通勤特急に乗らないという選択
昨年までは比較的に空いていた朝の通勤電車の隙間が徐々に埋まり、最近ではぎゅうぎゅうのぱんぱんになってきた。
ウイルスの蔓延防止措置としてリモートワークに対応していた企業が続々と出勤スタイルを解禁しているのか、定かではない。
元より在宅勤務の選択肢がない私は憤っていた。
見ず知らずの他人と肌を寄せ合いながら、なぜ毎朝ここまで疲弊して職場へ向かわなければならないのか?
正直なところ、仕事をしている時間よりも朝の通勤電車に乗っている方が不快である。
思えば緊急事態宣言が発令されていた中、取引先とのオンライン会議で「御社はリモートではないのですね」と言われることは割とよくあったが、時が経ち2年目の今でも、モニター越しの彼らは在宅勤務の様子。
一体全体、満員車内に溢れる“再出勤組”と彼らの違いは何か…気の毒な話である。
6月のある日、改札に向かってごった返すホームの階段を上っていると、私の目の前で、汗だくの男性が無心にネット記事を眺めていた。
どうやら記事に集中しすぎて歩みが疎かになり、ヨタヨタとした足取りは危なっかしく、予想しないタイミングで私を後ろへ跳ね返す。
彼の立派なゲーミングスマホの画面には「なぜ金持ちは性格が悪いのか?」という旨の根拠薄そうな見出しが大きく映しだされている。
果たしてこのタイミングで漁る類の情報だろうかと苛立ち、群衆の足を止めずにサクサク歩け…と殊更にイライラした。
蹴りたい背中とは正にこのこと。
もはや、自分の心に余裕が無くなっているのだと痛感した。
6月半ばには蒸した湿気の鬱陶しさも相まっていよいよ通勤が面倒になり、少しでも快適な環境はないかと模索をはじめた。
乗車時刻を徐々に早め、普段よりも2、3本前倒した時間に乗ってみたり、同じ時間帯で車両や乗車位置を変えてみたが、いずれも鮨詰め状態だった。30分早く家をでても行き着く先が満員電車とは…
そして6月後半、先週のこと。いつもより20分早く起きてしまい、身支度を済ませて特にすることもなかった私は駅に向かった。
通常ならば途中で特急電車に乗り換えるのだけれども、ここでふと思ったのだ。
このまま通勤特急に乗り換えなくても間に合うのでは?
乗継駅に停車するや否や、人々は我こそ先にと乗車列に並ぶ為に忙しく下車していき車内はガラガラ。無理なく席に座ることができる。
私が利用している電車では、特急電車と普通電車の走行時間差はざっと20分。
早起きで浮いた時間とトントンだ。
加えて、日頃から始業15分前に職場に着くように家を出ている。仕事に遅れようが無い。
わざわざ満員電車に乗り換え、人と人の隙間を探して身体をねじ込み、もみくちゃになる必要はどこにも無かった。
これまでの試みでは早めのダイヤに乗って、その分早くに出勤しようとしていたが、余分に電車に乗っていればいいというのは、盲点だった。
今回は、私の中で、平日の朝に通勤特急に乗らないという選択が生まれただけの話だ。
時間がもったいない、とは考えないことにした。
別に有意義なことなど最初からしていなかったのだし。タイムパフォーマンスを考慮するほど普段の生活を計画的に生きているわけでもない。
通勤特急の意義を考えると本末転倒だが、効率良くあろうとするばかり、必要の無い不便を強いられている事象だった。
固定の思考に囚われていたのだと気づけたのは収穫だ。きっと、私の世界にはそのような事がもっともっと溢れているのだろう。
余談だが、私は約2年前に転職し、片道の通勤時間が20分から1時間に延びた。労働環境が改善されたと思い、そのまま職を気に入れば引っ越そうと考えていたが、通勤時間はやはり心を削る。
いよいよ住処を移すべきなのか、新たな職を求めて飛び出すべきなのか、悩ましく思うこの頃だ。
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