレイヤーとしての個性や特殊性というのを有しておりまして。

それらはもとよりですね、優劣の比較対象にはならないものであります。

したがってファンのひいき、あるいはひいきの引き倒し・・・
何度も申し上げております自分史の反映・・・
そうした次元でのですね、誰が誰より優れてるとか、劣っているとかいう、そうした無意味な評論家ごっごはもう、もとより私はなんの興味も持っておりません。

友達の死というのは、たいへんに悲しいし、残念な現実ですけれども。
それでも我々は生きていかなければならないし、音楽を続けていかなければなりません。

青山純の数多の名演というのはしっかり記録に残されております。
残されたものは、去っていった人々のですね、思いを受け継ぎながら音楽を続けていかなければならないと思っています。

このコメントを少しだけ声を荒げておっしゃっておりました。
頭も痛ければ、耳も痛い。自戒の意味を込めて…

前置きが長すぎる?ごもっとも!
さて、何を魅せてくれる、ふたりのベテランアーティスト!

佐野元春

先ずは佐野元春から観る事に。

初めの音が聴こえるまでの感じ。ワクワクするのは今も変わらない。
おっ!始まった!
オープニングからの数曲は懐かしい曲を演奏。以前のようなシャウトもアクションもない。コロナ禍の影響下と言う事が原因では無い。若い時と同じ様な表現をされたら逆に引いてしまう。ただ、声量の劣化は否めない。佐野元春の様なジャンルの音楽では、ちょっと致命的な気もする。
しかし!ハートビート、ロックンロールナイトは違った。声を無理やり張り上げもせず歌っていたのだが、これがとても心地良い。こんなに心に響くとは。円熟味とも違う。ロックを感じた。素晴らしいパフォーマンスだ!フルテンで、声を張り上げるだけがロックでは無い。さすが!
時代、時代での楽曲選曲もバランスが良い。ファンはそれぞれ自分の曲を持っている。彼の様にキャリアが長いアーティストにはそれがあり、出会った曲に思い入れがある。佐野はそれを知ってる。デビュー当時に出会った人。HoboKingで出会った人。コヨーテで出会った人。それぞれに思い入れの曲がある。全ての人を満足させる事は困難だけれど、この選曲なら間違いないだろう。佐野はファンの目線も汲み取れるアーティストだ。
さらにありがたい「サムデイ」「悲しきレイディオ」も演奏。コロナ禍の元、あおることも無く、それでもパッションは確かに。そんな進行だ。この人は本当に音楽的が好きなんだなと改めて思う。真摯に向かい合ってる姿勢が感じ取れる。時間が短く感じた。素敵なステージだった。

ダウンロード (20)

角松敏生

Anniversaryライブの前にアナウンスを聞いた。長いステージで6時間を予定しているそうな。こう言う気質は昔から。見上げたものだ。さてさて…第一部から。インストからのスタート。この人は器用だから…わかるけどね。一気に駆け抜けるセトリかと思ったら、インストですか?長丁場なので、これはこれでと。その後、ヴォーカル曲。中々いいねぇ。コッチダヨネ、待ってたのは。声も出てる。相変わらずAnniversaryでのビッグバンド。豪華だねぇ。約1時間。角松らしさが出ていた。

第二部。角松が挑戦しているエンターテインメント。何をどう表現するのか?
賛否両論だろうな。筆者は「否」(ファンの方ごめんなさい)
ライブ前のインタビューで「プロト(実験)」と言われてた事が気にかかる。プロであれば、完成形を見せるべきなのでは。しかも、横アリの様な大きな会場でやるものなのか?はなはだ疑問。
内容に少しだけ触れてみる。(メタバレ?)ストーリーがチンケ。設定すらチンケ。演者は熱のこもったパフォーマンス。これは否定しないし、出来ない。
でも、一体何を見せられてるのか?問題提起でもなければ、感動すらないハッピーエンド。これを2時間も見せられる。悪い事に角松の楽曲はいらない気がした。残念。残念。(言い訳ですが、あくまでも筆者の感想です。)

第3部。ようやくAnniversaryぽく、次々と耳馴染みのある曲、炸裂!
こうでなきゃ。しかしながら「淡々」と進行して行く。「淡々」と。
何かが足りない。わからないまま進んでいく。コロナ禍でやはり盛り上がらないのか?自制しているのか?それは佐野も一緒だ。本来なら1番盛り上がるべき「Girl in the Box」や「TakeYou to the Sky High」ですら盛り上がりに欠ける。更にいらない「サンリオキャラ」。
彼のAnniversary Liveのビッグバンド。
いつも疑問に思うのは筆者だけか?なんの必要性も感じた事がない。今回はテンポも若干遅くて、ちょっとスイングしちゃってる。違和感ばかり…

長い時間演れば良い訳ではないと言う良い例。半分位の時間、3時間ほどがベストではないのだろうか?不完全燃焼のライブだった。

ダウンロード (18)

ベテランアーティストならではの葛藤

ベテラン、大御所と形容詞がついてしまうことは、決してプラスにはなり得ない。そう言われる事で、世間から相手にされてないと言う意味もある。決してふたりがそうだと言ってはいないのだが。

また、同じ場所に留まる事は、後退している事と同じである。これも真理。だからといって無闇に挑戦する事がそれだとも言わない。角松の挑戦は認めるが、彼の器用さが器用貧乏になりはしないか、心配だ。

ポップス界において、音楽を作り上げるという点で「芸術」と敢えて言うのなら、他の芸術とくらべて、格段に若い時に世間に認められる。10代でも認知される。大体、30才までで代表作が制作される。となると、ふたりはもうすでに代表作があり、更に今まで以上のヒット作と言う物をつかむことは非常に困難であるはずだ。また、新規顧客を得ることも若い時に比べても難しくなる。では、ネガティブな事だけかと言うとそんな事はない。肉体的に枯れようとも、若い時と同じか、もしくはそれ以上のパッションを持つことだ!それにより、ファンは自分を確認できる。支持してきたアーティストが
出会った時と同じ、もしくはそれ以上の魂でもって歌う。シビレないわけがない!ファンは間違ってなかったと感じるはずだ。だからこそ、ベテランアーティストは自分をブラッシュアップし、走り続けるほかないのだ。
今回のライブはコロナ禍と言う外的要因により、制限付きで、思う様なライブではなかったと思う。さて、次回の新作、Liveに期待します!

※筆者は盲目のファンではありません。故に辛辣な感想も書きました。あしからず…
蛇足ですが、角松さん。レスポールはあなたの音楽にはいかがなものかと思います。

Live

Liveは生き物であり、同じアーティストであっても、良い時も、悪い時も、感動する時も、そうでない時も有るのが事実。
ですから、今回のライブの感想は今回のみであり、このパフォーマンスがふたりの絶対的評価にはなりません。また、評価しようとも思いませんし、批判しているのでもありません。次回以降印象が違うかも知れない。ただ、ライブを「一期一会」と掲げるのであれば、毎回のライブが「最高」で欲しいと願います。

ライブは会場で観るのが本来あるべき姿です。ただ、あの非日常的な空間は得てして勘違いも生まれます。実際の出来より何割も良く感じてしまいます。様々なアーティストのライブを観てきて、ガッカリした事もあります。一方で、大して気にしなかったアーティストを再認識した事もあります。今回、「ライブ」をDVDで観た事で生(なま)で観る事とは違い、気づかなかった事に気づいたのかも知れません。個人的見解な感想と受け止めて行く頂ければ幸いです。
ありがとうございました。



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