note 等で、多読する人たちへ。(Ver230528a)

多くを読んで、あまり考えない事。
少ししか読まないが、深く考えている事。

色々と意見はあると思う。
良書を(だけを)読んで、深く考える事を、お勧めします。
僕の場合は、若い時に、カール・ヒルティの「眠られぬ夜のために」を
繰り返し読んでいた。
それが絶対的に好ましいとは言い切れないとは思う。
でも、比較的マシな方法だったと思う。

多くを読んで、多くの情報を仕入れても、
その多くの情報に押し流されて、自分でサバケなければ、意味は無い。
だから、多くを読めば良い。というのは、間違いだと思う。

だからと言って、少なく読んで、深く考えれば良いか?
悪書では意味がない。誘惑が多すぎる。と思う。うまく言えない。
僕は、カール・ヒルティの本しか知らないから、
僕にとってのベストの本であるヒルティの本を薦める。僕の場合。
だから、「少ない量の、良書を読んで、深く考える」事を薦める。

多くを読んでも大丈夫なようになってきたら、
自分に判断力が付いてきたら、多くを読んでも、流されなくなって来る。
判断力が付いてくる。

ヒルティの本の場合でも、僕が知っているだけでも、欠点は在った。
完全では無かった。しかし、かなりマシな本である事も確かである。
どういう欠点が在ったか?
それは、キリスト教の概念の中に捉われていた事かも知れない。
今、僕は、キリスト教の概念の中には居ない。信仰していない。
だから、少しだけマシになった。
だけど、ヒルティの本で得た事は、かなり大きかった。
その土台が無ければ、キリスト教の概念の中に捉われたままだったかも
知れない。

20-40年後には、その枠から飛び出すかも知れないが、
それでも、ヒルティの本は、今現在は、お薦めかもしれない。
5-10年位は、
愛読書としてもあなたが色々な事を得るのにはお薦めだと思う。

もっと良い本が、(ヒルティよりも良い本が)あるかも知れない。
でも、僕は知らないから、それより凄い本を知らないから、判らない。
これが僕の、今の、限界なのだろう。

ただ、ヒルティの本を本当に読み進めていった僕の今得ている事は、
とてもとても大きい。
大抵の事は解決できる程だ。
それに、仏教も素晴らしい概念だが、
キリスト教も相当に深く考えられている概念だし、
キリスト教に入信している人の気持ちを知るには、
それに飛び込むのが、最も適した方法だ。
自分を、同じ境遇の中に、自分の身を置く。事が最も確実な方法だ。

世界では、キリスト教の概念を持っている人が非常に多い。
だから、その知識・感覚を持つ事は、たぶん、有益だろう。
まあ、その概念に縛られもするが・・・。
だから、僕は、最後の最後に、キリスト教の信仰を捨てる必要があった。
だが、今でもイエスキリストの事は、(信仰ではなく)好きだし、
素晴らしい人だとも思っている。
しかし、鵜呑みで信じる事は出来なくなった。
今の僕は、どの(イエスの)言葉も、チクイチ中身を確認している。

話が逸れたが、
僕は、周りの人を見ていて、
「多読する人が多いなー」って感じる。
それでは、(自分自身がしっかりとした土台を持っていない状態)、
多読しても、流されるだけで、意味は無い、時間の無駄になる。って思う。
それを歯がゆく感じる。

だから、多くの情報を読んでも、自分自身をキチンと確立していれば、
その多くの情報の中から、有益な情報を取り出せる。
自分自身を確立していなければ、
その多くの情報の中から、有益な情報を取り出せずに、
多くの情報に、流されるだけ流されて、全て無意味になる。
だから、
多読には、警鐘をならしたい。
「あなたは損をするだろう。時間を無駄にするだろう。」と、
警鐘を鳴らしたい。

言いたい事をまとめると、少ない。
「自分自身を確立して、
自分自身が嵐洪水などに耐えられる土台にくくり付けられて居れば、
あなたは多読しても、それに耐えられるだろう。
しかし、
自分自身がしっかりと出来ていない状態で、多読しても、
流されるだけ流されて、あなたは何も得ないだろう。

こんな感じかな。

以上です。