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新卒入社6年後にクビになるベンチャー企業の話 1

私が新卒の正社員として入社したO社、そして同社の社長であるG(いずれも仮称)との出会いはその前年、大学4年生だった2011年の夏頃のことである。

G社長は恩師(当時所属していた大学の研究室の指導教員)の知人である。O社は、そのG社長がちょうど同年に創業したばかりのITベンチャー企業だ。
G社長から先生に対して、学生アルバイトの希望者はいないかとの打診があり、そこから紹介を受けたことがきっかけだった。


タイトルで完全にネタバレしてしまっている上、過去にも同社からの退職時にあったトラブルを記事にしたことがあるが、私はこのO社でこれらの通りの結末を迎えることになる。
よりにもよって恩師が紹介してくれた職場でこのような結末となり、恩師に対しては本当に申し訳ない話ではある。
だが、そこに至るまでにどんなことがあったのか、事の顛末をしっかり書き留めておきたい。

かなり長くなるので、途中で他の話題を挟む場合もある。

O社の業務は、当時まだ世に普及して日も浅かったスマートフォンのアプリや、その他Webアプリ・Webサイトの受託開発などが主な業務内容だった。
私自身アプリ開発に興味あったこと、そしてその経験が研究や就職活動に役立つかも……という考えから、私は快諾し、そこでアルバイトとして働くことになった。

G社長は、私より5歳ほど年上の当時20代の女性だ。まるで港区界隈を闊歩していそうな(というか実際そうしていただろうが)、そんな軽い雰囲気の女性だった。
性格も見た目通りで、明るいながらも気が強く少々強引で自分勝手、そして気分屋なところがあった。性格だけに着目すればまるで某・国民的漫画に登場するガキ大将キャラクターのようで、メンバーからはそのキャラの渾名で呼ばれてイジられることもあった。

そんな風貌と性格ながら理系の大学院出身で、卒業後すぐに仲間と共にこのO社を立ち上げたというのだから驚きだ。厳しかった当時の就活も相まって、組織のトップにお堅いイメージがあった私にとって、Gの存在にはいい意味で少し衝撃を受けた。

当時の社員は、ほぼ全員がGの学生時代からの知人だった。私のバイト開始当時で常勤の正社員が2名程度、そして時々ヘルプに入る非常勤・アルバイトが2~3名、加えて当時の取引会社の社員が2名(詳しい形態は不明だったが)業務委託として常駐していた。皆さん気さくで、人見知りな私を快く迎えてくれた。

バイトとしての採用が決まった私は、基本は平日、週一日で出勤することになった。週に一日、大学に行かない日が生じるが、これには恩師からも承諾を得た。G社長とも、もし研究の方が忙しくなればそちらを優先する約束をした。学業や研究活動と両立する上で、変なアルバイトをするよりもそれは大きな安心感だった。

私の初仕事は、とある会社(以下「I社」と呼ぶ)の業務用iPadアプリの受託開発だった。
内容は、I社の店舗でサービス内容などを動画で顧客に対して説明するためのアプリである。仕様としては何ということもない、基本的に画面上にボタンを配置し、それを押して動画を再生する……というごく簡単なアプリだ。I社の社内で使うだけのアプリなので一般ユーザー向けには公開しない。
熟練者なら1日とかからず作れるであろう分量である。もしかしたら初心者である私のためにG社長が取ってきてくれた案件だったのかもしれない。

……が、初日から大問題が発生した。
当初、当時の社員で唯一iOSアプリ開発に詳しいTさん(仮名)という社員に教わりながら開発を行う予定であった。しかし何と、そのTさんが翌日から他社に常駐する業務で出向してしまうとのことだった。
即ち、Tさんに仕事を教わる時間はたったの1日しかない。

しかもそれを知らされたのは私の勤務初日。G社長は「明日からTさんいないからよろしくね」と、さも知っているかのような口振りで私に告げたが、こちらとしては寝耳に水である。
無論事情あっての事だとは思うが、まさか出向の話が昨日今日に決まったはずがないわけで、事前に知らされていれば私の出勤日を前倒しするなど対応はできただろう。
まあG社長だって一年目である。伝達ミスもあるだろうと、私は特に文句も言わず作業に取り掛かった。

案の定、十分に仕事を教わることはできずにこの初日は終わってしまった。大学でも多少のプログラミング経験はあったが、ほぼ初めて触れるシステムを一日で理解できるはずがない。

Tさん不在の翌週以降は入門書とネットの情報を頼りにほぼ独学で進めた。社内に残る他のメンバーはiOSアプリ開発に明るくなく、頼ることができなかった。
当然それだけで全て解決できるわけもなく、Tさんに出向先での業務後に戻ってきてもらったり、G社長の知人で不定期バイトの大学院生・Nさん(仮名)を呼んでもらったりして指導を仰いだ。
各々の用件で多忙にもかかわらず駆けつけてくれ、夜遅くまで教えてくれたお二人には感謝してもしきれない。

結局、開発期間は十分にあったとは言え、ベテランなら1日足らずで作れるであろうアプリに2〜3ヶ月程度も(私の実質稼働日だけ考慮すれば10日程度だが)かかってしまった。

バイト開始から2ヶ月程か経ち、アプリも概ね完成した2011年12月。
今度はI社の担当者にこのiPadアプリを一度見せることになった。そこで、GからこのアプリをApp Storeで公開するよう命じられた。

