カヴァーとトリビュートに関する考察

カヴァーとは?​

■定義 過去に他人が発表した曲を歌唱・編曲・演奏して発表することである。元は代役を意味する言葉である。聞き手に新たな解釈を提示したもの。本人が発表した曲の場合はセルフカバーという。

■現実 カバーしようとする歌手がその楽曲を純粋に好んで歌うため・持ち歌不足を補うため・他人への提供楽曲をファンや音楽会社の要望で録音を行うため・有名な曲をカバーすることで宣伝効果が得られるため、等々がある。そのため、歌詞やタイトルが変更されることもある。

ウィキペディアより。

トリビュートとは?

■トリビュートとは「称賛・賛辞・貢物」といった意味であり、自分自身に大きく影響を与えたり、尊敬していたり、あこがれの存在であったりするアーティストに対して敬意を表すアルバムであることを示唆する呼称である。
功績のある人物、グループに対して称賛するために作られるアルバムのこと。複数のミュージシャンによって対象となるミュージシャンの曲をカバーしたコンピレーション・アルバムのような形式になることが多い

ウィキペディアより

カヴァー・トリビュート(アルバム)をリリースする意味

大人の事情に他ならないと一刀両断!(笑)
レコード会社の思惑でしょうね。はっきり言えば、売上の為です。
既存のヒット曲のネームバリューにおんぶに抱っこ。ろくに苦労しないで、そこそこの売上を望めるからです。そこには「夢」なんぞ存在しません。
それ故、筆者は否定の立場です。

けれども、筆者はすべてのカヴァーに対して否定ではありません。もちろん、日本でもカヴァー曲がもてはやされた時代がありました。ザ・ピーナッツ等が活躍していた時代です。良質のアメリカンポップスを日本語でカヴァーしていました。素敵なカヴァー曲が沢山ありました。その時は自分で曲をつくって歌うなんて考えもありません。それ故、オリジナル曲なんて存在してません。完全に輸入物なのです。なので、今カヴァーする事と意味合いが違います。

カヴァーする場合に置いて必要な事が存在すると思っています。


1、オリジナル曲、もしくはその作者をリスペクトしている事。
2、何かの理由で世に出ていない。もしくは隠れてしまっている曲の場合。
隠れていた曲を明るい陽の下に引っ張りだす意味があります。
3、オリジナルと肩を並べられる、もしくは勝ってるアレンジ、歌唱ができている事。
4、オリジナルのアレンジを使用しない事。

上記以外でリリースする場合には完全否定です。やる意味が無いと思っています。ですから、オリジナルがヒットして、素晴らしい出来栄えの楽曲であれば、ダメとしか言いようがありません。
例えば、ミリーリパートンのラビィング・ユーと言う超有名で名曲があります。だれでも一度は耳にした事が有るかと思います。5オクターブ〜5オクターブ半と言う強烈な声をお持ちの方です。サビの凄まじい高音歌唱は誰も真似できません。もちろん、全米1位を獲得しています。また、「天使の歌声」とも言われています。

"Lovin' You"ミリーリパートン を YouTube で見る


さて、この名曲をカヴァーするとしたら、上記の項目にどれだけ該当するでしょうか?
4以外は、カヴァーする前に該当してしまいます。また、この曲以上のアレンジがあるのでしょうか?ヒップホップなんかは面白いかも知れませんが、オリジナルを超えられるかはそうとう疑問ですね。
カヴァーしてはいけない曲なんです。
そういう楽曲は存在するのです。そして、どんな素晴らしいアーティストでも、カヴァーする事で悲しいかな自身の価値を下げ、音楽的信頼さえ失う事になりかねません。
美味しいところを使用することで損失は大きいと言わざるを得ません。好きな歌だから歌いたいと言うささいな思いがえらいことになるのかも…

1曲、例外の楽曲があります。大滝詠一さんが作った「夢で逢えたら」です。名曲と言える楽曲なのですが、オリジナルが誰だか分からない曲。
厳密に言えば、「吉田美奈子」さんなのですが、「シリアポール」さんも少し遅れてリリース。大滝さん自身では歌わなかったのです。(大滝さんの死後、自身で歌った物が発見され、リリースされました。)その後、沢山の方がカヴァーしていますが、大滝さんが歌っていない為に、オリジナルのイメージが付かず、それぞれのカヴァーが認知されるというのも奇妙な事になっています。もしかしたら大滝さんはそれを狙っていたのかも知れません。誰からも文句を、言われないように…

他にも素晴らしいカヴァー曲は沢山存在することを付け加えます。

しかし、ここに一つの失敗作もあります。(個人的そう思っています。)

