スパイダーマンNWHを通じて感じた事あれこれ

※当文章は≪スパイダーマンNWH≫のネタバレを含むので未鑑賞の方はご注意ください。










私がトム・ホランド君演じるスパイダーマンに初めて出会ったのは、2016年公開のキャプテンアメリカ/シビルウォーであった。当時、版権がソニーにあったサム・ライミ版、アメスパを経てから、スパイダーマンがMARVELの展開するMCU入りするという出来事に衝撃を受けたのは私だけではないはずだ。一方で、「コレジャナイ」感がほんのり漂っていたようにも思う。

「大いなる力には大いなる責任が伴う」スパイダーマンにとって非常に大事なポリシーであり、ベン叔父さんの遺言である。例え恋人をも失ったとしても、血まみれになりながら自分の力を他人の為に使う。スパイダーマンは決して超人ではない。人並みに心に傷を負い、人並みに誰かに恋をする。だからこそ、MJを助けるのに間に合ったシーンでアンドリュー・ガーフィールドは苦悶の表情を浮かべるのではないか。最愛のグウェンを助けることができなかった記憶が、等身大の人間としての彼の心を今も蝕んでいるのだ。
スパイダーマンが自分の力に責任を感じ始める契機は勿論、ベン叔父さんの死である。だからこそ、トム・ホランド君演じるスパイダーマンに私は馴染むことが出来なかったのだと思う。少年は誰も失った事がない。「ベン叔父さんどこ行った?」がスパイダーマンHCを観た時の私の率直な感想であった。サム・ライミ版から新聞記者→大学生→高校生と、スパイダーマンはリメイクごとに若くなっていることを考えると、毎回毎回同じテーマを扱っているわけにもいかない。確かに、思わぬ力を得た大人の男と、高校生では描き方はきっと違うだろう。大いなる力を手に入れたティーンの男の子、ちょっと我儘で、ヒーローという側面も持ちながら未だに子供っぽい。今までのスパイダーマンに対する固定観念を捨てて、これはまた別物として楽しめばいい。私はずっとそう思っていた。そしてそれは、全くの見当違いであった。アマチュアファンの私なんかより、制作陣はよっぽど「大いなる力には大いなる責任が伴う」事を大事に思っていたのである。アイアンマンとの死別後にも大人になり切れずにいたスパイダーマンは、初めて自分の力、そして選択に責任を取る事を決意するのだ。ベン叔父さんではなく、メイ叔母さんの死によって。

MCU作品を観る事はいつだって、どこか不思議な体験だ。どこかで繋がっているという作品群はごまんとあるが、ここまで一見さんお断りな作品群はそうないからだと思う。知識がある程度無いと、100%楽しむ事は出来ない。MCU作品を幼少期より追っている私自身も、全てを理解して楽しめたという自負が全くないのだ。今回のスパイダーマンNWHも、一体幾つの作品の上に成り立っているものなのであろうか。多くの作品を小窓みたいに通して観る事のできるMCUという大きな物語を考える時、いつも思い浮かぶのはアリストテレスの詩学の中で語られていた美しさの概念についてである。物語の全体は、美しさを感じられる適切な大きさでなければならず、小さ過ぎて不明瞭であったり、大き過ぎて把握できないものであってはいけないという概念だ。ダニや、地球について考えてみて欲しい。目測することすら困難な小さな虫や、遠く離れた宇宙ステーションのガラス越しにしか全体を捉える事が出来ない惑星を美しいと思うだろうか。例え「美しい」と感じたとしても、それは目の前に広がる景色、地球の一部分に過ぎない。物語の適切な大きさとは、ある物語が始まり、そして終わるまでに必然性を保ったまま終われるだけの尺であると私は解釈した。
話は逸れたが、MCUに属する2~3時間の、適切な大きさを持った物語を私たちは観賞する。Disney+で配信される連ドラであってもいい。そして作品同士をつなぎ合わせて、MCUという大きすぎて把握できない物語の流れを空想するのであり、それがMCUの持つ何よりの魅力なんだろうと思う。端的に言えば、「誰にも理解できない」と泣くじゃくるホランド君を見る歴代スパイダーマンの表情から、これまで彼らが経験してきた喪失を、ドックオクがエレクトロに立ち向かうシーンで彼が川の底に沈んでいった犠牲を、そして
今作品を通して今まで散っていったヴィランたちも「大いなる力」に支配されてしまった善良な市民であった事を思い出すのだ。彼らもまた、哀れむべき一人の人間であったという事を。一つ一つの作品を通して、シーンのオマージュやセリフをつなぎ合わせ、より大きな物語に直面することが出来る。そして、適切な大きさ、美しさを保ったままのその物語は、より壮大なものとして私たち観客の前に姿を現してくれるのだ。小難しいことは考えなかったとしても、かつて私たちの愛したスパイダーマンが再びスクリーンに戻ってきた事、それこそにきっと価値がある。

いみじくも、スパイダーマンNWHの公式Twitterアカウントが用いていたタグは、「#スパイダーマン愛してる」であった。この作品はきっと、スパイダーマンを愛する制作陣と、スパイダーマンを愛する全てのファンが、手を取り、肩をたたき合い、そして踊りあかすパーティのようなものであった。僭越ではあるが、版権の壁を打ち破り、最高のエンターテインメントを提供してくれた全てのスタッフに心より感謝申し上げる。この作品に出会えて、本当に良かった。

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