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過去の私…


BeautyJapan FUJIYAMA/NEO
ファイナリスト
「齋藤美奈」です


吐き出せなかったブラックな気持ちを
綴ります


あの頃の私9年半前の私気持ち中々人に
打ち明けることができなくて苦しんでいた

末子が生後半年からカウンセリングにも
月2回通っていた

これから私の人生この子の人生はどうなる
のかわからなかった

想像ができない予想がつかない

病院の先生にも予想がつかないと言われていた


私の手から離れる日が来るのだろうか
私が一生見て私が一生介護をしないと
いけないのか

そんなことも毎日考えていた普通の育児が
したかった

あの頃の私
9年半前の私

気持ちを人に打ち明けることができなくて
苦しんでいた

毎日考えていた…
普通の育児がしたかった
普通にミルク飲んで寝返りしてハイハイして

その普通って何だったんだろう…


あの頃の私は相当自分を追い詰めていて
末っ子のことが受け入れない

そんな自分が大嫌いで

いつも自分を責めていた

こんな私から抜け出せるのか

いつそんな私になれるんだろうって
苦しかった

友達にも会えなくなった会えたとしても、
この気持ちを吐き出す事はできなかった

吐き出して、いい気持ちなのかも
わからなかった

心のやり場がない

とにかく辛いあの頃

人の子の顔を見るのも辛くて…

上の子の幼稚園の送迎も本当に行きたく
なかった

人に会いたくもなかった

生きてることさえも辛くて

障がい児の情報なんてまわりにはない

ネットを見れば、
末っ子もこうなるんじゃないか

私もこうなるんじゃないか

ネガティブなことばかり考えてとにかく
私は苦しんでいた

よく子供が生まれて、1歳ならお母さんと
しても1歳だよって言われるけど…

障がい児のお母さんていないから、
その相談をする人もいなかった

でもその仲間は欲しかった
気持ちを聞いて
欲しかったし仲間が欲しかった

孤独を感じていた…

私はいつも独りのような気がしていた

私がいつも1人で家で末っ子をみていて、
夫は仕事に行っていろんな人に会って

私とは違う生活をしていて羨ましかったし

やりたいことやって輝いていいなって思ってた

だからきっと私の気持ちなんてわかんない

日中は毎日私と末子が2人きりで

健常児も新生児の頃って情報もなくて
その友達もいなくて家で過ごしていた時間
長いと思うけど…

新生児って家で過ごさないといけなかった
時間が長いと思うけど

それと同じような感覚がいつまでも続いた


いつになったら、この暗闇から抜け出せるんだろうって毎日思ってた

そして月日が経つのも辛かった

明らかな成長の遅れや上2人との違いがありすぎて受け止めることなんてできなかった…

消えたかった過去

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