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第二回遼遠小説大賞ここまでの振り返り③

早いもので遼遠小説大賞も残り2週間となった。だが、正直これから来る心当たりのある作品が多過ぎるので、終盤と言うにはまだ早い気がしている。ここまで来てくれた作品に感謝しつつ、まだ来てない作品については「間に合いますように」と空に向かって祈っている。

さて、3回目の振り返りだ。

振り返り

楠木次郎さんの『周回遅れのタイムトラベラー』はよく練られた短編だった。終盤が白眉で思わず手に汗握って読んでしまった。個人的には、「"ここ"であって、"ここ"ではないどこかへ続く、長い道程」というフレーズに遼遠らしさを感じて深く頷いた。ピアノものといえば、前回ラーさんが『あのラカンパネラは遼遠に』で高い技量を見せつけてくれたけれども、それと比較すると本作はピアノを弾く側の実感が光る作品だった。私はこの作品が着実に書き上げられたということに、作中とは別のランナーの姿を見るのだが幻だろうか。

筆開紙閉さんの『ハイパー・ハイブリッド・ニギリ』は実は大好きである。でも、トンデモだから、寿司だから、癖が詰まっているから好きなんじゃない。なんというか、割と崩した立ち姿をしているのに、立ち方の芯が美しいから好きみたいな込み入った説明にもならない説明になる。今までのところで、「小説ってなんだろうなあ」となんだかんだ一番考えることになった作品。でも、私の感想が理解されるとは微塵も思っていない。

倉井さとりさん『剥がして食べなきゃいけないんだよ』は魔法のような作品だった。無い筈の記憶を「ある」と言われてどんどん不安になっていくのだが、そもそも小説なんだから記憶なんか最初から無いに決まっている。なのに、そんな記憶があったのか不安がかすめて、頭がグズグズになるような感覚になる。なんでこれが起きるのかまださっぱり分からない。倉井さんはペンネームが変わっているけれども前回『ごし』で金賞を受賞した作家さん。今回も凄まじい作品で参加してくださってとても嬉しい。

繕光橋 加さん『エイブクレイムス・スレイブズエイク』は文字面をひたすら読んでいるだけで美しい作品。美しく練り上げられた文章に溜息が出る。でもその論理から外れた緩急の異なるところも出て来て読者を「鑑賞」するままにさせておかないのも繕光橋さん流。前回の『もはや食後ではない』に続き、一筋縄でいかないその小説の世界がとても素敵。「彼の話だったのか」と気付いてから2回読むのも楽しい作品。

資料費に使います。