アプリ開発に詳しい方ならばこの時点で「え!?」と思われるだろうが、それは追々述べるとして、まずは前提となるiOSアプリの公開手続きなどにから簡単に説明しておきたい。
(当時の情報なので現在とは異なる場合がある)

まず、iOSアプリを「一般ユーザー向けに」配信するには、Apple公式のApp Storeを通して行う必要がある。Gが指示したのはこのことだ(そもそもそれ自体が今回の趣旨にそぐわないのだが、それも後述する)。
これは主にユーザーの元に危険なアプリ・違法なアプリが渡らないようにするための対応で、配信するアプリは事前にAppleによる審査を受ける必要がある。
審査にはガイドラインがあり、以下のページの通り詳細に定められている。

そしてアプリをApp Storeで公開するには、Appleの開発者向けプログラム“Apple Developer Program”に加入し年間99米ドルの登録料を支払う必要がある。
また当時は、作成したアプリを実際のiPhone, iPad端末(実機)にインストールして動作確認するのにもこの加入が必要であった(おそらく上述のように、審査を受けていない自作アプリのインストールを制限するための措置だが、現在では緩和され無料ユーザーでも行えるようである)。


話を戻す。
まず困ったことは、Gが肝心のDeveloper Programのアカウント(予め社用に作成していたもの)を事前に教えてくれなかったことだ。
上述の通りアプリを審査に提出するにはこのアカウントが必要であり、それはGも知っていたはずである。
GはO社の営業も兼任していたため、日中はいつも忙しなく外出していた。この日はよりによってそれを私に伝えないまま外出してしまったのだ。
無論、意地悪で教えてくれなかったわけではなく単なる伝え忘れだと思うが、このせいで本人が指示した仕事が進められないのは困った話である。

いっそのこと私個人でDeveloper Programに入ろうかとも考えたが、99ドル(当時1万円前後)は学生には決して安くはない金額であるし、会社のために私が自腹を切るのもおかしな話だ。
結局はGに連絡を取ってアカウントを教えてもらう他なかったが、LINEやその他のチャットツールもなかった当時、連絡を取るのは簡単ではなかった。
結果的にはこの後の手順に進めているので何とかしたのだろうが、具体的にどう解決したのかはよく覚えていない。


Developer Programにログインして次に待っているのが、提出用のアプリを生成して審査提出用にアップロードする作業だ。しかしこれがまた初心者泣かせなのである。
ごく簡単に言うと、電子的な証明書を取得してDeveloperのアカウントと作成したアプリとを紐付ける作業があるのだが、これがかなり複雑なのである。マニュアルの通りに進めてもどこか間違っているのか、ひたすらにエラーが絶えない。
正直、経験を重ねた今でもこの作業には戸惑うほどだ。まして当時はネットで調べても、現在ほど情報は充実していない。そんな作業を初見でやってのけろというのは無謀な話である。
結局、その一日で解決できるわけもなく、家に持ち帰って土日の丸々二日間、その調査をする羽目になったりした。


そしてそもそもの話ではあるのだが、テスト目的のアプリをApp Storeで公開することはできない。これは上述の審査ガイドラインの項目2.2にもしっかり明記されており、もし審査に出しても間違いなく却下されて終わりである。

ちなみに、テスト用にiOSアプリを関係者限定で配信するならば“TestFlight”という専用の方法が用意されているし、そもそも一般ユーザーに公開しない社内専用アプリなのだから、本アプリのユーザーであるI社が法人用の“Apple Developer Enterprise Program”に加入して対応すべきだったろう。

勿論、私も最初にこれらの事に気付き「このアプリをApp Storeで公開するのは無理ではないか」とGに相談した。しかし彼女は「大丈夫、できるできる!」の一点張りだった。今思えば何を根拠にそう言っているのか不明だが、経験の浅かった当時の私は「そういうものなんだろう」と納得するしかなかった。

結局は先述の証明書関係の問題をなんとかクリアし、一度審査には提出した。だが結果は当然リジェクト(却下)である。
Gもその結果を見てようやく無理だということを理解したが、持ち帰り仕事をした週末を含む数日間は完全な取り越し苦労に終わってしまった。

最後は先方と直接連絡を取っているGにアプリの納品を任せる形で、この件は解決した。具体的にどうしたかは忘れたが、結局ソースコードをそのまま提出するなどしたのだろう。

……と、Gの口から出任せや伝達ミスに振り回され、私の初案件は初っ端から苦難の連続だった。

だが、完成に向けてプログラムを作成していく作業は純粋に楽しいし、試行錯誤しながら作ったアプリが想定通りに動いた際の達成感もこの上なかった。ものづくりが好きだった私には、純粋にこの仕事は楽しく感じられた。
何よりこれは、初めて自分が業務で作ったアプリでもある。自分の初めて作ったものが人の役に立つかもしれないというのは、感慨深いものがある。
それに加え、週一日だけ大学の研究活動から離れられるバイトの日は程良い気分転換にもなった。

ちなみにバイト代は月給で5万円固定であった。この金額が適切か否かについては詳しく触れないが、月4〜5日出勤 × 一日あたり残業込みで10時間程度の勤務だったので、時給約1000円で換算すれば概ね妥当な金額だと思う。しかしアルバイト経験の乏しかった当時の私にとってはかなりの大金であり、純粋に嬉しかったし、この仕事にやり甲斐も覚えたのは事実だ。

次回、私はO社への入社を申し出る。

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