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同世代音楽…

違和感?

若い世代の音楽を、聴くと、「チョット違うな」と思う事もしばしば。
川崎鷹也さんの「魔法の絨毯」だっけ?
とても歌がうまい方。ピッチ(音程)もしっかりしてます。
けれども、違和感も感じるのはなんでだろう。

ジーニーのように魔法のランプから出て
笑わせるよ、魔法は使えないけど
お金もないし、力もないし、地位も名誉もないけど
君のこと守りたいんだ。

なるほど…ここらへんなんだろうな。
今の「優しさ」なんだろうとは思うけど、
何も無いのにどうやって守るんだろうと思ってしまう。
もうひとり…
もう1組だね。
若いバンドで頑張ってる。
ようやくブレイク?若い人が出てくるのはうれしいものだ…
マカロニえんぴつ
なんでもないよを聴いた。

会いたいとかね、そばに居たいとかね、守りたいとか
そんなんじゃなくて ただ僕より先に死なないでほしい
そんなんでもなくて、ああ、やめときゃよかったな
「何でもないよ」なんでもないよ、

なるほどね…不器用な男のラブソングかな?
同じ世代には響くんだろうな。
筆者の様な年上だと、やっぱり違和感がある。
歳を経ると、包容力も必要で、なによりそれは不器用よりも優先される。
だから、「僕より先に死なないでほしい」よりも…
「君より先にはけっして逝かない」の方がシックリ来たりする。

別に否定してるのでは無くて…
言いたいのは、「同世代音楽」と言う事。

5年後、10年後、時が流れた時、
これらの歌は今と同じように輝いているのだろうか?

年齢相応

おっさんのアーチストが、「純愛」だとか、「プラトニックラブ」とか歌われちゃうと、やっぱり違和感。
道徳的にはどうかなとは思うけど、「許されない愛」「叶わない愛」とかの方がリアリティがあるように思える。
せめて、恋愛では無く、また、宗教のソレとは違う「無償の愛」についてとか…!
若い方に「媚(こび)」を売ってる様なのは勘弁。

日常生活で、おっさんから何か言われると「ウザい」と思うけど、
歌になると「容認」はなんだかなぁ…
もちろん、歌なんてあくまでもフィクションで、そんなに沢山の経験値に溢れている人がいる訳が無いように思うのです。想像、妄想から楽曲制作は始まります。
そんな事は無い!歌はメッセージだ!という方も沢山おられます。
もちろん、知ってます。
沢山の作品を制作するには、自身の経験だけでは出来るわけでもなく、
そこには多かれ少なかれフィクションが含まれます。でっち上げではなく、経験してないけれども、私だったら、僕だったら、こーする、こう思う、こう感じると。
想像力、感性、研ぎ澄ませて欲しい。
もう少し、もう少しだけ視野を広げて欲しいと思う訳で…

人格や歳と切り離して聴く事は当たり前だとは思うけど、
せめて年相応の表現はして欲しい。

例えば、筆者の嫌いな表現で「頑張れー」「夢はかなう」があります。
10代の方たちには勇気を与えてくれるとか、
背中を押してくれたと言う受け止め方をされるのだと思います。
間違っていません!正解です!
未来に向かって可能性が無限大の若い方なら、そう受け止める事でしょう。
けれども、ある程度歳を経ると、そうはいきません。
いつも頑張ってるよ!これ以上何を頑張れば良いのか?とか…
夢をつかむ人はほんのひと握り。それは事実。ほとんどは諦めてしまうのです…悲しいけれども…
生きていく事はそんなに甘くない。

これは、生活に追われた事や経験が関係しています。
思う通りに行かないことなんて、山程あります。
それ故、言葉が響かなくなってきます。ならば、こんな言い回しではどうでしょうか?

10000回だめで 望みなくなっても
10001回目は 来る
きみを呼ぶ声 力にしていくよ 何度も
明日がその10001回目かもしれない…

はい!ドリカムの「何度でも」ですね。
頑張れなんて言わない表現です。
大事なのは「諦めない心」
チャンスはまた必ず来るんだと言います。

10代にひびく言葉、
20代にひびく言葉、
30代、40代、…それぞれなのです。

全ての人に届く歌は本当に少ない。
一度、世に出た歌は受け手が育てるからです。

安易な使い方ではなく、「誰に」「どの様に」伝えたいのか、
推敲に推敲を重ね、そうやって出来た歌詞でもなかなか届かない。 
奇抜な表現、キラーワード、パワーワードはどれだけの時を耐えきれるのだろうか?

さて、サウンド面では

最近、よく耳にする歌で、Adoさん…
また、King Gnuさん等、いわゆる「尖った」サウンドの歌が受け止められてます。
筆者は、好ましい状況だと思っています。
以前、小室哲哉さんのプロデュース楽曲がチャートを占めていた時代や、
AKB48系やジャニーズ関連の楽曲が上位を占めていた時代は異様に感じていました。
ポップスやロックがビジネスとして成り立つようになった為に、
売れた楽曲に似た物が世にあふれる現象が見られるようになった。
その結果、特定のスタイルやジャンルの音楽ばかりになるという、
おかしな事になってしまう。
全てが「流行り音」はおかしい。
そして、「流行れば」「すたれる」の繰り返しになっていく。

やはり、サウンド面でも、
全ての人に届く歌は難しい。

いい音楽が売れるのではなく、
売れた音楽がいいものでもないのです。

今現在、「コンセプト」がしっかりしてると、ある程度は売れてしまいます。
今、音楽を1番沢山聴いてる世代と言えば、
多分、「10代」でしょうね。
少し上の大学生あたりまでだろうか…
社会に出ると、どうしても「生活」 と関わりが深くなります。
日常生活に振り回され、音楽に費やす時間が少なくなってきます。
これは、どんなに音楽好きでもそうなります。
制作側から見たら、ターゲットは、「10代」になります。
彼らに向けた音楽制作になりやすい。
筆者そこに危険が潜んでいる気がしてます。

例えば、
小田和正さんの歌は広い世代に届いています。
彼は今、70歳を超えています。
筆者の理論?から言えば、彼の音楽は、70代が聴くもの?
しかしながら、現実は10代も聴きます。
何故、彼の歌は人に届くのだろうか?
サウンドもそんなに奇抜ではありません。
歌詞も言ったら悪いけれど、使い古された言葉が多く見られます。
ではなぜ?
使い古された歌詞でも、サウンドと重なった時、輝きを増す事が間違いなくあるのです。
彼の人生観そのものが、広い世代に届いたのではないのだろうか?


受け手がどの様な人生を送っているか、
また、どの様に感じているのか、
人生に寄り添う歌が望まれる、そんな時代だと思っています。

平和な時代だからこそ、
この手の音楽が聴けるのです。
震災、疫病、戦争等が蔓延したとしたなら、
人生に寄り添ってくれる歌が必要になります。
ぜひ、あなたに寄り添ってくれる歌を見つけて下さい。
 

どう思われたでしょうか?

最後までお読み頂きありがとうございました!

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