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もう、いい加減歌詞の切り取りやめないか?

歌詞を追いすぎてはいないか?

以前、TVで、クロマニヨンズの甲本ヒロトさんが、
「若い人はみんないいと思う」とした上で、「アナログ世代とデジタル世代の違いで1カ所感じるのは、歌詞を聴きすぎ。僕らは音で全部聴いてた。意味なんかどうでも良かった。ロックンロールはものすごく僕を元気にしてくれたけど、元気づけるような歌詞なんか1つもないんだよ。関係ないんだそんなこと。でもデジタルになると、情報としてきれいに入ってきちゃって、歌詞を文字で追いすぎてるような気が、ちょっとだけする」と考えを披露。

色々と受け取り方がある発言。
この発言に対していくつかの角度で考えてみようと思います。

番組では…

菅田将暉は「どういう意味なんだろうとか、すぐ調べられちゃいますからね。携帯で音楽聴いてても、すぐ歌詞を出せたりするんで、歌詞を見ながら聴いたりするのは増えましたね」と、思い当たる節あるようだ。

これを受け、松本人志は「今のすべてにおいてですけど、“完成されすぎている”ところがちょっと不満かなぁって、お笑いに関しても少し思うときはありますね。もっとスベってもいいのに」と、甲本に同調。中居正広が「教科書が(ネット上に)どこにでも載ってる」と納得すると、甲本は「ぼんやりしてないんですよね。ぼんやりしてるとどこに焦点を合わせるかを自分で選べる。だけど1枚に(明確化)されると、みんなそれしか見れない。もっとぼんやりしていていい」と、正解を求めすぎる社会に一石を投じた。

ここでもネットの障害が語られてるけど、本当の事だろうか?
歌詞だけにフォーカスを当てると…
「正解」って何だろう?
「完成」って何だろう?
松本氏のコメントって、時々、的はずれ。決してそんな話ではないのに…
歌って、世に出た瞬間から作者の手を離れ、その後は「受け手」に任されるものではないのだろうか?
簡単にいえば、どう聴いても間違いではないのだ。

スピッツ 草野マサムネ氏は?

「歌詞っていうのはポエムでは…詩ではなくって、やっぱりメロディとかリズムとセットで成立するものなので、歌詞だけを抜き取ってピックアップされて、あぁだこうだ言われるのは…まぁ自由なんですけども、ちょっと作り手からすると恥ずかしいかなっていう気持ちはあるかな」と作り手としての思いを吐露。

とはいえ「まぁどう聴こうと自由ではあるんですよ。なので歌詞だけ文字で読んだりするのも全然ありで、これはもう聴き方はそれぞれ自由だということは強調したいですけどね」と聴き方は人それぞれであるという考えは軸にあると言います。

詩、ポエムだったら、ただ読めばいい。
でも、詩集ってそんなに支持されてないよね…
となれば…皆「詩」が好きな訳じゃないんだね。不思議だ!

ネットの反応

甲本ヒロトさんに多くの同調意見が見られたが、一般の人が書き込める掲示板では反論も見られた。
しかしながら、匿名性があるのか、甲本ヒロトさんに対する論点違いのものが多く見られた。
ヒット曲もないのに何様だ的な…よくある中傷誹謗的なものが書き込まれていた。
全く論点違い。
相変わらずだなぁ。

日本人は格言好き?

Twitterでは、格言らしきものを配信してるアカウントが多数あります。
どの方もフォロワーも多く賑わったりしてます。
でも、よくよく読んでみると…当たり前の事も多く、
それなりに上手く書いています。
また、「あるある」みたいな事も。
ある意味、否定せず、肯定することで、受け入れてもらえる。
要するに「ひよってる」(言い過ぎ?)

日本人は格言好きなんだなぁ。

Twitter

さらに、多くの人が参加しているTwitter。
音楽好きも多いです。 
自分の好きなアーティストや楽曲をツイートしていますが、
楽曲に関係ない「外見」…「カッコイイ」とかも多数。
たまに楽曲の事になると、歌詞の一部を切り取って、ツイート。
楽曲って、4分位。さらに切り取る?
しかも歌詞の一部分をまるで「格言」の様に…
音楽ってメロディー、リズム、アレンジ、歌詞、全部含めて楽曲。
全部、「セット」

歌詞の一部分?
前後も必要なのでは?

もうそろそろやめないか?

アナログからデジタルに変わったから…
ネットで歌詞をすぐ見れるから…
確かに「カラオケ」の存在の影響もあると思うけど。
それだけなのかなぁ。

筆者は初めて聴く曲の場合、
そのアーティストの背景は絶対に調べない。
時に「邪魔」になる。
今は情報過多なので、間違った情報まで入ってきてしまう。
ならば、情報を遮断した方が正確に聴くことが出来ると思うから。
アーティストによっては「作家意識」が高く、
音楽と人格とギャップがある場合も沢山あるので、
分けて聴いた方が間違いない。

歌詞はフィクション、妄想、想像も含まれる。
確かに「パワーワード」を沢山使うアーティストもいて、
それが「心に響く」事も否定しない。
でも、前後を見ずして、歌詞の一部分を切り取ったり、
メロディー、サウンドから切り離したりする事は、
もうそろそろやめにしないか?

アーティストも望んでないと思うよ。
煮詰めて、圧縮して、苦しんで、絞り出して…
そうやって制作した楽曲。
もっと大事にしても良いのでは?

本来は…
どう聴いても構わないんです。
ただの音楽。けれども「されど、音楽」
平和な時代だから、聴く事が出来る。
ならば、大事にしようよ。


もうそろそろ歌詞の切り取りはやめにしようよ!

最後までお読みいただきありがとうございました!



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