1年とはあっという間
G’day mates
オーストラリアワーホリが1年過ぎて
うまく行けば、残り2年弱
失敗すれば1年弱。残したとこです。
この、濃過ぎて、楽しすぎて、辛過ぎた1年を振り返ろうとすると、長くなりすぎるので、軽く。
ってこの前書きが長くなる理由だけれど。笑
まずは、オーストラリアでどんな流れだったか
メルボルン3ヶ月
コフスハーバー9ヶ月
家は3つ渡り歩きました。
メルボルに着いた時は冬スタートくらいで、
常夏のイメージのオーストラリアが場所によっては寒い事を知り
オーストラリアはそこらじゅうにゴミ箱がある。
これが最初のイメージでした。
たまたまラッキーなことに日本出る1ヶ月くらい前から
オーストラリアのライダーが日本に来ていて、仲良くなり、
それで、メルボルン行きを決めました。
そして憧れの地で憧れのライダーと友達とBMX漬けの生活を夢見て日本を出発!
憧れのライダーと一緒に乗って、飲んで、サッカーして。
最高でした。
が、一人暮らしの経験もなく、貯金もしてきたわけではない自分は
遊ぶよりも先に生活に慣れる必要がありました。
そんな覚悟も少しは持ちつつ、渡豪したものの、
ご存知の通り、到着2日目で自転車盗られ。
海外の洗礼を受けつつ、オーストラリア生活スタート。
前向きに捉えるようにしてますが。
高い授業料になってしまいました。
が、おかげで、海外での憧れの生活!自転車!になり過ぎず、
到着早々に地に足がついたとは思います。
Motocrossinternational いつもサポートありがとうございます。
仕事が無いと言われている昨今
1週間以内に仕事決めたる!というバイブスの元、本当に見つかりました。
レジュメ(履歴書)はショッピングモールに入ってるお店90%には配りました。
その中から1件だけ。
その最初の職場は50代のおじさんに裏の倉庫でいじめられながら野菜を陳列してました笑
そのあと日本食屋さんで働き、メルボルン生活で3ヶ月で貯めたお金で
車を買い、今のコフスハーバーに到着しました。
1ヶ月で廃車ですが。笑
到着した先は、コフスハーバーというド田舎でした。
ブルーベリーピッキングをしに。visa取る為。
オーストラリアのファームジョブ=稼げる。
皆さんもそんなイメージと思うし、僕もそう思って来ました。
甘かったー。
お母さんも、『今朝ZIPでオーストラリアワーホリのファームの人、ファームで稼いで、日本戻ってくるらしいのに、なんでタツはそんなお金ないの?』て
マミー!ZIPよりリアルな俺の声!
って来なきゃ雰囲気とかわからないもんね。
結果から言うと、悪徳違法ファームに引っかかりました。
時給じゃない、出来高制。
出来高制?時給より稼げるんじゃん?
そう思ったあなた!そんなことないんです。
僕の働いてたシーズンと僕の能力的に週に$170くらいしか稼げませんでした。笑
そこで、耐え忍ぼうかと思いもしましたけど、車の修理等で仕事を休んでいたら
『働かないなら明日でてけ!』って!キックアウト。
一瞬ホームレス覚悟しましたけど、なんとか今の家のオーナーにお願いしてホームレス回避しました。
ちょうど友達が仕事をうつると言うので僕もダメもとで受けることにしました。
僕以外にはメール来てたのに、僕だけ来ませんでした。
そこで諦めない!
説明会にスネークして
番号、メアド、写真を残し、仕事ゲット!
生き抜くってこゆことだよな!と。
ここまでが大雑把な1年の流れです。
ここに書いたこと以上に楽しいこと、嬉しいこといっぱいありました。
辛いこと、悔しいこと、悲しいこと。たくさんありました。
でも絶対的に言えるのは間違いない、絶対なる、僕の経験という財産を今積み立てていけてます。
オーストラリアに来たから自転車がうまくなるわけでも、
英語が話せるようになるわけでもありません。
自分次第です。
(くる前、英語は勝手に身につくと思ってた笑)
自転車も、英語も、その他も
もっともーーーっといけるはず!なので
2年目気合い入れ直して、もっと面白く元気に動いていきます!
この大雑把な流れの間に大小様々なトラブル、ハプニングありましたが、
全部話したら映画になってしまうので、
次僕が日本に帰った時に、飲みながら話しましょー!
引き続き応援よろしくお願いします。
皆さんも体調、怪我には気をつけていきましょー!
オーストラリア最高!!!
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