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第二回遼遠小説大賞ここまでの振り返り①

今日から第二回遼遠小説大賞の開催期間(6月1日(土)0:00~7月31日(水)23:59)となりました。これ以降は評議員も活動を始めます。

さて、ここでここまでの振り返りをします。今回、私がやる分についてはピックアップは行わず、振り返りで全作品について軽く触れる予定です。では、以下振り返り。

振り返り

3作品。3作品だ。準備期間に来てくれたのは3作品。
こういうテーマで最初の1ヵ月によく3作品来てくれたと思う(1作私だけれども)。
また、「わずか」3作品だったことも肯定的に捉えている。終始、自分のペースで書いてもらえればよいと思う。焦らず。企画終了には間に合ってはほしいが。
それぞれの作品を振り返る。

辰井圭斗『彼岸』は主催自作だ。こういうテーマでの主催自作の位置づけは難しい。ともすれば、これを「正解」だと捉える人がいてもおかしくない。しかし、Xでも呟いたけれども、私としては「これとは違うもの」を読みたい。別の方向性の作品か、同じ方向性だとしてももっと上手くやっている作品を。だから、主催自作に「寄せる」必要は全くない(何事もそうだ)。

サトウ・レンさんの『空音』は、来てくださったのを読んで「助かった」と思った。堅実に、着実に組み立てた作品だったからだ。トリッキーな飛躍ばかりがテーマへの回答の仕方ではない。堅実な組み立てだからこそ辿り着ける場所があり、要するに「作品が求める書き方」に自由に従ってほしい。『空音』のよかったところは、基本的にはしっかりとした作りでありながら、文学的な飛躍と不安定さもあったことだ。それの混合が非常にナチュラルであり、小説をよく読み書いている人の作品という感じがした。

功琉偉 つばささん『光の園』は「テーマに回答した」というよりも「テーマに回答できてしまっている」作品だという印象を持っている。いや、功琉偉さんはきっとテーマに回答しようと思いながら書いてくれたに違いないけれども。功琉偉さんはプロフィールを読む限り高校生作家さんで、『光の園』は高校生という時期のある種の「無敵さ」が発揮されている作品だった。こういう作品はちょっと大人世代には書きにくい。その無敵さは多分無意識の無敵さだと思うが、それも一層素敵に感じた。


以上、5月末までに来てくださった3作品の振り返りでした。
また適度に間隔を空けて振り返りをします。では~。

資料費に使います。