しろはなぎ

言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、

はじめまして。

いつか使ってみたいな、と思いながらずっと手が出なかった。けれど、今日ようやく1つ目の文章を書きはじめることができて、なんだかすでに何とも言えない満足感で満たされいて、と同時に、この自分をさらけ出すようなこそばゆい感覚は、しばらくは無くならないんだろうな、とも思っている。


そもそもnoteを始めたいなと思った理由はたぶん2つあって、ひとつは、自分の考えを発信している人でありたいと思ったこと。              

 これは文章に限ったことではないんだけど、自分が今どんなことを考えていて、どんなことを大事に思っているのかを誰かにわかってもらうことは、僕が、対人関係においての最大の目標かなあと思っているから。

それは世界に一人いればたぶん十分なのだけど、そうはいってもなかなか素直に自分を表現する勇気もまだない。

とはいえ、少しづつでも自分を発信しながら、でも、そのすべてに共感してほしいていう傲慢なかんじではなくて、共感はしないまでも理解してもらえる努力は僕自身でし続けていたいなと最近は思うようになった。そういう使い方は自分の中でtwitterには向かないんじゃないかなと思ったから、noteを使ってみることにした、という感じ。


もう一つはさっきの話ともかぶるのだけど、最近少しtwitterの居心地が悪くなってきたなと感じることが多くなったこと。

端的に言うと、とにかく誰かにヘイトをまき散らすことでうっ憤を晴らしたり、存在を誇示する人が増えたこと。これは今に始まったことではなくて、ぼくがtwitterを始めたときからこういう人はたくさんいて、こっちは昔から何となくこういう人もいるよねとスルーしてきた。

でも最近、正義を主張しながら結局はだれかを非難することが目的化しているような人たち(自称正義のヒーローみたいな人達)の言動がだんだんと目につくようになってきた。

彼らの言っていることは基本的には正しいことが多くて、なるほど、と感心することも少なくはないのだけど、女性の権利を主張する人も、マスコミの在り方を批判する人も、政治について意見を言う人も、何となく暗に誰かを蔑むための真っ当な言い訳として「正しさ」が利用されているだけなように感じることが多くなってしまった。

何となくそういう陰湿な空気感が漂い始めてから、twitterの緩い関係性は少しづつ崩壊し始めて、僕自身も思ったことを発言することが少しづつ怖くなってしまった。言いたいことはあっても、それは誰かを傷付けないだろうか、と見えない視線を気にすることが多くなった。

誰かには届いてほしいけど、誰かを傷つけたいわけではない。そんなわがままの折り合いをつけたくて新しい表現の場所を作りたかった。そんなところかな、と自分では理解している。


そんなこんなでnoteを始めることにした。
「これはあくまで僕の意見だから」なんて前置きするのは野暮ったいからしないけど、せっかくだからここには思ってることをそのまま書こうと思う。

素敵な文章は書けないけど、その方が僕らしいかな、とも思う。


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