(231027a) 何かを伝えたい時で、文章にする方法について。

僕は若い頃、カール・ヒルティの本を読んでいた。
「眠られぬ夜のために」 ヒルティ著 草間平作・大和邦太 訳
岩波文庫 青638-1 1010円(税抜き)

つい最近、次の様な本も手に入れた。
「一日一禅」 秋月龍珉(あきづき りょうみん)
講談社学術文庫 1598 1310円(税抜き)

この二つの本に共通している事がある。
それは、比較的短めの文章(500字-2000字程度?)に、
読みやすい文章に小分けして、その小分けした文章を積み上げる方法。

長文で一気に伝えようとするより、
こういう読みやすい小分けした文章を積み上げた方が、
実は、「伝えたい」という目的に、適(かな)うのかも?
と、思うようになった。

自分なりの根拠の一つ目は、
人間の脳とは、シナプスとニューロンの構造に似ているから。
つまり、長文の様な巨大な情報が、脳の中に在るのでは無く、
脳の中は、断片的な情報の集合体である事。

根拠の二つ目は、
伝えたい事は、
実は、3次元プリンタで作り上げる様な、
中に空洞があったりする構造物とか、
継ぎ目が無い(シームレス)構造物で出来ている構造物とか、
ではなく、
一般の建造物の様な、
柱(大柱、小柱)、仕切り板(壁用、天井用)、
窓用のガラス、
床板、ドア用の板、蝶つがい(金具)、ドアロックの部品、
等々であり、
小分け出来るような部品の構成であるのでは無かろうか?
と思うようになった事。

どんな巨大な建造物もタカが身長1,2メートルの人間が作ったモノである。
だから、自分の身の丈に適合する様なサイズの(小分けされた)部品に、
分割できるのでは無いか?
と思う様になりました。

その様な(自分なりの根拠とも思い込みとも言える)根拠で、
何かを伝えたいと思うならば、それを丁寧に伝えたいと思うならば、
結節点(点)と、線に、バラバラにして、伝えて行く方(ほう)が、
実は、よく伝わるのでは無いか?と思う様になりました。

長い話を書き上げるのは大変だし、読むのも大変だ。
まして、その長い文章を、ミスなく構成するのは、非常な労力が要る。
僕たちは、長い人生の間に、少しずつ少しずつ、これらを習得して行き
最期の頃には、巨大な建造物も作り出せる様になる。

ダラダラと書いてしまったが、
以上の様な理由で、
ひと言では語れぬ思いというモノを語る時、
一気に長文で語るより、小分けされた文章で語るほうが、
向くのでは無いか?と思った事を、書きました。

以上です。