木綿のハンカチーフ

"木綿のハンカチーフ # 太田裕美" を YouTube で見る


歌唱・太田裕美
作詞・松本隆
作曲・筒美京平

恋人よ 僕は旅立つ
東へと 向う列車で
はなやいだ街で 君への贈りもの
探す 探すつもりだ
いいえ あなた私は
欲しいものはないのよ
ただ 都会の絵の具に
染まらないで帰って
染まらないで帰って
恋人よ 半年が過ぎ
逢えないが 泣かないでくれ
都会で流行(はやり)の 指輪を送るよ
君に 君に似合うはずだ
いいえ 星のダイヤも
海に眠る真珠も
きっと あなたのキスほど
きらめくはずないもの
きらめくはずないもの
恋人よ いまも素顔で
口紅も つけないままか
見間違うような スーツ着たぼくの
写真 写真を見てくれ
いいえ 草にねころぶ
あなたが好きだったの
でも 木枯しのビル街
からだに気をつけてね
からだに気をつけてね
恋人よ 君を忘れて
変わってく ぼくを許して
毎日 愉快に過ごす街角
ぼくは ぼくは帰れない
あなた 最後のわがまま
贈りものを ねだるわ
ねえ 涙拭く
木綿のハンカチーフ下さい
ハンカチーフ下さい

上京し、就職した彼と、故郷に残った彼女の往復書簡で成立つ歌詞です。
あこがれの東京に染まっていく彼。信じて待つ彼女。歌詞を読みすすめて行くと、想いにすれ違いが段々見られてきます。都会の生活に浮かれきって、留まろうとする彼と変わっていく彼をそれでも待つ彼女。しかし、4番で彼は故郷に帰れないと告白します。彼女はとうとう諦めます。直接的な言葉でなく「涙拭く木綿のハンカチーフを下さい」とそれはコットンでもなければ、ハンカチでもなく「木綿のハンカチーフ」です。ここにも純朴な彼女が描かれています。悲しい歌詞ですが、筒美京平さんの珠玉な曲。そして、萩田光雄さんの素晴らしいアレンジでホップな明るめのサウンドになり、さらに彼女の心の揺れが見事に表現されています。
もちろん、太田裕美さんの歌唱も素晴らしい。
全てがうまく絡み合い名曲になった良い例です。


あるカヴァー曲が発表されました。

"橋本愛 /  木綿のハンカチーフ" を YouTube で見る

よくあるただの薄っぺらい失恋の歌になってしまっています。明るいサウンドで、素敵で真っ直ぐな「彼女」の姿が、ただのしつこい「怖い彼女」になってしまっています。
メジャーコードの曲なのですが、バラード仕立てにし、「泣かせる」アレンジにしてしまい、マイナーコード曲並みに変えたのが、全体的に聴くとオリジナルのよさが全部消されてしまったと言わざるを得ません。とても残念なカヴァーです。橋本愛さんが悪いのでは無いでしょうし、表現力も素晴らしいと思いますが、まわりが悪かったのか、オリジナル曲を理解してなかったのか、とても残念な事です。


トリビュート…


最近、多くみられます。日本の有名アーティストのトリビュートなんて言うのが多い。ホントにトリビュートしているかが問題です。
レコード会社やプロデューサーが主体になっている事がとても多いのです。この楽曲に合いそうなアーティストを探し、オファーします。
アーティストからの要望であれば少しは納得も出来ますが、そうでもない事が問題です。普段からリスペクトしていた、憧れていたのであればそれも理解出来ますが、ほとんどの場合そうではありません。やはり、ここにも「大人の事情」が見え隠れしています。

今はパッケージ(CD)が衰退していて、音楽を聴く場合、サブスク等の配信物が主になってきています。以前は「縦軸」すなわち時系列で音楽を聴く事が多く、キャリアの長いアーティストと若いアーティストは分けて聴いていました。今は、「横軸」古い、新しい関係なく聴く事が出来る状況になっています。既存の曲も陽の目を見ることが可能な状況で、トリビュートする事で掘り起こしが期待出来ると言いますが…果たしてそれは真実でしょうか?
ちょっと疑問にも思い、トリビュートする事の言い訳にも聞こえます。

結論

ホップス系の音楽はその時代を反映している物が多いのです。また、それがホップスなのだと思います。「歌は世に連れ」ているのです。なので、いい曲だからカヴァーする。トリビュートする。動機としては否定はできませんが、新曲を録音する様に丁寧に制作して欲しいと思います。オリジナルを超える様なカヴァー、トリビュートであれば、ヘビロテで聴きましょう!
リスペクトしましょう!
安易な物はやっぱり…受け入れられません…

毎度の事ながら毒舌満載です。
しかしながら、音楽をこよなく愛しての毒舌です。
現在の音楽シーンは何かおかしいと思っています。少しでも聴く側のプラスになればと書きました。

最後までありがとうございました!


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