(231128a) 僕の父の場合、無関心と言うよりは自分の事で手一杯だった?

僕の母も、まあ、毒親という分類に入るのでしょう。
僕が小さい時には、
僕や兄と母親との間に、温かい楽しかった記憶が全く無いワケでは
ありません。
思い出せる(楽しかった)思い出は、片手で数える事が出来る程度しか、
ありませんが、一応、有ります。

その時は、母もまだ、毒親とは呼べない状態だったかも知れません。

父は、家庭と言うよりも、仕事や趣味に精を出しているタイプだった?
かもしれません。
家族に無関心な傾向は確かにありました。
子供というモノは多分、どの親にとっても、
楽しく嬉しい気分にさせるモノだと思います。
父も、(かわいい?かったかも知れない)僕や兄を、
楽しそうに可愛がっていました。(小さい頃は)
ただ、子供があまり可愛くなくなってくると、父親は仕事などに傾倒した
かも知れません。

あと、父親は、転勤などを数回経験していて、
家族サービスどころでは無かったかも知れない所はあります。
また、会社か会社の用意した転勤先の寮の中?かで、
自殺未遂の事件を起こした経緯があります。
何が、父親を追い詰めたのかは、今でも全く判らないままです。
僕は、一人で夢想するのですが、
(その頃には既に創価学会は池田大作が会長になっています)
創価学会に、僕と同じ様に責め立てられた?のかなー?
とも思ったりします。

まあ、父のやった事を総合的に見て、後から冷静に見返して見ると、
家庭に無関心だったというよりは、
自分の事で手一杯だった。という印象が有ります。

父が、ある時(事件後のある時)、
僕が何気なく風呂場に行くと、
父親が、半分狂乱して、「僕の事なんか要らないんだー!」って、
僕に叫んでいました。
あまりに(見当違いな事だったので)僕は面食らって、
何も言えませんでした。

そんな事があったので、父は何かに相当精神を追い詰められていた事は、
確かなようです。

そんなこんなで、
僕の父親の場合、母ほど?(母も被害者かも知れないが?)は、
ヒドかった印象が、あまり強烈には!、無いんです。

何かあったら、また、書きますね。

とりあえず、以上です。