対と曖昧さの世界
目に見えない世界を抽象的な何かに
置き換えて、その世界で旅をする
そんな学びをしてみたい。
例えば、N極、S極と聞けば
大体「磁石」をイメージするとおもう。
それは、これまでに「磁石」みて、
そこに赤と青?で「N」「S」が
掘られているを一度はみた経験が
あるからではないだろうか。
でも、別に、「N」が「R」、
「S」が「B」でもなんでもいい。
ただ人間が「相反するものの2つ」を
NとSで表現したに過ぎない。
プラスとマイナス、右と左など
この世の中には対になるものが沢山ある。
不思議だなぁとおもう。(のは私だけか)
ということは、ややもすると、
世界を感じるとき、「対」としての考え
が非常に重要になるのではと仮説が立てられる。
基本は、対からスタートする。
コンピュータは二進法(ゼロとイチの世界)
でこれもゼロかイチの世界。
だから、勉強で、合ってる間違ってる
という二者択一が何より大事なのだ!
と、答えを出すのはまだ早い。
実は、寧ろ逆で、
その間の曖昧さというのが本質的である
ことの方が多かったりする。
学校で、テストの正解、不正解がはっきり
して、〇〇点!と明確に出ているが、
あれは、見せかけの近似値をとっている
に過ぎない。
なにが本質なのかということを
立ち止まって考えてみることも
良いのではと思う。
テストで問われている問いの意味
出題者の意図、学問としての本質とは何か
など、問うてみると案外面白い。
話は逸れたが、
電磁気、量子力学が、光や波を形作り、
はたまた、量子コンピュータの基礎ともなる
非常に核となる学問である。
曖昧さは「確率」で表され、
その「確率」の中で世界は動いている。
のかもしれない。
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