見出し画像

牧師として、新宗教の信者たちにどうかかわってきたか

牧師として、新宗教の信者たちにどうかかわってきたか、という話をしたいと思います。

キリスト教の看板を隠れ蓑にしながら左翼の活動家の温床となっている日本基督教団に若い頃からかかわっていたことを悔やみ、残された人生は普通の日本人として、祖国に貢献したいと願っています。自分が牧師であったっことにはもう触れたくないという思いもあるのですが、政府による家庭連合(旧統一教会)に対する迫害という深刻な事態に直面し、自分の過去としっかり向き合うことが必要であると考えるに至りました。

1988年から1992年まで、牧師を養成する機関である東京神学大学の神学生として、東京都三鷹市で生活していました。当時はオウム真理教や幸福の科学などの新宗教が誕生し、熊澤義宣先生が牧師を務める井草教会の近くの駅前でも、オウム真理教の伝道活動が盛んに行われていました。このような風潮の中で、私が師事した熊澤義宣牧師も幸福の科学の若い信者の訪問を定期的に受けるようになり、夜遅くまで面談していました。大川隆法総裁の神格化の儀式が後楽園球場で行われることになった時、熊澤牧師はその儀式の招待状を受け取ったことを話してくれました。「先生、行かれるんですか?」と尋ねました。はっきりとした答えはありませんでしたが、先生は行くつもりなんだろうなと推察しました。このように、新宗教の若い信者の気持ちを可能な限り受け入れ、時間をかけてじっくり話を聴くのが、熊澤牧師の流儀でした。

そんな熊澤牧師の背中を見ながら神学生時代を過ごしましたので、牧師になってからは、教会を訪ねて伝道に来るモルモン教の若者に対しても、時間があれば教会に招き入れ、話を聴くように努めました。統一教会の信者が伝道に来たこともありました。その時も教会の中に招き入れて、話を聴きました。温かく迎え入れられた経験がなかったようで、その方は感激した様子で、『原理講論』をプレゼントしてくれました。

しかし、熊澤牧師のような流儀を受け継いだ牧師は、もしかしたら自分以外にはいないかもしれません。教会の信者たちにその話をしたことがありましたが、誰も理解してくれませんでした。いずれにしても、他宗教の信者に対して礼儀正しく接すること、できる限り耳を傾けること、それが熊澤牧師から学んだことでした。

よろしかったら、サポートをお願いします。今後の活動に生かしていきたいと思います。