見出し画像

帰属論と「名前のない仕事」

ネットニュースで目にした立川志らくさんの話。

志らくさんが、「新しい地図(稲垣吾郎さん、草なぎ剛さん、香取慎吾さん)」の番組に出た時の話。


志らくさんは自身の師匠である談志師匠の言葉を紹介したそうで。
談志師匠は、落語の枠組みを壊し、越え、その結果として、落語を取り返したような人なんだと思う。

人は必ず何かに帰属しているという話で、談志さんは「サラリーマンは会社に、落語家は落語に帰属しているから生きていられる。だけど、俺は落語に帰属していないんだよ、俺は談志に帰属しているんだ。だから苦しいんだ」と言っていた



確かに、人は、何かの枠組みに帰属することで、安心を得ようとする。
周囲からは「そこに帰属している者」に対する期待値があり、
自分はその期待の範囲内において応えることで合格点を得ようとする。


そのような帰属論から逸脱し、自らのみに所属する人、というのは、
その枠組みから飛び出し、その枠組みを壊し、
周囲からの期待を裏切りながら、その期待を越えていく。

不確かで、不安で。
でも、その道を選ぶしかなくて、信じるしかなくて。


いわゆる「名前のない仕事」を自分で作っていく人というのは、
そういう日々を過ごしているのだろうな、と思う。




そういう日々が、"あたらしい道"をつくり、"あたらしい地図"に刻まれていく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?