(231123d) 教え(型)は、少しずつ破って行け。成長の為に。

ご飯を炊く時の教え?の言葉で、
「はじめチョロチョロ、なかパッパ、赤子が泣いてもフタ取るな」
ってな感じの言葉が有る。

僕は、最初は、その言葉を忠実に守って、お米を炊いていた。

しかし、フタがガラスでなく透明で無かった為に、
「フタを(ちょっと)取って、中の様子を見た」
という教えの型に反する行動を採った。
仕方がない事だった。

しかし、その型(教え)を破った事によって、
中でどうなっていたか?が多少とも判った。

そんな感じで、僕が学習した事がある。

「教え(型)は、少しずつ破って行け」
いきなり全部の教えを全く守らないと、
教えに忠実にした時の(中の)動きが判らなくなる。
だから、教えを守った時にうまく行ったら、
今度は、少しずつ、ちょっとずつ、教えを破り始めろ。

そうすると、教えがなぜ有効だったかが、判って来る。

守破離の概念で、言う、「型破り」だ。
ただし、「絶対に、本分を忘れるベカラズ」だ。

今回のケースでは、「お米を炊く」という行動に関しての、教えについて。

だが、この事は、あらゆる教えに、共通するかも知れない。

だから、
まず、「最初は、教えを忠実に守って行け」
そして、うまく出来る様になったら、
今度は、
 「少しずつ教えを破って行け。
  何で教えを守るとうまく行くのかを、自分なりに追求しろ研究しろ
  」
そして、教えを全く守っている状態で、
何故うまく行っていたかを理解したら、
教えから(型から)離れて、型を破って、
本分の内容を、さらに追求・研究して行け。

この守破離の考え方は、色んな方法論や、宗教の教えに関しても、
成立すると思う。

だから、
「聖書などの聖典を忠実に守るのも、一興だが、
 何故?うまく行くのか?を、研究して追求すれば、
 更に、うまく出来る様になる。
 それが判ったら、そうやって、
 本分を忘れる事なく、状況に応じた手法を、自分だけで編み出して行け。
 」

という結論が得られたので、
皆さまに、周知しておきます。

以上です。