なにものでもないわたし


日々の生活を過ごすことに、色んな要素を入れることで新たな発見があったりする。これ、学校行ってた頃も、仕事で職場に行く時もあながちおんなじでその世界、その世界観によく染まってしまう。だから「わたし」という存在を、それ以外の例えば○年生とか、○歳とか、そういったものをなるべく落とした形で関係性を作れるもの。そこに、カコタムの強みがあるとおもう。

感じることの中身が、楽しいという感じよりも、興味深いというか、それぞれの個々がどういった日々を過ごしているかを客観的に感じることができる。

ひとつの世界に居続けると感覚が麻痺してしまう。少し違う世界をみると、あれ?すごい!なんて悪い人に引っかかってしまったり、色々起こる。この世界が絶対的な感覚に襲われる。この日々が永遠に続くような感覚になる。それを避けたい、と思った。

よく、平和を願ったり、幸せを願ったり、しない?笑わたしは、やっぱり皆が平和で幸せな社会で暮らしていくのがいいとおもう。これはこれで歳を重ねると光もあれば、影もあるというように、例えば、平和ひとつとっても、「抑止力」という言葉を学んだり、幸せひとつとっても、「最大多数の最大幸福」「一人の犠牲をその他大勢の幸せで変えて良いか」など考えることが山のように増える。つまり、理想的であればあるほど、その実現のためにはより現実的な過去や現在の社会を直視し、示唆に富む思考が求められるとおもう。難しい。

とはいっても、大事なのは、個々が日々の生活の中で理想的な在り方、自分自身でも、社会に対しても、こうあるのがいいよねぇとおもうことから始めることが大事なんだとおもう。金稼ぎひとつとってもその目的は千差万別。見失ってはいけないものは、目に見えないところ、根っこのところにあるものなのだとおもう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?